カール・ポランニー
ハイエクの「隷従への道」が刊行された年にポランニーの「大転換」も刊行されている。しかし、それは何から何まで正反対の本であるという。ハイエクが自己調節的市場を西欧の自生的叡智の結晶としたのにたいして、ポランニーは、自己調節的市場は何らかの犠牲のうえにしかなりたたないものであり、その市場への反逆がファシズムであり社会主義であったとした。
ポランニーは大恐慌を景気循環といった視点よりももっと大きな「ヨーロッパ世界の崩壊」という歴史的な視点から論じた。ポランニーはいう「個人を発見することは人類を発見することにほかならず、個人の霊魂の発見は共同体の発見にほかならない。また、平等を発見することは、社会の発見である。これらの一方は他方のなかに含まれている。結局、個人を発見することは、社会が個人間の関係であるということを発見することである。」
1929年からの世界大恐慌は、実際には第一次世界大戦ですでに破綻していたヨーロッパ世界の本格的な崩壊の表れなのであった。「市場ユートピアを放棄することによって、われわれは社会の現実と向き合うことになる。それは一方を自由主義、他方をファシズムと社会主義に区分する分離線である。これら後者二者の相違は、本来経済的なものではない。それは道徳的かつ宗教的なものである。」
東谷氏はポランニーの問題点は、社会主義に望みを託していたので、スターリンのソ連に対して甘い評価しかできなかった点にあるとしている。
ドラッカー
ドラッカーは1939年「「経済人」の終わり」を書いて世にでた。そこで、ファシズムは資本主義と社会主義双方への失望から生まれたとした。資本主義と社会主義は一見対立しているように見えるが、「人間を経済的動物であるとする概念」をその基礎におくという点では共通している。ともに「経済人」をその根底においているのである。
ファシズムは「経済人」を攻撃した。それはその当時のヨーロッパ文明が直面していた問題を解決する運動であると主張していたのである。ヨーロッパ近代は人々に自由と平等を約束してきた。だが資本主義は平等を捨て、社会主義は自由を捨てた。それを批判するファシズムに対峙するためには「経済人」を乗り越える概念が必要である、そうドラッカーは主張していた。
日本ではドラッカーは経営学者として知られているが、アメリカでは経営学者としては過去のひとである。それがいまだ評価されているのは日本においてである。
ドラッカーはハイエクと同じウィーンの生まれである。そして同じくウィーンの生まれであるカール・ポランニーに若いときに直接師事している。ドイツからイギリスに移り、さらにアメリカに移住しているが、43年にGMからの依頼で、同社の組織調査をした。それが経営学とのかかわりとなった。ドラッカーはGMに協働を見いだし、そこにおける一体感を賞賛した。そこに(戦前のヨーロッパでは失敗も終わった)自由と福祉の調和をみたのである。
しかしその調査結果「企業とは何か」はGMの幹部には評判が悪かった。なんだか社会主義の教義のように見えたのである。組織の一体感を生み出す経営の「哲学」を説くドラッカーの経営学はアメリカでは主流からはずれ、むしろ日本で評価されるようになっていった。
ドラッカーの「傍観者の時代」は大変おもしろい回想録であるが、その内容はかなりいい加減であり、少なくともそこの歴史的記述をまにうけると火傷をおうことになるのだそうである。
東谷氏はドラッカーのケインズ理解は相当いい加減なものであるといっているが、それでも「ケインズ経済学の本質は経済の問題を政治で解決できるという幻想を抱かせる以外の何ものでもなく」「ケインズの政策は魔法だった。非合理なものを合理的に動かすという魔法であり、呪縛であり、呪文だった」という指摘には、それなりの鋭い洞察を見いだすことができるかもしれないといっている。「金融緩和や財政出動も国民の心理という非合理なものに政治というこれまた非合理な行動を通じて訴えなければならないことは、ますます明らかになりつつあるではないか」と。
1997年、ドラッカーは「フォーリン・アフェアーズ」に寄稿し、「国民国家はグローバル経済も情報革命も超えて生き残るだろう。・・この200年間を見れば、政治的情熱と国民国家の政治が、経済的合理性と衝突したときには常に、政治的情熱と国民国家が勝利を収めてきた」と論じた。当時ドラッカーは90歳近くであり、グローバル経済が国民国家に対して勝利を宣言しているように見えた時代に、なんという時代錯誤なことをいうのかと、多くのひとはドラッカーの衰えをそこに感じた。ドラッカーは2005年に死んだが、その後に生じたサブプライム問題に端を発する金融経済の崩壊とオバマ政権の社会保障への志向をみれば、その予言は見事に的中していると、東谷氏はいう。
旧ヨーロッパの崩壊という体験をポランニーもドラッカーも共有していたので、それゆえに現代経済学がまったく顧慮しなくなった歴史と人間のダイナミズムをつねに視野にいれるこの二人には、どこかで共通の方向を見て論じているところがあると東谷氏はいっている。
わたくしがカール・ポランニーの名を知ったのはもっぱら栗本慎一郎氏の本を通じてで(氏はカールばかりでなく、マイケル・ポランニーについても情熱的に論じていたが)、そこでポトラッチだとか蕩尽だとかいろいろなことを知った。たぶん本棚のどこかに「大転換」も「暗黙知の次元」もあるはずである(ただし、あまり読んでいないが)。
こういう本について考えるといつも想起するのが、G・ベイトソンの本のどこかにあった「前提を疑うということを知らない人間はノウハウしか学ぶことができない」といった意味の文である。
ポランニーにしてもドラッカーにしても「前提を疑う」ことをし続けたひとなのだろうと思う。それにくらべれば、ケインズなどは「ノウハウ」の人なのではないかと思う。
わたくしはどうも、「ノウハウ」には興味がなくて、「前提を疑う」ことのほうに興味がある人間であるようである。養老孟司さんの本を面白がって読んできたのもそのためではないかと思う。養老さんは解剖学者のはずだが、解剖学内の個々お問題を論じるのではなく(初期にはそれもしていたが)、解剖学とは何かというようなことを論じるひとなのである。これはアマチュアの態度である。「ノウハウ」は専門家の領域。「前提を疑う」のがアマチュアの仕事? G・ベイトソンも一生、アマチュアを貫いたひとなのだろうと思う。
クーンが「科学革命の構造」でいった「ノーマル・サイエンス」というのが「ノウハウ」の探求のことなのだろうと思う。この東谷氏の本でとりあげられている経済学者のなかにも「ノウハウ」のひとと「前提を疑う」ひとがいるように思う。ケインズなどもそれまでの(古典派経済学の)前提をうたがったひとではあるのだが、それでもポランニーなどとくらべると制度の中で思考するひとである。フリードマンなどは完全に「ノウハウ」のひとである。一方、ハイエクなどは「前提」を考える人だと思う。
現代は専門分化の時代、専門家の時代であるから、素人には手が出せない世界がどんどんと広がっている。経済学などもクルーグマンのいう「ギリシャ文字式」にかかれた数式のオンパレードであって、古代の未知の文字で書かれた石盤を見ているのと同じで、素人には何もわからない。
医療の世界も同じで、CTやMRの画像を患者さんに見せてはいるが、「ここに病変があります」と言われても、患者さんや家族には何もわからないだろうと思う。などと偉そうに書いているが、実は説明している医者にだってわかっていないことがしばしばなのである。CTやMRの機器の性能はあがる一方で、今まで見えなかった変化がどんどんと見えるようになってきている。さらに造影剤などの病変を強調して描出する技法も次々と開発されてきている。そうすると検査を指示した医者には画像の診断ができず、放射線診断医からの報告書がきてはじめて画像の読みがわかるということがしばしばおこる。あるいは通常の胸のレントゲンで気になるところがあって、そこの確認のためにCTをとって「ああ、大丈夫」と思って患者さんに説明したら、後から報告書がきて、そこはOKだが、別の場所に肺癌の疑いなどとあってびっくりすることなどもある。
患者さんからみれば医者は専門家である。しかし、医者は内科・外科・・と専門分化し、内科は循環器・呼吸器・消火器・・・と分化し、循環器の専門家も不整脈の専門家、カテーテル検査の専門家・・と分化し、放射線科読影医も自分は脳は専門だけど腹部はよくわからないなどというひともでてきて、全体のことは誰もわからないという状況が出現してきている。
だから素人であるわたくしが経済学の専門的なことを学んでも本当の理解にはいたれるはずはないのだが、どちらかといえば、経済学の枠組みを疑うようなひとのほうがまだ理解できるような気がすることになる。
最近、いろいろなところで、もはや資本主義以外の経済体制はありえないのであり、われわれはそのなかで生きていくほかはないというようなことが書いてあるのを読むことがあり、違和感を覚える。とすると経済にかんしてはわれわれは今後「ノウハウ」についての試行錯誤を続けていくしかないということなのだろうか?
今からほんの30〜40年前には共産主義体制の実現というのをまじめに信じているひともまだたくさんいた。そのような信念を壊したのは結局、東側体制の崩壊なのだろうか? 中国はいまも共産党が支配しており、民主主義人民共和国と名乗っているのではないだろうか? 北朝鮮だって朝鮮民主主義人民共和国のはずである。新聞が朝鮮民主主義人民共和国と書かず、北朝鮮と書くようになったのはいつごろからだろうか?
資本主義体制(当時のいいかたではむしろ帝国主義体制?)こそが諸悪の根源であり、その体制の下にあるかぎり、戦争が絶えず、ひとは貧しく、あるいは少しは富んでも刹那に走り、本当の意味では決して幸せになることはできず、社会主義の体制に移行しないかぎり不幸は続くと思っているひとは多かった。資本主義体制は自己の利益しか考えない資本家の支配のもとにあるから、人民の利益を第一に考える人間が上に立つ社会主義体制の優位は明らかであり、資本家が権力をおめおめと手放すはずはないから、権力の移行は暴力による革命以外にはない・・、そういう見方の、どこがおかしかったのであろうか?
多くのものがあるであろうが、効率的な市場経済体制のもつ優位といった狭義の経済体制の問題よりも、人間のもつ権力欲や支配欲といったものへの目配りの根源的な欠如といったことのほうが大きかったのではないだろうか?(オーウェルの「動物農場」の問題?)
社会主義を信奉した知識人たちは(少なくとも主観的には)善意のひとであった。その政治への動機が潜在的には権力欲であったとしても、自分では虐げられた人々への共感と同情であると信じていたのであるから、もしも自分が支配する側に立ったときには利己的なことなどするはずがないと信じていたはずである。朝鮮戦争勃発当時、東側は平和勢力であると信じていた多くの知識人は北側からの攻撃開始を信じることができなかったのだそうである。
自分を主観的には善意の人であると思っている人間が、実は自分にあるのは利己心と権力欲だけではないかと内省するなどというのは文学的な問題であって、経済学の問題ではないと思われる。東側の崩壊をまねいのは経済体制の違いではなく、人間観の違いであったのではないだろか? あるいは西側では、人間観といったものにはかかわらず(それは個々人の内側の問題として政治は関与せず?)、即物的な物質の効率的な分配にのみ政治がかかわったのであり、一方、東側の体制は権力側が人々の内側まで支配しようとした点にあったのではないだろうか?(オーウェルの「1984」の問題?)
いまのわれわれの住む社会がエゴイズムむきだしの、みな自分のことしか考えていない唾棄すべき社会であると思っているひとは少なくないと思われる。それを止揚?するものとして、かって社会主義ではなく、ファシズムを支持した知識人もいたはずである(福田和也「奇妙な廃墟」)。
社会主義をめざした運動が悲惨を生み、ファシズムがもたらしたものもまた悲惨であったという事実から、とりうる体制は市場経済体制にもとづく資本主義体制だけであるということであるのだとしても、それは胸張って主張するようなことでなく、砂を噛む思いで表明されるべきことなのだろうと思う。
松原隆三郎氏は「経済学の名著30」で「大転換」を論じ、ポラニーは「経済」を独立で完結したシステムとみなす通常の経済学の行き方とは異なり、市場経済もいまだに多くの非市場的要素をその中に包含していることを指摘していることをいい、19世紀システムは繁栄をもたらす一方で、人間的・社会的な「実体」を破壊したことを論じたとしている。
ドラッカーについてはかつてここで「傍観者の時代」について長々と感想を書いた記憶がある。その経営学などにはまったく興味がないが、氏がそこで描いているウィーンの町とそこに住む人々の像がなんとも魅力的なのである。わたくしはハイエクにしてもポランニーにしてもその当時のウィーンやブダペストで暮らしたひとに甘い。(ポパーもそこに入る) ツヴァイクの「昨日の世界」なども何とも魅力的である。なんという厚みのある世界であろうと思う(もちろん、あるレベルの階級に生まれればという前提があるが)。それに較べると今のわれわれの世界はなんと貧寒としたものだろうかと思う。は第一次世界大戦前のヨーロッパは、吉田健一のいう野蛮な19世紀ヨーロッパなのではあるが、それでもである。文明は崩壊の直前の爛熟期が一番美しいのかもしれない。

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