本日の朝日新聞の書評欄

 
 今日の朝日新聞の読書欄に、斎藤環氏によるJ・ダイアモンドの「人間の性はなぜ奇妙に進化したのか」の書評がでていた。書評といっても、今良く売れている本をとりあげてなぜそれが売れているのかを考える欄でもあるのだが。
 「『銃・病原菌・鉄』のベストセラーで知られる著者は、そのとてつもない大風呂敷という点において、真に「知のエンターテイナー」の名に値する」というのが書き出しである。「生物学的に見れば、人間の性は不合理きわまりない。・・著者はこうした特徴を、進化論的視点からさまざまに解釈を試みる。/ 評者はこの著者の“芸風”を、文化や文明の起源をひたすら“科学的に”語ろうとすること、と考えている。それは時として、人文科学の内部からは出てこない斬新な視点をもたらし、読者を知的興奮へと誘う。しかし著者の姿勢に対しては、目的論や本質主義に傾きすぎるという批判もある。本書もその例外ではない。・・/ 人間の性を「生殖」や「遺伝子の継承」だけで考えることの限界がここにある、と評者は考える。最大の問題は、著者の考える“種の平等”が、逆に本質主義的(固定的)な性差という発想につながり、性役割の固定化やセクシャルマイノリティの無視につながってしまう危険である。 /思考実験の書としてはまことに面白いが、そうした限界も踏まえて読まれたい。」
 かなりの部分を引用してしまったが、「知のエンターテイナー」であり「芸風」である。初めから斜に構えている。斎藤氏が問題にするのはJ・ダイアモンドの“姿勢”なのであって、その本に書かれている内容ではない。どんなことが書かれているとしても、それは生物学的・進化論的に見ようという“姿勢”から生まれたものなのであるのだから、所詮“科学的”なものであり、本気で論じるには値しないものなのである。それは人文学に新鮮な風を吹き込むことはあるかもしれないが、所詮それだけのものであって、人間にかんして本当に大事な部分は“科学”などにはわかるはずはないのである。
 わたくしから見ると斎藤氏が兄事するらしいラカンなどこそが『そのとてつもない大風呂敷という点において、真に「知のエンターテイナー」の名に値する』のではないかと思うが、どうも斎藤氏はそうは考えないようである。フロイトなども『そのとてつもない大風呂敷という点において、真に「知のエンターテイナー」の名に値する』のであろう。それは『読者を知的興奮へと誘う』し、『思考実験の書としてはまことに面白い』が、“科学的”“生物学的”にみれば、端的に法螺話なのである。もちろん、法螺話であっても、患者が治ればそれでいいわけであり、事実“精神分析”によって治るひとはいる。そして、なぜ治るひとがいるのかは“科学的”“生物学的”に説明が可能なのではないかと、わたくしは思っている。つまり、それが解明されるとするば、それはJ・ダイアモンドの行き方のほうからなのである。
 前に同じ斎藤つながりの斎藤美奈子氏の「物は言いよう」での「生物学的決定論」批判を批判したことがある。そこで美奈子氏は「男脳」と「女脳」の問題をなんでそんなつまらない問題を研究するのだと難癖をつけ、そんなことを研究するくらいなら「コーカソイドニグロイドの差」をなぜ研究しないのかと挑発していた。できまい。そんなことをしたら人種差別主義者のレッテルを張られるかもしれないからね、という。つまり「男脳」「女脳」なんて研究している奴は男女差別主義者と糾弾されてもしりませんよ、というお脅しである。美奈子氏はいう。「生物学的決定論が危険なのは、それが運命論を呼びこみ、社会的な因襲に目をむける契機を閉ざし、個体差を後背に押しやり、少数者を切り捨て、差別の正当化に手を貸すおそれがあるからだ。一歩まちがうと、それは優生学への道を開く。ナチスドイツが北方アーリア人の優位性を「科学的」に証明しようと血道をあげた過去を思い出すといい。」
 ここでいわれていることあるいは論法が環斎藤氏のものとうり二つであるはすぐに見てとれる。「性の問題を生物学的に考えること」「男の女のあいだにはどのような差があるかを考えること」、それは「危険がある」「おそれがある」があるという理由で、その論の正否を見るでのはなしに、してはいけないこと、その内容をまともに論じる必要なないこととされてしまうのである。
 ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』は「西欧の覇権が、民族の能力の違いによるのではなく、単なる地理的な有利性の結果にすぎないことを喝破してみせた」(「知の逆転」)ものである。北方アーリア人の優位性などというものは存在しないことを「科学的」に証明しようとしたものである。もちろん「西欧の覇権」の原因については無数の説明があるであろう。ダイアモンドのものもその一つに過ぎない。しかし、それが相当有力なものであるからこそベストセラーになったのであろうし、いままで提出されていたさまざまな説とはまったく違った視点からそれを説明したものであった点で「読者を知的興奮へと誘った」のであろう。
 わたくしは斎藤環氏にはなんの恨みもないが、この書評をみて、なんだか人文学の根拠のない驕りをみたような気がして、少し書いてみた。(しかし、精神医学が人文学なのだろうか?) 「知の欺瞞」は古くなっていないなあと感じた。
 

文庫 人間の性はなぜ奇妙に進化したのか (草思社文庫)

文庫 人間の性はなぜ奇妙に進化したのか (草思社文庫)

物は言いよう

物は言いよう

知の逆転 (NHK出版新書)

知の逆転 (NHK出版新書)

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)