堀井憲一郎「江戸の気分」(2)
最近、堀井氏の本をいくつか読んでいて、なんとなく以下のようなことを考えた。多くのひとがとっくに指摘していることなのであろうと思うが、自分のためのまとめとして書いてみる。
明治維新で日本は西洋を受け入れたわけだけれど、それはそうしないと日本が植民地にされてしまうからというのでいやいや受け入れた。その無理がたたって精神に異常をきたし、それが昭和の前半に爆発してしまったが、敗戦で憑きものが落ち、再び西洋受容へと戻った。が、今度は懲りて軍事は抛棄して(という一種の鎖国をしながら)経済のみに邁進するという江戸と明治の並立のような奇妙な状態で、それである時期経済戦争に勝利し(日清日露戦争の勝利とパラレル?)、しかしそれもバブルがはじけて失われた10年20年となり(太平洋戦争敗戦とパラレル?)、このままでは日本は沈没する滅びるというので、生き残るにはグローバルスタンダードでいくしかない(幕末の日本が植民地化を逃れるには西洋受容しかないとしたのとパラレル?)と思いつめ、そちらに大きく舵を切ろうとしているが、本音では(深層心理では?)そんなことはしたくないと思っているのでなんだか精神的に不安定になりかかっているのが現在ではないか?(幕末から維新にかけてとパラレル?)というような大雑把な構図である。
歴史は繰り返す。そうであるなら過去のことも知っておいたほうがいいぞというのが堀井氏のいわんとするところかもしれない。堀井氏は落語マニアというか落語フリークであるらしく、そこから見た「文明としての江戸」いう確固とした自分の物差しを持っているから、その視点からみると今は変だよというのが氏の原点である。こういう「文明としての江戸」という視座については、そういうのは「江戸幻想」であるという方向からの批判がある。もちろん、そういう批判は堀井氏も承知していて、「江戸の気分」の第13章「米だけ食べて生きる」では、江戸の時代(あるいは明治大正から昭和のはじめにかけても)のお店の丁稚の食事というのがいかにお粗末だったかということが紹介されている。「朝は、あたたかいご飯と漬物。昼は、あたたかいご飯と漬物におかず一品(芋とネギとか)、夜は、冷や飯に漬物。一日や十五日、祭りや盆や正月や節句などにはご馳走がつく(魚とか)。」「丁稚奉公は無給。住み込みで食事はでるが(といっても今のべた食事)、一人前になるまで無給。着るものも支給(お仕着せ、各シーズンに一着))。」 この時代の前提は「食事さえ保証されれば、人は生きていける。あとは雨露をしのいで寝る場所さえあれば死なない」ということだった、と。
もちろん、これはすぐには死なないというだけで、明治期の文人が結核などで死んでいったのは、充分に栄養をとれていなかったからで、それで若死にしている、と堀井氏は言っている。どこかで森鴎外の食事というのは読んだことがあるが、まことにお粗末なものだったように記憶している。好物とかで茄子ばかり食べていた。陸軍軍医総監がそんな食事である。それでも明治期の軍隊の食事というのは丁稚よりは増しだったのではないだろうか? 戦後すぐの学校の給食は日本の学童を飢えから救ううえで非常に大きな役割を果たしてきたのではないだろうか? ほんの少し前まで、日本人は飢えるという危機感をつねに持って生きてきた。
山本七平氏が「日本資本主義の精神」で、山本氏と同じ出版業界の社長(つまりいたって零細な中小企業の社長)の経歴を紹介している。東京近県の貧農の出身。「食えない農家」の「口ベラシ」のためい小学校卒業前に銚子の傘屋に小僧に出される。衣食住の最低は保証はされるが、年中無休の無賃労働。その仕事の過酷さに耐えかねて出奔。東京を目指して歩きだした。飲まず食わずの野宿。空腹と疲労で行き倒れになる寸前に、ある壁に貼ってあった「小僧求む」の紙片をみてそこに飛び込む。それが製本屋だった。当時としては日本で一二の大手といわれた製本会社。社屋は木造の3階。3階が住み込みの小僧の居室。就業時間は午前8時から午後8時まで。月に半分ほど夜業と深夜業がある。休日は1日と15日の月2回。徳川の享保の時代からの年功序列の世界で、小僧、職人、職長という序列。職人になると、親工場の下請けになり、徐々に独立していける暖簾分けという道がひらける。小僧もそれを励みに働く。もし組織を離れてしまえば「渡り職人」である。包丁一本晒に巻いての世界である。渡り職人は給料はいいが、将来への道は閉ざされる。これは徳川時代に完成したシステムで、明治維新の「西欧資本主義」の導入によってはじまったのではない、と山本氏はいう。
ここで紹介されているのは今ならブラック企業といわれるであろうようなとんでもない過酷な労働の場である。山本氏が紹介している社長さんは幸い生き残れて成功した例なのであろうが、途中で結核などの病で倒れ、脱落していったひともたくさんいるはずである。しかし、とにかくも日本ではある種の確固としたシステムができあがっていたのだということであり、それがおそらくはかつての医局講座制の問題ともつながっていったのであろう。あるいは原子力村とか。最近でも柔道での体罰だとか、あるいは直近では日展の審査の問題とか、事件があると表にでてくるが、氷山の一角であり、日本の社会の中に根強く組み込まれたシステムなのであろう。
同じ本の第12章「金がなくても生きていける」で、堀井氏は、金がなくてもツケで物が買えた世界を描いている。支払いは大晦日と6月の節季の年2回だけ、あるいは月末だけ。それが成立するのは人が動かないから、つまりはお互いが顔みしりの世界だからだと堀井氏はいう。同じところに住み続けているというのが信用になる。世間が成立しており、共同体が成立している。
しかし、これはお互いがお互いを監視しているということでもある。そういう社会を煩わしいと感じ、隣は何をする人ぞというのが好ましいとみなが思うようになったからこそ、現在の日本がある。そういう社会では金がなくては生きてはいけないことになる。移動や移住が自由であり、匿名の存在として都会で暮らすことをよしとして選択したことの代償である。何かをえれば、何かを失うこととなる。堀井氏がいっているのは、今の生活を選んだことによって失ったものもあるのだぞ、今の生活は絶対のものではなく、別の生活の仕方だってあるのだということを頭の片隅においておくと、少しは生きるのが楽になるかもしれないぞというだけのことである。
落語の世界は基本的に町人の世界であるが、野口武彦氏が「幕末気分」のなかの「幕末の遊兵隊」で描く長州征伐で大阪に出張した幕末下級幕臣の世界もまた落語の世界あるいは弥次喜多道中の世界なのである。互いに弥次さんとか喜多さんとかあだ名をつけあい「業平組」と名乗る同心仲間は、戦争に出かけているなどという気分はいささかもなく、物見遊山の心持ちなのである。「考えてもどうなることでもない。いずれ何とかなるだろう。「業平組」連中の能天気ぶりにはそういう根っから乾いた恬淡さがある。日々の無責任の軽佻浮薄は、いかなる情勢に対しても雑俳と駄洒落と茶番で対応することしか知らない江戸文明をたっぷり吸収している。年季が入っているのだ。深刻になると冗談で切り抜ける。必死になるなんてヤボな真似はしない。こうなると立派という他ないほど、江戸っ子の骨髄にしみこんで死んでも直らぬスタイルなのである。このノンシャランスと長州兵の一心不乱との間には大きなギャップがある。これはもう遊び半分と生まじめの差ではない。文明のプレート境界だったとでもいう他はなかろう」、そう野口氏はいう。
明治以降、ほとんどの知識人は「長州兵の一心不乱」の路線で来たのだと思う。天下国家を論じ、尊皇だ攘夷だ佐幕だと口角泡を飛ばしてきた。しかし生活の場としての大学の講座制のなかでは、ほとんど華道の家元制度のようなやりかたで生きていた。それは1968年の動乱のなかで少しは壊れかけたかもしれないが、まだまだしぶとく残っているはずである。
橋本治氏は「江戸にフランス革命を!」の「その後の江戸―または、石川淳のいる制度」でこんなことを言っている。「ところで私は、江戸の町人文化が嫌いである。特に“文藝”というものが。ほとんど、どうでもいいことばっかりだ! /どうして江戸の町人達には“明治維新の為の思想を用意する”という発想がなかったんだろう? 彼らは、遊んでいただけだ。日本人が“近代”である明治維新の為に、一体どういう“思想”を用意したってんだろう? 明治維新が市民革命であるかどうかなんていう発想は、このことを頭に置いたら出て来る訳がない!」 しかし、遊んでいたのは町人ばかりでなく、武士である幕臣さえも遊んでいたわけである。つまり町人化していた。
さらに橋本氏はいう。「江戸にはまともな“文学”なんてないんだ。江戸で文学的価値があるものは、冗談と怪奇だけなんだ。・・19世紀で終わってしまったヨーロッパの小説と対応するようなものというのは、日本でいったら18世紀に終わってしまった人形浄瑠璃のドラマなんだ。人形浄瑠璃の中に出て来る人間達は、みんな制度との葛藤によるドラマを熱演している。・・現代文学の“問題”なんて全部夏目漱石の中にあって、“その後”っていうのは一つもない。それだけの話だ。すべては、とうの昔に終わってるし、すべてはなんにも始まっていない。その中間に怠惰な江戸町人の“どうでもいい述懐”があるだけだ。」 江戸で価値のあるものである冗談と怪奇が洗練されて、落語となって残ったのだろうか?
落語はジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフのエッセンスなのだと思う。明治維新でウエスタン・ウエイ・オブ・ライフを強制され、今またアメリカン・ウエイ・オブ・ライフを強要されようとしている。グローバル・スタンダードとはアメリカン・スタンダードであろう。しかし、ヨーロッパは痩せても枯れても本場意識があり、アメリカなんか歴史のない田舎者とみる余裕があるだろう。バブルの頃、日本があれだけ浮かれていたのは、ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフで世界を制覇できたという錯覚を一時持てたからであろう。年功序列と終身雇用こそが日本の成功の秘密で、それによって安価で優秀な製品を生む出すことができ、世界を席巻できた。世界の経営者よ、日本に勉強に来い!、などと豪語していた。しかしまたまた、それではだめだということになってしまった。リストラこそが経営の要、渡り職人を必要なときに雇用していけばいいのだということになった。終身雇用年功序列というのは、小僧・丁稚から手代や番頭へという日本の昔からのやりかたとどこか整合するものを持っていたのであろう。
竹内靖雄氏の「経済思想の巨人たち」の「福沢諭吉」の章に、「競争」という言葉は福沢がつくった訳語であることが紹介され、「福翁自伝」からの話が紹介されている。チェーンバーの経済論を訳していて、コンペチションをいう原語に出あい、いろいろ考えた末、競争という訳語をつくり、勘定方の有力な人(まだ江戸時代、明治以降なら大蔵省の重要な職にいる人)に見せたところ、「イヤここに争いという字がある、ドウモ穏やかでない、・・西洋の流儀はキツイものだね。・・なにぶんドウモ争いという文字が穏やかならぬ。これではドウモご老中方へご覧にいれることができない」と妙なことをいったという話である。どうも「争い」というのは、ジャパニーズ・ウェイ・オブ・ライフとはうまくなじまないようである。西洋の流儀はキツイのである。落語の世界は調和の世界で、本当の争いというのは出てこないような気がする。
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