今日入手した本

 ざっとしか目を通していないが、日本の医療の現状の批判としては大きくは的を外していないと思う。(しかし将来への提言は、言ってみただけというか書いてみただけというか、いろいろと書いてはあるが、現状批判の部分からは日本の医療を土台から変えなくてはいけないということになるのだが、土台から変える(変わる)ということはとんでもない力業がいるわけで、たとえば看護学部の付属の病院をつくれなどという提言も、とても実現性があるようには思えない。医学部付属の病院も不採算で困っているわけだし、看護師養成の学校も採算がとれていないはずで、それがさらに採算をとれない病院を持つなどというということはありえないと思う。日本の医学部というのが依然としてヒエラルキー構造のとんでもないところであるならば、看護学部だってそれに勝るとも劣らないヒエラルキー構造のはずで、医学部では試験管ばかりふって論文の数の多いものが生き残るのだとすれば、看護学部では観念的で頭でっかちで現場を知らずに理念だけをふりまわす、それも50年前の日本の医療のように舶来の理論を紹介しているだけのひとたちが偉くなっていくやはりとんでもない構造なのではないだろうか?)。
 113ページに以下のような文があってびっくりした。「結核が減った理由として、ペニシリンが発明されたことを挙げる人が多いと思いますが、・・」 誤植ではないようで、4行の文章で3回ペニシリンがでてくる。ストレプトマイシンの間違いだと思うのだが、善意に解釈すれば、ペニシリン抗生物質の代表として挙げられているので、ここの文意は「抗生物質の発見によって」ということなのかもしれない。しかし医者がこういうことを書いてはまずいと思う。第一、ペニシリンは発見されたのであって、発明されたのではないだろう。こういう不用意な文を書くと本の全体の信用が失墜してしまうと思う。