今日入手した本 F・フュレ「歴史の仕事場」 澤地久枝 半藤一利 戸高一成 「日本海軍はなぜ過ったか」

 

歴史の仕事場(アトリエ)

歴史の仕事場(アトリエ)

 フュレの本は、もう7〜8年前に「幻想の過去」の感想を書きかけて中断したままになっている。何しろ2段組700ページという大著であり、全12章に序章とエピローグがつく構成の最初の五分の一くらいのまだとば口のところで挫折の形だが、いづれ続きの感想を書くかもしれない。
 こういう本に関心があるのは、自分の人生の(少なくともものごころついてからの)前半はマルクス主義の強い風圧のもとにあったと感じていたので、マルクス主義がいまだ過去のものになったとは思えないからなのだろうと思う。ソ連が崩壊したという事実をもって、それが過去のものとなったというような口吻のひとがいるのは理解できない。マルクス主義的なものに惹かれる心情というのがソ連の崩壊によって絶えたはずもないので、それは様々に現在においても続いているはずである。「幻想の過去」はなぜマルクス主義が(特に知識人にとって)魅力的であったのか論じている本であった。
 本書もおそらくその系列の本であろうと思うが、「フランスの知識人」とか「18世紀フランス」とか「ギボンにみる文明と野蛮」とかなかなか魅力的なタイトルが並んでいる。
  前にちょっと取り上げたことがある「日本海軍 400時間の証言」をめぐる澤地・半藤・戸高の三氏の鼎談である。こういう方面に関心があるのは、この戦争への対応には日本人あるいは日本の組織の弱さというようなものが一番はっきりと表れてくると思っているからなのであろう。それは人間の弱さなのかもしれないし、日本人に限ったことではないかもしれないが、それにしてもである。
 新聞などの報道の表面的なことから判断してはいけないとは思うが、最近の東芝についての報道をみると、それが事実であるならば、戦時中の日本とあまり変わっていない印象を持つ。組織の長といえば公人であると思うが、身内同士の争いが公的なことに優先するのであれば、第一の敵はアメリカではなく身内の陸軍であった日本海軍という事例から少しも学んでいない気がする。
 また安全保障についての論議も、攻めるほうも守るほうも、ともに日本がした戦争について深く考えることをしないで、かたや「世界に冠たる日本」、こなた「憲法」を考えることの代わりとしているように思えて、とても危ういものに感じる。