J・アナス J・バーンズ「古代懐疑主義入門]

古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式 (岩波文庫)

古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式 (岩波文庫)

 偶然書店で見つけた本で2年前に岩波文庫から刊行されているが、邦訳の刊行は1990年、原著は1985年とのこと。初学者むけの入門書を意図したものらしい。まだ最初のほうをみただけであるが、わかりやすい。かなり断定的に書かれているためということもあるのかもしれない。
 「われわれは世界について何を知りうるか。われわれは世界についていかに考えたり、語ったりできるのか」という二つの大きな問題が哲学のあつかう二つの問題を境するという。
 認識論は知識とは何か、われわれはどれだけのことを知ることができるか? 一方、論理学(言語哲学)は意味の問題をもっぱら扱う。
 現在、英米の哲学者では論理学こそが哲学の基本とみなされる傾向がある。しかし、このような態度はあたらしいもので、それの起源はフレーゲにまで遡れる(19世紀末から20世紀初頭に活躍した)。それ以前は認識論の時代であった。デカルト、ロック、ヒュームやカントにとっては言語や思考ではなく、人間知性の本性とその及ぶ範囲が関心の対象であった。認識論の時代と論理学の時代では哲学の方向はまったく変わってしまっている。
 ロックの「人間知性論」は哲学者がその当時、なぜ認識論にむかうことになったかを如実に示している。
 認識論に対峙したものが懐疑主義であり、われわれはほとんど何も確実なことは知りえないとした。
 認識論は1562年のエティエンスによるセクストス・エンペイリコス「ピュロン主義哲学の概要」出版にはじまる。ギリシャ懐疑主義の再発見が、その後3百年の哲学の方向を決めた。そのもっともめざましい成果がデカルトの「省察」である。デカルト懐疑主義をゆゆしき疫病とみなし、それの治療法をもっぱら探求した。
 懐疑主義はその一世紀後にもなお流行しており、ヒュームもまたその病に冒されていたと著者はいう。
 ヒュームの懐疑はカントにとっても大きな問題となったが、カントはドグマティストであった。
 古代ギリシャ人は自分たちの懐疑主義を本気で受けとめていたが、現代人はそうではない。近代の懐疑主義が知識を懐疑したのに対して、古代ギリシャでは信念が懐疑の対象となった。
 デカルト懐疑主義は哲学のみにかかわるのであり、現実世界にはおよばない。一方、古代ギリシャ懐疑主義者の懐疑は非哲学的な懐疑であり、われわれが日常思い描く信念からわれわれを解放してくれることをのぞんだ。ヒュームはその消息をよく理解していた。
 著者はプラトンアリストテレスストア哲学エピクロス哲学はみなドグマティスト哲学であるとする。

 ここまでは、まだ一章と少しの部分であり、古代懐疑主義についての本当の議論がはじまるのであるが、こういう一筆書きのまとめというのはわたくしのような素人には理解の補助線として非常に有効である。
 わたくしは論理学(言語哲学)にはまったく関心がなく、もっぱら認識論のほうに興味があること、したがって現在の哲学には無縁の人間であること、ドグマティストというのが苦手(ということは形而上学が苦手ということかもしれない)で、ヒュームあたりが自分の波長に合うというようなことを、本書を読んでいるとうまく整理ができてくる。大変ありがたい本である。