村上春樹「騎士団長殺し」
新潮社 2017年2月
村上春樹の最新長編。発売されてもう二週間になるのでそろそろいろいろなところで書評がでてきているが、どうもよくわからないものが多い。大ざっぱには二つの方向のことがいわれる。一つはこの長編が村上氏のこれまでの小説でのさまざまな場面を想起させるところが多いので、これを読めば村上春樹の長編というものがどういうものかがわかるという方向、もう一つが本書は主人公の画家が述懐する絵画論がそのまま村上春樹の小説論、村上春樹がなぜ小説を書くかということへの自己批評になっているといった方向である。それは確かにそうなのだろうと思う。ああこれは前に読んだという既視感のある場面に本書は充ちている。また主人公の述懐が村上春樹自身の小説執筆動機を語っていると思わせるところも多い。しかし、書評で注意深く避けられていることがあることも強く感じる。それは一番肝心なこと、単純に本書が読んで面白いのか、あるいは主人公の述懐(すなわち、村上氏のなぜ書くか論)がわれわれに大いに考えさせるところをもっているか、つまりは書評氏が本書をぜひ読むべき、読んだら面白いぞ、と思っているのかということである。
今、書店には本書が山積みになっているし、村上氏は本がでれば間違いなく売れる数少ない作家の一人である。出版不況が進行する今、村上氏は数少ないベストセラーを産む作家のひとりである。そうするとどうも正面からきちっとした批評がしずらいという風潮ができてきているのではないか、そのことを危惧する。
わたくしからみると、村上氏の作は「1Q84 book3」以降調子が悪いままで来ているように感じる。氏の頂点は「神の子供たちはみな踊る」「東京奇譚集」あたりにあって、その後は下り坂なのではないだろうか? 荒川洋治氏は「神の子供たちはみな踊る」のなかの「アイロンのある風景」を評して「ここまで幸福な状態をつくりだし、しかも説得力をもつ小説はほどんどみかけない」と書き、同時に「そこまでりっぱなことをしてしまったら、あとがない」とも書く。「かえるくん、東京を救う」などを評して「村上春樹だけが書いている」とまでいっている。しかし、その後の「海辺のカフカ」などには点が辛い。
小説書きのプロとして村上氏の腕は確かなものであって、本書も、とにかく荒唐無稽な話をなんとか読ませてしまう。しかしその氏の腕をもってしても第二部の後半あたりになるとどうにも苦しくなってくる。わたくしも第二巻の後半300ページを過ぎるあたりまで来て、なんともばかばかしくなってきて、よほど読むのをやめようかと思った。本来ここは本書のクライマックスであるはずの場面なのだが、少しも面白くない。小説というのは人間を描くものであり、人間と人間の関係を描くものだと思うのだが、主人公がただひとり黙々と頑張っているだけなのである。そしてその時に平行してもう一人の女の子にも何かがおきていることが暗示されるのだが、主人公の冒険の後に明かされる真相は、実は少女は何もしていませんでしたということなのである。なんだかもうである。
この小説の大きな枠組みは主人公の奥さんが出て行ってまた帰ってくるというものなのだが、その奥さんというのが少しも魅力的でない、というかそもそも顔がみえず、読者に何の印象もあたえない。主人公一人が感慨にふけっているが、読者はしらけるばかりである。
本書には意味ありげなものが充ち充ちているが、最後まで意味ありげにおわって、それはこういうことだったのかという感慨を読者にあたえることがない。村上氏も様々な登場人物を個をもつ存在として書き分けることを半ば放棄している感じで、その代わりに個々の登場人物にはそれぞれに自動車が配置され、その車がその人物を示すことになる。
登場人物を結びつけるのは、親子関係とか夫婦関係とかのみであって、社会関係というものがまったくない。登場人物はみな孤独でひとりぽっちで、それらを結びつけるのは広い意味での性的な関係だけなのである。これは端的にいって異常なことである。
本書で唯一魅力的な存在がイデアさんで、この人物?の造形がなければ、本書はほとんど書かれた意味を持たないものに終わったのではないかと思うくらいである。読んでいて何だかだれてきたなと思うと、早くイデアさんがでてこないかなと思ったものである。これを主人公に「かえるくん・・」のような短編を書けばよかったのに。
しかし、そうではあっても、イデアという命名はルール違反なのではないだろうか? 本書は第一部が「顕れるイデア篇」、第二部が「遷ろうメタファー篇」なのだが、このタイトルをみて、まさかメディアやメタファーが固有名詞?だと思うひとはいないだろうと思う。
そのことをふくめ本書はわれわれが持つ言葉や音楽への既存のイメージに大幅に依拠しているところがあり、モツアルトの「ドン・ジョバンニ」、R・シュトラウスの「薔薇の騎士」、上田秋成の怪異小説、ゴッホの郵便配達夫の絵などがあとからあとからでてくるし、さらにはもちろんイデアもメタファーもそうである。
しかし悪口ばかりいっていても仕方がない。本書を村上氏に執筆させたものは何なのだろうか? それは変な言い方であるが河合隼雄的世界を紙の上に言葉でつくりあげることではないだろうか? 物理化学的な法則や因果律を超えた何かが世界には存在する、あるいは存在しうるという感覚を読者にもたせること。世界は平板で灰色なだけのものではないのだということを示すこと。
本来、小説というのはそういうものなのだと思う。一見平凡にみえる人物も一朝ことあれば英雄になりうること、あるいは個々の平凡な人物の内面に英雄譚にも匹敵するドラマがありうること、その信念こそが小説というものを作ってきたのだと思う。しかし気になるのが村上氏の小説の主人公がハリーポッター的というか、俺は選ばれた存在である的な意識が見え隠れすることで、本書の副主人公である免色さんなどにはそれがありありと感じ取れるが、そうはいってもそのしていることといえば単なるストーカーである。主人公も自分のことをいたって謙遜しているが如くであるが、他人の趣味を裁断する舌鋒の鋭さはなかなかのものである。そういう部分は画家である主人公の言葉を読んでいるのではなく、村上氏のエッセイを読んでいるような感じになる。
村上氏は本当にこういうものを書きたいのであろうか? 本当に書きたいものは別にあるのだが、読者あるいは出版界が自分に期待しているものを過剰に意識しすぎて、それに応えようとしすぎているのではないだろうか?
ということで、わたくしは本書を未読のひとに、ぜひ読んでみたらという気にはなれないでいる。
- 作者: 村上春樹
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