山崎正和氏

 山崎正和氏が亡くなられたらしい。

 多くのかたがそうではないかと思うが、わたくしも最初に読んだ山崎氏の本は氏の出世作の「世阿弥」であった。何だか変に近代的な世阿弥の像だなあというような感想を持った記憶があるが、特に感銘は受けなかった。この本は誰かに貸したままになっていて再読もしていない。
 最初に感嘆したのは「鴎外 闘う家長」であった。ここに提出された鴎外像は、実際の鴎外の姿とはあまり関係はないのだと思うが(実際の鴎外は「ドーダの人、森鴎外」であったり、陸軍軍医総監として鴎外であったりしたのであろう)、「家長」という規定、あるいは勤勉な傍観者という規定は明らかに山崎氏が鴎外に自己を投影したものであろう。特に単行本p145の「空車(むなぐるま)」を論じたあたり「此車は一の空車に過ぎぬのである。」 堂々とはしているが内側は空虚であるというのは山崎氏の自己規定なのだろうと思う。旧来の日本文学であれば、その空虚を延々と描くのであろうが、山崎氏の描く鴎外は空虚でありながらも、家長としての役割を果たす人である。
 次の「不機嫌の時代」は「鴎外」ほどは面白く感じなかった。そこに描かれた直哉、荷風漱石は、鴎外ほどには氏にとって感情移入ができない存在だったのであろう。
 鴎外には家長という役割を引き受ける覚悟があった。しかし、もはやわれわれにはそういう役割があたえられていないのだとしたらという設定でかかれたのが戯曲「おう エロイーズ!」で、登場するのは、アベラールとエロイーズと朗読者3人だけ。一幕物のウエル・メイド・プレイである。「ときは1118年、アベラール39歳、エロイーズ17歳」。 要するに何も信じることのできない中年男のアベラールが、自分はアベラールを愛しているということを確信して疑わない、まだ小娘のエロイーズに迫られておたおたする話である。家長として尊敬されるというのであればいいのだが(それは役割を果たせば、すむことだから)、でも男として愛されるというのは困る。そこに真実というような言葉がでてきてしまうから。
 「千百十八年。この年はまた、人間の歴史にとって記念すべき年だったといえるかもしれない。まぜなら人類はこのアベラールとエロイーズによって、初めて純粋な男女の愛というものを知ったと考えられるからである。男と女の愛。女と男の愛。これを口実にしてひとは社会に叛き、親子を裏切り、ときに夫婦のきずなを断ってもなお良心の咎めを免れる。この不思議な言葉を人類が知ったのが、思えば千百十八年であった。」「私は夢を見ているんです。いつまでも、あなたの日陰者でいたい。そして年をとったらみんなに指をさしていわれたい。あれがアベラールの囲い者だった女だ、お気に入りの娼婦だった女だよって。」 
 三島由紀夫は「第一の性」で「文楽の人形芝居を御覧になった方は、すぐに気がつかれると筈だが、そこでは深層のお姫様が、「一度でいいから、あなたと寝てみたい」などと恐るべきことを口走り、男のほうはモジモジ、ウロウロ、煮え切らない態度でひたすら守勢に廻っている」と書いているが、ここに描かれているのもまさにそれである。「男は愛については専門家ではなく、概して盲目で、バカである。男は愛についてはまだお猿さんクラスですから、愛されるほうに廻るほかない。」(三島「同」)
 ということで、アベラールはまだ学問の世界の歴史に名を遺した人物だからよかったが、この話を現代の日本に移してだだの市井の男女の話にするととどうなってしまうかというのが「舟は帆舟よ」で、ただもう陰陰滅滅である。自分の内側に何もないと思っている人間は、自分の内側に踏み込んでくる人間にはただたじろぐしかない。
 いわゆるスパイMを主人公にした「地底の鳥」は男女の世界ではなく、政治の世界の話だから、何ものも信じないということが必ずしも弱点とならないという設定で劇がすすむ。
 山崎氏は政治の分野でもいろいろと発言していて、世間的には右派の論客として知られていたのかもしれない。その方面の書作も「柔らかい個人主義の誕生」とか何冊か読んだが、特に説得されたとか打たれたという記憶はない。氏としては、進歩派のひとたちの論をみて、それがあまりにお粗末であると感じたので、ただその感想を書いただけということかもしれない。
 また氏には、「社交する人間」という一種の文明論もあるが、「世界文明史の試み」というちょっとかわった本も書いていて、これはJ・ジェインズというひとの「神々の沈黙」という奇書にかなりを依拠している。「神々の沈黙」というのは、まだ書き言葉を知らない時代の人類は右能に神の声を直接聞いていたのであり、まだ意識というものをもっていなかった。意識の起源は朗誦詩人の「イーリアス」から文字による叙事詩創作の「オヂュセイア」へ移行する時代、今から3千年前であるというようなことを述べた本である。こういう本を真面目に論じている氏は相当に変わったところもあるひとだったのだろう、と思う。
 氏は書評するひとでもあって、「「厭書家」の本棚」という書評本もあるが、わたくしにとって一番面白く、かつ教えられたのは、本についての対談本、鼎談本である。丸谷才一氏との対談本「日本史を読む」「二十世紀を読む」、丸谷氏、木村尚三郎氏との鼎談書評本「鼎談書評」「三人で本を読む」など、対談・鼎談書評本は多くあり、本当にいろいろと教えられた。
 ここには機嫌のいい社交家としての山崎氏がいて、氏の最良の部分がでているのではないかと思う(これは丸谷氏にもいえることのような気がするので、丸谷氏には講釈をたれたがるという悪癖があって、誰かに一方的に話す場では、偉そうが鼻につく。しかし自分と同等の知識をもつと思うひと同士では君子の交わりとなって、話がいい方向に回転していく)。
 ここでは「日本史を読む」の相田洋氏の「電子立国日本の自叙伝」を論じた部分から。
 丸谷「各社を横断してつくった団体のことが出てきますね。LSI技術研究組合。・・・それが数年後に再会して、思い出の会を開く。そのときに彼らが、散会に近くなったときにみんなで歌を歌う。「俺はおまえと同期の桜」と。(笑)
 山崎「たまたま私はその場面をテレビ放映のときに見ているんですよ。・・・あの「同期の桜」を歌うところは、なんと言ったらいいのかなあ、象徴的でしたね。メンタリティーが完全に戦前の日本人なんです。(笑)
 丸谷「この本を読んでいると、実に戦後奇人列伝という感じがするんですね。ほんとうに頑固で、わがままで・・・」
 山崎「つまり、楠正成なんです。・・・私の経験的な感じを言っても。日米の学界を比較すると、明らかにアメリカのほうがボス社会です。・・・日本の場合は、ボスというのは大山巌将軍でなければならないわけです。つまりぼんやりと君臨して、みんなの気持ちをまとめていく。・・・年中みんなを集めて酒をのんでいたそうです。これが、日本のリーダーなんですよ。・・・「研究の方向はこちらである。・・君の分担は、これだ」ということを言うことはできないわけですね。・・・」
 もう一冊。山崎・丸谷両氏に木村尚三郎氏が加わった「鼎談書評」から、吉田健一著 磯野宏訳「まろやかな日本」を論じているところから。
 丸谷「吉田健一にとって、人の足を引っ張るという日本社会の風習は不思議でしょうがないものだったんですね。吉田さんという人が一種の奇蹟的存在であったいちばん大きな特色は、こういう現代日本の村落共同体的性格に対する、ほとんど先天的な理解の欠如ではないでしょうか。」
 山崎「そこで出てくるのが「反米」なんです。アメリカ文明というのは浅薄で、日本に何の影響も及ぼさないというところだけ、吉田さんに似合わず少し激してるんですよね。イギリスと日本という、どちらも何かトロトロと説けたような、不可思議なとこで育った人が、一箇所明快にいえるのは、「アメリカ人はバカだなあ」ということなんだと思う。
 丸谷「吉田さんが亡くなったあと、中村光夫さんと故人を偲ぶ話をしたんです。そうしたら中村さんが、「アメリカっていう国が存在することを、黙認してやるっていったような調子だったねえ(笑)」
 山崎「吉田健一という人の精神は、戦後日本を生かした一つの意地の固まりみたいなところはあるかもしれませんね。」

 山崎氏は「僕の一番の業績は氏が創設にかかわったサントリー学芸賞かもしれない」といっていたのだそうである。氏もまた、若い才能を見出すことに喜びを感じる人、人の足を引っ張る方向には無縁の無私の人だったのかもしれない。

 わたくしの山崎正和三冊。
1)「鴎外 闘う家長」
2)「おう エロイーズ!」
3)「日本史を読む」

地底の鳥 (1979年)

地底の鳥 (1979年)

鼎談書評 (1979年)

鼎談書評 (1979年)

日本史を読む (中公文庫)

日本史を読む (中公文庫)