第4章「「恋愛輸入品説」との長き闘い」で小谷野氏が「恋愛輸入品説」というのは、『明治期に、「恋愛」という概念が西洋から輸入された、日本人はそれまで「恋愛」を知らなかった』というもので、それと小谷野氏は長く闘ってきたという話である。
人文学での議論をみているといつもこういうところでひっかかる。これは結局、言葉の詮索になってしまうのではないかと思うのである。『明治期に、「恋愛」という概念が西洋から輸入された、日本人はそれまで「恋愛」という概念を知らなかった』というのであれば、これは論理的に完璧な文章であって、正しい。もしもここで違っているということがあるとすれば、前段の『明治期に、「恋愛」という概念が西洋から輸入された』という部分が間違いであり、日本人は明治以前にも「恋愛」という概念をもっていた、ということが示される場合である。ところが後半が『「恋愛」を知らなかった』であるから困る。しかも、小谷野氏は『「恋愛」という言葉が、明治期に作られた、というのはいい。これは事実である』というのである。だが、『恋愛にあたる概念は明治以前にはなかったというのは、おかしい』という。「万葉集」にも恋歌はあるし、シナの「詩経」にも恋の詩があるではないか、と。
「恋」というのは昔からあった、これは誰でも認めると思う。では「恋愛」という概念が明治以前にあったのか? わたくしは明治の以前にあったのは「恋」という事実であって、「恋愛」という概念ではなかったと思う。そうであれば、「明治期に、「恋愛」という概念が西洋から輸入されるまで、日本人は「恋愛」を知らなかった」という文章が正しい可能性は残る。それは結局「恋」と「恋愛」が同じことを指す言葉かどうかという字義の問題になってしまう。
言葉をどう受けとるかは人ざまざまであるだろうが、わたくしには明治以降の「恋愛」と江戸までの「恋」は違うことを指している言葉のように思える。非常におかしな言いかたをすれば、江戸までの「恋」は「心」でするものであったのに対して、明治以降の「恋愛」は「頭」でするものになったのではないか、とでもいうような感じだろうか? 「思う」「焦がれる」「狂う」「懸想する」なんでもいいけれど、それは事実であって、そこに概念はないと思う。江戸までに「恋」といわれていたものと「恋愛」という言葉の間に何か同じでないものをわたくしは感じる。これは「感じる」ということなので、そこに違いを感じないひともまたたくさんいると思う。感じるか感じないかを学問として議論することができるのだろうか?
ポパーの「反本質主義的訓戒」を思い出す。「言葉とその意味についての問題を本気になってとりあげようなどと力んではならぬ。本気になってとりあげなければならないのは、事実の問題であり、事実についてのさまざまな主張(もろもろの理論および仮説)、それらが解決する問題およびそれらが提起する問題である。」というものである。小谷野氏は、「恋愛輸入品説」論者は「事実」についての主張をしているのだとしている。たぶん、そこで話が微妙に食い違ってしまう。そこをとことん追求することをしていると、いつのまにか「このことが解決する問題、提起する問題が何か」という一番大事なことがどこかにいってしまうのではないだろうか?
山崎正和氏の「おう エロイーズ!」は(有名な?)アベラールとエロイーズの恋物語をあつかった劇であるが、そこで「ときに、1118年。この年はまた、人間の心の歴史にとって記念すべき年だったといえるかもしれない。なぜなら人類はこのアベラールとエロイーズによって、初めて純粋な男女の愛というものを知ったと考えられるからである。男の女の愛。女と男の愛。これを口実にしてひとは社会に叛き、親子を裏切り、ときに夫婦の絆を断ってもなお良心の咎めを免れる。この不思議な言葉を人類が知ったのが、思えば1118年であった」ということがいわれている。
これは山崎氏自身の言ではなく、劇中の朗読者の言葉であるので、山崎氏の主張であるとはいえず、山崎氏が一般にいわれていることを代弁しているだけなのかもしれないし、これが本章の後段で問題にされる「恋愛は12世紀フランスで発明された説」とどうかかわるのかも、わたくしにはわからない。ここでいいたいのは、わたくしが明治以降の「恋愛」という言葉に感じるのはこの「おう エロイーズ!」でいわれているようなことにつながる何かである、ということである。つまり「恋愛」というのは男女のあいだに事実としてあるものではなくて、なにかいいもの、素晴らしいもの、ひとがするのが望ましいもの、それをしない人間はなにかひととして欠けるところがあるとでもいいたいような、事実を指すだけでなく価値観をもふくむような言葉のイメージである。江戸時代にだって「社会に叛き、親子を裏切り、ときに夫婦の絆を断」つような「恋」というのはあっただろうと思う。しかしそういうのは「狐がついた」ではないかもしれないけれど、何か自分を超える力に引きづり廻されるとでもいった感じ、「魔」が自分をさらっていくとでもいった感じであり、胸をはって「愛」に殉じていくというようなものは、そこにはまったくなかったのではないだろうか?
こういう明治以降の「恋愛」概念は、多くのひとを苦しめた。だからそれに苦しめられたひとが、そういう概念がなかった時代を素晴らしい時代として描くようになることもまた人情の自然なのではないだろうか?
第5章「「日本人は裸体に鈍感」論との闘い」は渡辺京二氏の「逝きし世の面影」批判なのだが、渡辺氏の著書は「日本人は裸体を気にしない」ということを主張した本ではないのだから、なにか変である。
わたくしも「逝きし世の面影」をはじめて読んだときはびっくりした。それまでの渡辺氏は自分のまわりはすべて論敵というか、批判精神のかたまりのような鋭利なひとだと思っていたのだが、丸くなったというか穏やかになったというか、とにかく牙が抜けたような印象を受けた。そうではあるが、この本は幕末から明治初期にかけて日本を訪れた西洋人が書き残したものを実によく丹念に調べたという点だけでも、評価すべきものではないかと思う。渡辺氏が彼らの残したもののなかから自説に都合のいい部分だけ取り出している可能性はあるが、引用されているのはかれらが書いたものであることは事実で、かれらの文章からうかがわれる江戸から明治初期の日本の像は、短い時間日本にいただけの外国人が見た表層のものである可能性も高いと思われるけれど、それでも彼らが日本をすばらしい国であると感じることが多かったというのは事実で、むしろそのことの方が重要なのではないだろうか?
焦点となるのは、そこで書かれている江戸の像が本当の江戸なのであるかどうかということよりも、渡辺氏もいっているように、これらを書いている「西欧人の深い徒労感」のほうなのだと思う。すでに西欧は国民国家同士の闘いの時代にはっていて、その競争にみな疲れていて、その競争のそとにいた「平和な」国家をもまた競争の中にこれから巻き込もうとしている、そのことへの罪悪感がそこにあらわれているのだと思う。
それにわたくしの偏見によればそのころの西欧は文明から野蛮への退行をきたしていた時代なのだから、その当時の江戸時代のほうが文明社会にみえたということはまた当然という部分もあるはずである。もしも、小谷野氏が主張するように、その当時の日本人の生活は、彼ら西洋人が書いているような平和で安逸なものではなかったということを論点にしたいのであれば、しなくてはならないことは、西洋人の書いたものを日本人の書いたものと比較するという作業をすることではなく、その当時の世界のさまざまな場所での人々の生活を、その当時の日本の人々の生活と比較することであるはずである。そしてそのような作業は渡辺氏がこの本を執筆するときにまったく意図していないものであると思う。
ハーンもまたアメリカの競争社会の敗者になって日本に逃げてきたひとであるはずで、そういう敗残者にとっては日本は「美しい」国に見えたということは充分にありえることだったのだろうと思う。
それで第6章「天皇制とラフカディオ・ハーン」である。わたくしのハーンのイメージはただただ渡部昇一氏の「知的生活の方法」(講談社現代新書 昭和51年)で描かれている、氏が恩師とあおぐ英語教師の佐藤順太先生というひとの(昭和22〜23年ごろの?)エピソードによってできている。その先生が「文学談になればラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の極美の全集を示され、「文学論には雲をつかむようなものが多いが、ハーンのいうことはよくわかるし、この程度のものはほかにあることを知らない」」と言ったということが紹介され、渡部氏は「近ごろは、ハーンの文学論は学者の間で非常に高く評価されるようになってきたが、三十年前、ハーンといえば『怪談』の著者ぐらいにしか思われていなかったころの話である」という。わたくしもまた外国人が日本の民話をやさしい英語で書いたのでたまたま教科書にのっているのだと思っていたので、ハーンが全集がでるような作家であったこと(これはいつどこで何語ででた全集なのだろう?)、その文学論を端倪すべからざるものであると評価するひともいるひとかどの文学者であったらしいことを知ってびっくりした。(渡部氏の大学学部の卒論はハーンを論じたものであるらしい。)
それから福田恆存氏だったと思うが、ハーンの文で紹介されている当時の普通のひとの生活を、いまどきこういう落ち着いた生活があるだろうかといった筆致で書いていたのが記憶に残っている。今さがしてみたら、「消費ブームを論ず」(福田恆存評論集 6」新潮社 昭和41年)という文章で、山本夏彦氏が「室内」の「日常茶飯事」という欄に書いていた文章を紹介したものだった。、明治30年ごろのある女性の生活である。その女性の夫の後妻にいったひとがハーンの家でつかっていた奉公人であったということで、先妻の残した日記をハーンはほどんどそのまま英語にしたらしい。福田氏はいう。「昔はあつたのに今は無くなつたものは落着きであり、昔はなかつたが今あるものは便利である。昔はあつたのに今は無くつたものは幸福であり、昔は無かつたが今はあるものは快楽である。幸福といふのは落着きのことであり、快楽とは便利のことであつて、快楽が増大するほど幸福は失はれ、便利が増大すればするほど落着きが失はれる。」
山本夏彦−福田恆存の路線であるからいかにもであるが、とにかくその夫人の生活をハーンがわざわざ英語にしたということは、ハーンにとってはその女性の質素で実につましい生活が何事かであったのである。幕末から明治にかけて日本にきた一部の外国人には日本人の生活が落ち着いて幸せにみえ、自分たちの生活が慌ただしくて不幸に思えたのである。その当時の日本人の生活が落ち着いていたか幸せであったのかについては、落ち着いているとか幸せであるとかが学問的に議論することなど、そもそもほとんどできないことである。自分が幸せであると思っているひとに、あなたは事実は不幸なのだ、ということが成立するかということである(そういうことを自分の仕事の使命にしているひとは多いだろうと思う。いい例ではないかもしれないが、一時のフェミニストは、多くの女性に、あなたがもし自分が幸せであると感じていたら、それは体制側のイデオロギーに目を曇らされているからで、事実はあなたは体制を支配している男性側の宣伝に洗脳されている不幸であわれな存在にすぎないのだ!、というようなことをいっていたような気がする)。しかし彼ら外国人がそのころの日本人の生活を落ち着いて幸せと見たということは事実なのであるから、その事実の部分こそが、学問になりうる部分なのではないかと思う。
これで終わりであるが、この第6章の冒頭で「文化相対主義」の問題が論じられているので、そのことだけ、また稿をあらためて考えてみたい。

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