ワクチン3回目

 昨日3回目の新型コロナワクチンの接種を受けた。接種部の軽い痛み以外には特に副反応はない。(1・2回目も同じで、わたくしは、副反応は軽いほうのようである。)接種は3回ともファイザー製のワクチン。
わたくしの場合は、少し特殊なケースで、1・2回目の接種は医療従事者として、昨年4月5月に早めに受けた。昨年10月ですべての仕事から離れたので、医療従事者ではなくなったわけだが、昨年5月から8ヶ月後ということで1月接種の連絡が自治体から来たのだろうと思う。昨年6月に第一回目を受けた配偶者にはまだ自治体からの連絡はない。
 わたくしは最初の2回は住んでいる自治体の外の病院で接種を受けたわけだが,自治体から来た3回目接種の案内には、勤務先で受けた1回目・2回目の摂取の記録、受けたワクチンがどの会社のものかまできちんと記載されていた。このようなシステムを構築するのはとても大変であっただろうと思う。
 多分、一番大変なのはワクチンの需要予想で、ワクチンが足りなければ、いくらシステムをしっかり構築してもうまく運用できない。そしてウイルスがいつどのような変異をおこすか、それがどのような変異であるか?は誰にも予想できないわけであるから、ほとんど予想は博打のようなものになるのではないかと思う。
 誰でも損はしたくないから、大量に備蓄しておいて、結局使わずに廃棄したというようなことは避けたい。それで状況をみてワクチンを追加発注するということになり、感染が拡大すると後手にまわるというようなことになるのであろう。
 ウイルスの専門家というひとがいろいろなところでいろいろなことを言っているが、彼等は一般論の専門家であって、個々のケースについては別に占師と変わるところはない。
 未来のことは誰にも分らないので、一寸先は闇である。養老孟子さんがいう「都市主義」、ああすえばこうなる、あらゆることが(科学の知見で)操作可能であるという信憑が揺らいだわけである。
 昔、地震予知連絡協議会というのがあったが、予知が不可能だと解り、地震予知の看板を外したという話をきいたことがある。本当は地震の予知など不可能であることは最初からわかっていたが、研究がすすめばそれが可能になるような顔をして政府から金を巻き上げていたのだという見方をするひともいるらしい。
 今「新型コロナウイルス感染終焉時期予知検討協議会」などというものを作り、喧々諤々議論を戦わせても、結局、サイコロを投げるのと特に変わらないということになるはずである。
 あらゆることに科学による操作で対応が可能である(ワクシン接種ももちろん科学による対応の一つである)という信憑がゆらぎ、人間がもう少し謙虚になれば、一連の新型コロナウイルスパンデミックへの見方も少しは変わってくるのではないかと思う。