言語と国境線

 
 林達夫氏が敗戦後のアメリカ占領下で書いた「新しき幕開け」という文に以下のようなところがある。「あの八月十五日の晩、私はドーデの「最後の授業」を読んでそこでまたこんどは嗚咽したことを思い出す。」
 この「最後の授業」は仏独国境で当時はフランス領であったアルザス・ロレーヌ地方での話で、独仏戦争でフランスが敗れた結果、明日からフランス語の教育が禁止されドイツ語の教育になるという時代を描いたものである。世界に感たる美しいフランスが禁止され、野蛮な?ドイツ語になるということの怒りと悲しみを、あるいは戦争に敗れることの悲しみを描いている。

 しかし、ある時、篠沢秀夫氏の「フランス文学講義」を読んでいたらこんなことが書いてあった。「アルザス・ロレーヌという地方は、ドイツに帰属する。・・アルザスの人の名字はみんなドイツ語なんです。・・ドーデは南フランスの人間でアルザスのことはよく知らない。・・」
 アルザスのことを知らないパリあたりのフランス人、ありはもっと知らない日本人読者は、大日本帝国が朝鮮や台湾でやったようなことをドイツ人はフランスでやったと思っている。
 しかしアルザスでは日常ではドイツ語を使い、学校でフランス語を学んでいたのだ、と。われわれが英語を学校で勉強するのと同じに。

 なんでこんなことを書いているのかといえば、もちろん最近のウクライナ情勢をみてである。ウクライナとロシアは国境を接する。現在ウクライナに帰属しているあたりは、ロシア語が日常にもちいされるところも多いらしい。
 ロシアの現大統領としては、ソ連の崩壊によって本来自分の支配下にあったロシア語を母語とする地域が、西欧側に組み込まれてしまった、と感じても特に不思議ではないように思う。

 ウクライナの大統領としてはどうなのだろう。西欧文明圏への志向があることは明らかなようにおもわれるが、ウクライナ語圏を守るというような意識もあるのだろうか?

 日本は海に囲まれていて、しかも言語も日本語を母語とする国は日本だけであるので、ナポレオンの時代からナチスドイツの時代を経て現在まで、国境線の変更を繰り返してきたヨーロッパに住む人の感覚や感情は、なかなか肌感覚としてはわかりにくいところがあると思う。

 そして宗教の問題もある。ロシア正教がいかなるものであるかということは、ほぼ脱宗教を果たした日本人には理屈ではともかく、肌感覚としてはまず理解不能であろう。
 そして他国から侵略された経験も元寇以来いらいない(あるいはアメリカのB29の焼夷弾爆撃を除いては)ないという国である。

 今回のウクライナの事態は、日本がいかに特異な歴史を持つ国かということも明らかにしているように思う。
 
 ロシア語とウクライナ語はきわめて近い言語であるらしい。かつては、インテリはロシア語を話し農民がウクライナ語を話すという時代もあったらしい。そのロシアも、かつては上流階級はフランス語を話すという時代もあったわけである。
 
 日本の敗戦後でもさすがに英語を公用語にという話は出なかったようである。しかし、それは現代の会社では行われていて、日本人同士がカムカム英語で話をしている。滑稽で悲惨としかいえない光景である。

 わたくしは日本国憲法戦争放棄条項というのは、日本の兵隊さんがとんでもなく強かったため、アメリカがもうこいつらとは二度と闘いたくないと思ったためにできたのではないかと思っている

 今の日本の世論がえらくウクライナに同情的であるのは、一般的には判官贔屓というということであろうが、明白な戦争犯罪にたいし一切抗議できなかったという過去のうっぷんを、今はらしたいと側面もあるいは混ざっていないとも限らないと感じている。