近藤誠さん

 近藤誠さんがなくなったらしい。
 近藤さんほど医者仲間から嫌われていた医師はあまりいないのではないかと思う。何だか変なことをいっている医者というのはいくらでもいるがが、近藤氏は過去にきわめてすぐれた業績のあるかたであり、おそらく日本の乳がん治療を孤軍奮闘で変えたひとである。
 これは乳がんが局所の病気であるか全身の病気であるかという病気に対する認識の違いから生じる問題である。

 以下は、日本乳がん学会の乳がんの手術法への説明の一部である。
 「乳がんは,初期の段階では乳房内にとどまり,次第に乳房周囲のリンパ節に転移を起こし,さらにリンパの流れや血液の流れに乗って全身に広がっていくとの考えから,かつては乳房やリンパ節にとどまっているがんを取り切る目的で,広範囲の切除が行われていました。ハルステッドの手術(乳房切除+大胸筋,小胸筋,腋窩(えきか)から鎖骨下リンパ節の切除),といった方法がその代表です。しかし,近年では乳がんは,比較的初期の段階から,がん細胞の一部は全身に広がるという考え方が主流になり,乳がんが治るかどうかは,どれだけ広くがんを切除するかということよりも,手術をした時点で,目にみえないがん細胞が全身に残っているかどうかと,薬物療法でそれらを死滅させることができるかによって決まる,ということが知られるようになってきました。そのため,現在は必要以上に大きな手術を行うことはなくなりました。」

 このハルステッド手術から縮小手術への転換にほとんど孤軍奮闘したのが近藤氏であったのだと思う。

 ここには日本の医療にひそむいくつかの問題が集中的にあらわれてきているように思う。
1) 癌の治療は外科の分野で放射線科の医者や内科の化学療法医など俺たちの治療が行き詰まったときの尻ぬぐいをすればいいのだ。放射線科の医者や化学療法専門家が最初から治療法に介入するなど言語道断! 専門分野間の交流の不足。(因みに近藤氏は法放射線科医 若いときから「乳がんは全身病で、局所切除の後、早期から化学療法・放射線治療を併用すべき」と主張していた。)
2) 下の者は上の者に従え! 上のものは長い間の刻苦勉励にいまの境地に達したのだ! ろくにまだ勉強もしていない若造が上のものを批判するなど言語道断!

当時、わたくしが乳がんの患者さんを大塚の癌研に送ったら大胸筋をふくむハルステッド手術をうけて帰ってきた。おそらく当時の先生方は「女ってなんて馬鹿なんだ! 容姿と命がどっちが大事なのだ!」と思っていたのだろうと思う。

 しかし、いつの間にか近藤氏は「患者よ! 癌と闘うな!」というひとになっていた。
 わたくしが外勤である病院で外来をしていた時、乳がん末期の患者がみえた。「花がひらいた」状態であった。これは医者同士の隠語であるが、これがどれほど悲惨な状態であるか医療関係者であれば誰でも知っている。「どこか病院にかかられていますか?」ときくと「近藤先生のクリニックに通っています」という。患者さんもこのままでいいのかなと迷っている様子であったので、一応、近藤氏への返信と他のクリニックに紹介状を書いたけれどその後はしらない。
 もちろん癌とたたかわなかったほうがよかったひとはたくさんいる。闘ったけれども、副作用でとことん苦しんだひともまた多くいるはずである。しかし、どのような治療をするのかを選ぶかは患者さんの権利である。
 だが、患者さんは素人であり、医者はプロである。結局は医師の提示する治療法を選ぶことが圧倒的に多くなるはずである。その中で一つの選択肢として近藤氏の論が提示されることにはまったく問題ないと思う。しかし近藤氏が医師として患者さんに自説をおしつけることはやはり大きな問題が残ると思う。
 近藤氏は「ガンと闘うな」という自説の根拠となる資料を残さなかったと思う。氏はそれを提示していると主張しているようであるが、わたくしは寡聞にしてそれをしらない。
 氏は慶応大学医学部放射線科の万年講師として大学生活を終えている。おそらく大学ではつまみもの扱いというかほぼ存在自体を無視されるような状態だったのではないかと思う。
それなりの地位を得れば、学内でも業績を残せたひとではなかったか思うが、おそらく乳腺外科の先生方などには蛇蝎のごとく嫌われていただろうから、そうもいかなかったのだろうと思う。