胃癌リンパ節の拡大郭清

 昨日、 近藤誠氏のことを書いていて、わたくしの現役のころさかんにいわれていた胃癌リンパ節の拡大郭清のことを思い出した。胃癌に限らず、腫瘍は周囲のリンパ節に転移をおこしていくわけで、もちろん周囲のリンパ節→もう少し遠いリンパ節→さらに遠いリンパ節という順に転移が起きる確率は大きいわけであるが、そうであるなら、可能であればなるべく遠いリンパ節でもそれをとっておけば再発率はへるはずであるという仮定のもとで、胃癌の手術時になるべく広範囲のリンパ節を郭清することが試みられていた時代があった。
 それでネット検索で以下のような記事が見つかった。2008年のもの。

 胃癌リンパ節の拡大郭清 (D3) に有用性は認められない―胃癌治療ガイドライン速報版より
 胃癌治療ガイドラインでは,進行胃癌に対して2群リンパ節郭清を伴う胃切除が日常診療として推奨されているが,3群郭清の意義については不明であった。・・・症例を,D2郭清群とD3郭清群にランダム化し,その遠隔成績を比較した。その結果は期待に反して,D2郭清した群とD3郭清した群の5年生存率は,それぞれ69.2%と70.3%であり差が認められなかった。したがって,根治可能な進行胃癌の予防的郭清として,大動脈周囲リンパ節郭清は行うべきではないと結論づけられた。
 進行胃癌に対して,D2郭清に3群 (大動脈周囲リンパ節) の郭清を加えることにより,リンパ節再発が防止され,術後生存率が改善されることが理論的には期待できる。・・・。そのような期待の中で行われた試験であったが,大動脈周囲リンパ節郭清の有用性は否定された。・・・したがってガイドラインの日常診療でD2郭清を伴う定型手術には変更なく,臨床研究としての拡大手術 (郭清) は削除されるべきであろう。・・・

 なんだか未練たらたらの感じなのだけれど、どう考えても生存率が上昇するはずの手術をしているはずなのに、なぜかそれがランダム化試験でその有効性を示すことが認められなかった。まことに悔しく残念無念であるが、3群郭清手術は今後はやめるしかないだろう―という感じである。

 ようするに拡大郭清に命をかけていた外科の先生方がたくさんいらして、そういう先生方の一部が胃癌手術の分野の権威となっていたわけである。そういう先生方にとっては上記の結論はほとんど自分の半生の否定のようなものである。上記論文の「期待に反して」にその残念無念の気持ちがよく表れているように思う。

 医学生になったころの授業で整形外科の先生がこんなことを言っていた。「俺はずっと小児麻痺の整形外科的治療を研究してきた。しかし小児麻痺という病気が無くなってしまった・・・。」
 
 今、肝臓病でも似たようなことが起きている。主たる肝臓疾患である、B型・Ⅽ型肝炎が投薬で簡単に治癒あるいは沈静化できるようになったからである。

 若いころ、胃がん拡大手術の権威の講演をきいたことがある。
 海外に拡大手術の指導にいったときの話。「ダメなんだ。みんな死んじゃう。やつらテンで不器用なんだ。しかも手がバカでかくて狭いところに入らない。あれじゃダメだ。やはりこれは日本人じゃなきゃできない。
 だいたい彼ら、内視鏡検査だってろくにできない。そんなやつらが大邸宅に住んでド派手な生活をしている。おれなんか都内の狭いマンションに住んでいるのに・・・。」

 たしかに日本人がとても器用なのは間違いないらしい。また上記のような拡大郭清への挑戦が可能になったのも麻酔技術の長足の進歩によるところも大きい。手術時間への制約がなくなれば、手術で可能なことも広がってくる。

 そういうことを背景に拡大郭清につきすすんだのであろうが、医学というのは結果がすべてで、いくら偉いさんがいうことでも、二重盲検で否定されればそれでおしまいである。

 ようやく医学も科学になろうとしているのだと思う。
偉い さんが、「俺が黒だといったら、白いものでも黒だ!」というのが段々と通じなくなってきている。