山本武利 「朝日新聞の中国侵略」 文藝春秋社 2011年

 何だかどぎついタイトルであるが、朝日新聞社が中国を侵略したということではない。内扉の文をそのまま引用すれば、「昭和十四年元旦、日本人居留民が激増する中国の上海に日本語新聞が創刊された。その名は「大陸新報」。題字は朝日の緒方竹虎が筆を執り、近衛首相、板垣陸相の祝辞が並ぶ立派な新聞である。この「大陸新報」こそが、帝国陸軍満州浪人と手を結び、中国新聞市場支配をもくろんだ朝日新聞社の大いなる野望の結晶だった。「正義と良心の朝日新聞」がひた隠す歴史上の汚点を、メディア史研究の第一人者が、半世紀近い真摯な朝日研究の総決算として、あえて世に問う。」
 要するに、大東亜共栄圏が実現し、中国に多くの日本人が移住するようになれば、日本語新聞の需要も飛躍的に増えるだろうから、軍部と協力してあらかじめその需要を先取りしておさえてしまおうとする、中国における朝日新聞の動きを克明に追った、というような本である。
 10年以上も前の本で、もともとは「諸君!」2004に掲載した論文に加筆したものらしい。20年くらい前の「諸君」をふくむ右側メディアは左叩き、「朝日」叩きに熱心だったので、その一環として書かれたものかもしれない。
 今となっては誰が叩かなくても、朝日新聞はもはや青息吐息、いつまでいきのびられるか、という状態のようだから、このような本が書かれる必要もなかったのかも知れない。
 わたくしが感じるのは、戦中の朝日新聞大東亜共栄圏といったものを本気で信じていたのではないかということで、決して軍部から強いられて延命のためいやいや迎合記事を書いていたのではないのだろうということである。
 そして敗戦により連合軍占領下になると今度は面従腹背ではなく、本気で占領政策を支持し、日本の解放の先兵たらんとしたのではないかということである。
 この辺りのことを考えると、いつも想起するのが林達夫の「新しき幕明き」である。(「共産主義的人間」中公文庫 1973年) そこにはミケランジェロの「物曰うなら、声低く語れ!」という言葉が引かれ、「・・・人のよい知識人が、五年前、「だまされていた」と大声で告白し、こんどこそは「だまされない」と健気な覚悟のほどを公衆の面前に示しているのを見かけたが、そういう口の下から又ぞろどうしても「だまされている」としか思えない軽挙妄動をぬけぬけとやっていたのだから、唖然として物を言う気にもなれない。」

 何でこの本を読む気になったのかというと、この稿の前に紹介した「祖国に還える」からであると思う。どちらも朝日新聞が関係している。