岩田健太郎「新型コロナウイルスの真実」(2)

 本書での岩田氏の関心はかならずしも狭義の新型コロナウイルス感染の問題にはなく、この感染流行から露呈されてくる日本の抱える様々問題を指摘することにもあるように思うが、まず巻頭におかれた狭義の医学的論議から見ていく。

1)ウイルスとは何か?: 専門家でない人間にとっては、ウイルスは抗生物質が効かないもの、その反対に細菌とは抗生物質が効くもの、と理解していれば間違いない。
2)新型コロナウイルスとは?: コロナウイルスは従来からは4種が知られていて、普通の感冒の原因となっていた。5番目がSARS(2002年)、6番目がMARS、7番目が今回の新型コロナウイルス。(わたくしは誤解していたが、COVID-19というのはウイルス名ではなく、疾患名らしい。)
3) 新型コロナウイルス感染症は、a)最初の症状はほとんど通常の感冒と同じ。感線しても無症状のまま終わってしまうひとも多く、8割の人は無症状か軽症でおわる。残りの2割は1週間くらいの感冒様症状の後、症状が重篤化する。無症状者、無症状期の感染者も他への感染源となりうる。
4)新型コロナウイルス感染症では高齢(といっても40歳以上をいう)ほど重症化しやすい。亡くなるのは80代から90代に多い。
5)今回のウイルスでは(北海道の経験からは8割のひとは他に感染させない。残り2割がたくさんのひとに感染させている。したがってクラスターが問題となる。岩田氏が本書執筆の時点では患者さんのほとんどはクラスターから感染している。電車やバスでの感染はそれほどないし、街をあるいていて感染することはほとんどない。
6)PCR検査の問題:PCR検査の感度は6~7割程度。ということは陰性であっても3割の患者は見逃される。(逆に、陽性であれば、ほぼ感染していることは確実といえる。)
7)以上から100パーセント確実にコロナウイルスへの感染を言い当てる方法はない。とすれば従来からの医療のスキームである《早期診断、早期治療》という方向を今回はとれない。
8)したがってわれわれが従来から持っていた価値観や世界観を捨てないと、今回のウイルスには立ち向かえない。立ち向かえないならその方向をすてなければならない。
9)必要とされるのは「正しい診断」ではなく「正しい判断」であり、その根拠になるのは検査データではなく、症状である。
10)正しい診断名を求めるのではなく、そのひとにどのような対応が必要とされているかの判断が大事である。家に帰して経過をみてもいいか、入院をさせるべきかの判断である。
11)従来からある疾患でこれに似た感染症としてインフルエンザがある。なぜならインフルエンザ診断キットの診断精度はそれほど高くないからである(6割程度)。日本の医者は検査好きなので、すぐに検査をして検査の結果で陽性ならインフルエンザ、陰性ならそうではないと診断している。の場合でも求められているのは正しい診断ではなく、正しい判断なのであるが。
12)今度のコロナウイルスの流行によって、インフルエンザ・キットでの検査過程で患者さんの飛沫をあびて、その結果、医者がコロナウイルスに罹患したケースがでてきて、今年3月、日本医師会はみだりにインフルエンザの検査をしないこと、臨床症状で判断するようにというということを言い出した。(これは岩田氏がもう何十年も前から主張していたことであるのに、ようやくそうなったと岩田氏は本書で書いている。大事なのはインフルエンザ治療薬を出すべきか否かという臨床判断であって、検査が陽性かどうかではない、それがようやく認知されるようになった、と。)
13)だから、日本政府のコロナ対策は概ね正しいと考えると岩田氏はいう。4日間症状が続いたら病院にいくといった方針は、最初から正しい診断を放棄するということであって、もともと正しく診断するという方法論に無理があるのだから、日本のやりかたは間違っていない、と。

 とりあえずここまでが第1章で、本書の「あとがき」の日付が3月23日であるから、すでにそれから1ヶ月以上がたっている現在、上記の内容について岩田氏が見解を変えた部分もあるかもしれない。それはこういう緊急出版的な書物のもつ宿命であって、それはやむを得ない。それを前提に以下、少し感想を書いてみる

 まず、従来からあるインフルエンザ診断キットの診断精度が60%くらいとは思っていなかった。もっと高いような気がしていた。外来で臨床経過からまずインフルエンザをうたがって検査をする場合、キットで陽性とでる確率は80~90%はあるように思っていた。発症からあまり早期では診断能が下がるとされているが、発症から半日くらいたっていれば臨床的にインフルエンザを疑う場合の陽性率はそのくらいあるように感じていた。「日本の医者は検査好きなので、すぐに検査をして検査の結果で陽性ならインフルエンザ、陰性ならそうではないと診断している。」というのも事実であると思うが、検査が好きなのではなくて、臨床に熱心なのだと思う。
 診療所で患者さんを診ている場合、心電図やレントゲンはそこで検査できるとしても、検体検査は通常は外注であるので結果がでるのに半日から一日かかる。しかしインフルエンザ・キットはその場で10分たらずで結果がでる。インフルエンザには特効薬がある。とすると診断から治療までが外来に患者さんがきたその時点で完結する。それが熱心な先生方にとっての快感なのではないかと思う。
 インフルエンザには特効薬があるといっても、高々、発熱の経過を1~2日短縮できるだけである。そうであるなら基礎疾患をもたない患者についてはインフルエンザと診断がついても特にインフルエンザ薬を処方せず、家であたたかくして寝ていなさいという対応もありうるわけである。事実、インフルエンザ薬の処方の半分は日本でされているという話をきいたことがある。それは日本が医療機関へのアクセスへの敷居がきわめて低いことも多いに関係していると思うが、日本では診断がついてそれへの薬がある場合に、その処方をしないということはまず考えられないからである。
 『今年3月、日本医師会はみだりにインフルエンザの検査をしないこと、臨床症状で判断するようにというということを言い出した』というのは事実ではあるが、それはインフルエンザの確定診断の利益より新柄コロナウイルス感染のリスクのほうが大きいという現時点での判断による臨時的な対応であり、日本医師会が方針を変えたのではなく、今回のコロナウイルス感染の流行がおさまれば、また従来のやり方の戻るのだとわたくしは理解しているのであるが、違うのだろうか?
 ここでも一番の問題は《正しい診断ではなく正しい判断》が大事なのであるという主張、ひいてはPCR検査をどの程度積極的におこなうべきかという問題である。日本のPCR検査数は先進国としては例外的に少ないといわれていて、それが感染者数の見掛け上の少なさということにつながっているとして、感染の実態が把握されていない、日本の感染者数は過少に評価されているのではないかという批判を世界からうけているらしい。この点については岩田氏は大筋においては今までの日本のやりかたは間違ってはいなかったという立場のようである。
 この点については、わたくしはまったくの不勉強で特に意見を持たないが、一般に今回のような感染症の場合には、感染の拡大の時期と広がりによって対応の方向が変わるらしい。感染拡大の初期においては、クラスターの把握とそこに関係したひとの網羅的な検査が重要であるらしい。しかしある程度広がってしまった場合には、現在行われているような行動変容の要請をしながら、その効果をみていくという方向に転換することになるらしい。そしてその効果判定の一つのツールとしてPCR検査も使われうるということのようで、現在の日本でのPCR検査数は明らかに他国と比べても少なく、それによって感染の実態が過小評価されているという批判を他国から受けるようになっているらしい。
 臨床の末端にいる人間の実感としてはやはりもう少し普通にPCR検査ができるほうが臨床の自由度は増すように思う。通常の臨床において念のための検査というのはしばしばおこわなれている。まず、この病気ではないと思うが、万一そうであるといけないから念のための検査というのはよくおこなわれている。せめて、それに使える程度には検査ができる体制になってもらいたいと思う。わたしのような竹の子医者は、念のためと思ってCTをとったらびっくりというような経験を少なからずしているからである。
 「必要とされるのは「正しい診断」ではなく「正しい判断」である」のだとしても、正しい判断をつねにおこなえるわけでもないのだから、検査を出すというのも正しい判断を下せなかった場合の安全ネットとして機能することもあるのだろうと思う。
 この患者さんの病気は何かということを議論しだしても意見が一致しないことはしばしばある。その場合どこからか機械仕掛け神様がでてきて、超越的な立場から裁定をしてくれないと議論は無限退行に陥ってしまう。現在、医療の場において、その神様の役割をしているのが病理診断である。病理診断もしばしば過つ。それは臨床をはじめてしばらくするとどんな医者でも痛切に感じるところである。しかし、そうであっても生検の病理診断が胃がんとかえってくれば、「ぼくの判断は胃がんではない」といってそれを無視することはなかなかできるものではない。病理診断ほどではないにしても、血液検査をふくむ検体検査もそれに近い役割を臨床で果たしていると思う。
 もちろん、岩田氏がいうのは臨床で大事なのは、「インフルエンザ治療薬を出すべきか否かという臨床判断であって、検査が陽性かどうかではない」ということであり、「家に帰して経過をみてもいいか、入院をさせるべきかの判断であるか」ということである。昔、ある確か電解質バランスについて書いた本を読んでいて、その著者が「医者が外来をやっていて考えているのは、ただ一つ、この患者ひょっとして急変して夜、救急車で舞い戻ってくるということはないだろうな!」ということだけであって、診断名は何かなどということはほとんど念頭にない」ということを書いていて、妙に記憶に残っている。たいがいの病態は医者の診断や介入とはかかわりなく自然に勝手に治ってしまう。新型コロナウイルス感染症も多くは不顕性感染であり、発症しても軽微な症状の場合が多いが、一部症例ではある時から急激に悪化するとされている。だから、「家に帰して経過をみてもいいか、入院をさせるべきか」の判断が非常に難しい。もしも、ある程度の確率で感染の有無を簡単に判定できる方法があれば、「家に帰して経過をみてもいい」症状の患者であっても、「もしこういうことが出てきたら、すぐに相談のこと」といったアドヴァイスをあらかじめしておくことが可能となる。
 今朝の新聞に「37.5度以上が4日続くこと」といった従来の検査推奨基準が変更されたことが書かれていた。従来からの方針は明らかに検査抑制を意図してきたように思われる。私見であるが、それが必要とされた最大の理由が、検査の必要の可否の判定や検体の運搬に保健所が主としてかかわる体制で検査体制が構築されたことにあるのではないかと思う。私見では保健所というのは独自の指揮命令の権限をほとんどあたえられていない。そこに過重な負荷をかけるような仕組みでは、それがうまく機能しないのもやむをえないと思う。
 かりに日本のコロナウイルス対策がそれなりにうまくいったのだとしても、それは意図した結果としてそうなったのではなく、日本の従来からの保険医療体制の制約からたまたまそうなったのであって、いわば怪我の功名に過ぎないかもしれないということは十分にありうることのように思う。これは本書の後半(p130以降)で論じられる「日本にCDCに相当する機関がない」という問題ともかかわると思われるが、その点についてはまた別に論じたい。

新型コロナウイルスの真実 (ベスト新書)

新型コロナウイルスの真実 (ベスト新書)

岩田健太郎「新型コロナウイルスの真実」(1)

 奥付では2020年4月20日刊になっているが、先々週から書店には並んでいたように思う。「あとがき」の日付は3月23日。出版を急いだため、口述したものから文章を起こしたものらしい。
 「はじめに」、第一章「「コロナウイルス」って何ですか? 約35ページ。第二章「あなたができる感染症対策のイロハ」 約30ページ。第三章「ダイヤモンド・プリンセスで起こっていたこと」 約60ページ。第四章「新型コロナウイルスで日本社会は変わるか」 約55ページ。第五章「どんな感染症にも向き合える心構えとは」 20ページ弱。「あとがき」からなる。
 ここから見てとれるように、新型コロナウイルス感染とその対策の一般論についての記述は最初の70ページほどで、本書の著者が岩田氏でなければならなかった理由は第三章以下にある。そしてダイヤモンド・プリンセス号での氏の経験が第四章を書かせることになるわけであり、第五章も「どんな感染症にも向き合える心構えとは」も、そのタイトルから受ける印象とはいささか異なり、日本社会はこれからどのように変わらなければならないかについての氏のささやかな提言をふくんでいる。
 つまり、本書は日本論、日本人論という色彩を色濃く持っているのであり、岩田氏が本書を書こうとした動機もそこに根ざしているのだろうと思う。
 さて、雑誌「Voice」の最新号は、総力特集「どうする! コロナ危機」と題されていて、ここでも、新型コロナウイルス感染をきっかけに露呈されてきた日本の問題を指摘する論も多く、新型コロナウイルス感染拡大防止への日中韓の対応の差にそれそれぞれの国の歴史の反映を見る論もあった(日本では政府からの強制や強要がなく、呼びかけやお願いにとどまっている(躊躇鈍重の日本))。
 さらにこの「Voice」では、たまたま別に「韓国の教訓」という企画も組まれていて、小倉紀蔵というかたが「後手後手」「いきたたりあったり」「ぐずぐず」の日本を果断の韓国や台湾と比較して論じている。氏は日本のやりかたを帰納的な世界観であり、経験主義的な現場主義であるとし、それは戦後ずっと日本政治や日本社会の欠点とされてきた官僚主義、前例主義、事なかれ主義の表れであるともいえるし、法治主義、手続き絶対主義の枠内でのやりかたであり、平時の社会の安定には寄与してきたともいえるとしている。要するに日本社会は独裁的な政権が私権の蹂躙や強権の発動をする社会にはなりたくないと思っているのだ、と。
 しかし、これは何も日本だけの特徴ではなく、イギリスもそれに近いとし、ヨーロッパ大陸的な理性主義的人間観にそれは対立するのだといって、ヒュームの名をあげる。氏は、それを群島文明と呼んで、普遍主義、理念主義、本質主義、超越主義などを基盤とするヨーロッパ大陸主義と対比させている。この大陸的な演繹主義は日本の歴史においてはただ一度1930年から1945年の間に実現し、日本人はそこでの悲惨な記憶を絶対に忘れないだろうという。
 本書で岩田氏が述べていることは、官僚主義、前例主義、事なかれ主義、手続き絶対主義のために新型コロナウイルス感染流行への対応がさまざまな局面で後手にまわっている日本の現状の問題点の指摘と批判であり、それに代替する、もう少し普遍主義的なやりかたへの転換の提言ということになるのかと思う。
 そもそも科学は普遍主義への傾斜を持つ。医学があるいは医療が科学に属するか?といえばそれはそれで大問題であるが、本書での岩田氏の論はさまざまに考えさせるものがある。以下、稿を変えて、論じていくことにしたい。

新型コロナウイルスの真実 (ベスト新書)

新型コロナウイルスの真実 (ベスト新書)

VOICE(ヴォイス) 2020年 5月号

VOICE(ヴォイス) 2020年 5月号

  • 発売日: 2020/04/10
  • メディア: 雑誌

ある日の中小病院での外来

 昨日は、雨風が強い荒天ということもあったのかもしれないが、外来の患者さんが異様に少なかった。一つには先週から容認された患者さんと電話で連絡して問題なければ患者さんが指定する薬局に処方箋をファックスで送るというやりかたへの対応として10人くらいの患者さんには電話で対応したということがある。しかし、それでも少なかった。おそらく患者さんの側に現在最大の感染リスクがある場所(の一つ)が医療機関であることが広く認識されてきたためではないかと思う。
 不要不急の外出を控え、可能な限り在宅勤務が推奨されているなかで、医療機関への通勤と通院は例外であるとされている。わたくしは中央線で杉並から都心に通勤しているが、先日、自分の通勤人生ではじめて新宿-お茶の水間で座ることができた。在宅勤務の推奨はそれなりの効果はあげているのだろうと思う。
 一方、患者さんの側からみると、現在のいくつかの病院でのクラスター発生の報道をみれば、なるべく病院に近づきたくないと感じるのは当然である。現在、内科通院患者の多くを占めると思われる高血圧、糖尿病、脂質異常症の患者さんのほとんどには何ら自覚症状はないと思われる。そうであれば通院の目的のほとんどは検査をうけることと薬をもらうことである。であれば、電話で病状を確認して患者さんの地元の調剤薬局で薬を出してもらうという今回コロナウイルス対応のため一時的に容認されたやりかたはきわめて合理的である。高血圧の場合、すでに自己測定は自宅で可能である。検査についていえば、一定の地域ごとに検体検査とレントゲン・心電図などを請け負うセンターをつくれば、迅速性には欠けるかもしれないが、これまた対応可能と思われる。現在在宅勤務が推奨されているが、いわば在宅診療である。
 現在、一時的な措置として容認された電話での診療の体制が新型コロナウイルス感染の収束がなかなか見られないために長期化するようなことがあるとすると、患者さんの側につぎのような疑問が生じてくることは避けられないと思う。「今まで、毎月あるいは、二月・三月に一度、通院していたけれど、それは本当に必要だったのだろうか? 一年に一度の通院でも十分だったのではないだろうか?」 在宅勤務推奨が長期化すれば、働くひとの間で、「今まで毎日、会社に顔を出していたけれど、それは本当に必要だったのだろうか?」という疑問が生じて来ることが避けられないであろう、それと同じように。
 現在、不要不急の外出の自粛要請によって飲食店などの利用者が減るといったことで、様々な中小企業の経営が立ち行かなくなることへの懸念が多く報道されているが、実は日本の医療機関の多くも中小の零細企業である。最近、永寿総合病院とか中野江古田病院などでの新型コロナウイルスクラスターの発生が報道されている。報道でみるかぎり、その対応はきわめて拙劣であり、対応は完全に後手にまわっている。しかし、これらの病院はバックを持たない独立採算で運営されているのではないかと思う。院内で感染が確認された当初、これが報道されると、病院の経営が立ちいかなくなる。このまま数名の感染でおさまってくれないだろうかと祈っているうちに、感染がひろがってしまい、どうしようもなくなってしまった、というような経過なのではないかと、あくまでも推測ではあるが、思う。同じように院内感染が報道されている慶応大学病院、慈恵会医科大学病院や国立がんセンター病院などではそれにくらべれば、クラスター的な大きな感染拡大が今のところおきていないように思えるが、それはこれらの病院がバックを持ち、かりに新型コロナウイルス感染が報道されても病院が潰れるというような懸念を持つことなく早目の対応ができたということがあるのではないかと思う。また独立運営の病院はぎりぎりのスタッフでまわっており、不測の事態に対応できる人的な余裕に乏しかったというということも、それらの病院の対応が後手にまわることになった一つの原因であったかもしれないとも思う。
 現在、医療崩壊の危機ということがいわれているが、それは今後まだまだ増加する懸念のある新型コロナウイルス感染患者に対応できる医療機関のキャパシティがなくなってしまうということへの懸念である。しかし、不要不急の受診の抑制というそれ自体は正しい行動が続くと、多くは中小の零細企業からなりたっている日本の医療供給体制自体にもじわじわとその影響がでてくる可能性もないとはいえないのではないかと思う。
 アメリカやイタリアの医療の現状を報道でみていると、それぞれの国で抱えている医療供給体制や保険医療体制の問題点が浮き彫りにされていているように感じる。さまざまなに批判されてきた日本の医療供給体制であるが、それでもそれが存外、諸外国にくらべればまだ増しな体制であるのか、やはり根本的な対応を要する脆弱性をかかえているのかといったことがここ半年くらいのあいだに明らかにされてくるのではないかと思われる。

救急医療とCOVID-19

 この数日の新聞などの記事で、新型コロナウイルス感染のために救急医療が危機に瀕しているというようなことが多く書かれている。発熱などの患者が多くの救急病院で断られ、結果として最前線の一時救急を担当する救急センターにそういう患者さんが集中し、結果として本来そういう救命救急センターが本来担当すべき患者さんが入院できないケース増えてきているというのである。
 それで10日ほど前の外来を思い出した。「一週間前くらいからの頭痛が主訴の30台の女性が来ていて、吐いているので早く見て下さい」と看護師さんがいう。診察してみるとそれほどの重症感はないのだが、頭痛+吐き気は脳圧亢進を疑うのは医者の常識なので、念のためと思いCTをとったところ、どうも硬膜下血種がありそうである。しかも、ミッドラインシフトまでありそうである。あわててMRをとって確認、家族に連絡するとともに救急病院と連絡をとった。通常だとそれで終わりなのであるが、一向に転送先がきまらない。変な言い方だが、硬膜下血種は脳外科としてはとても“おいしい”症例のはずで、きわめて侵襲の少ない手術でほぼ確実に救命ができる疾患なので、いつもは“喜んで”とってもらえるのだが、なかなか受けてもらえない。「手術室が確保できない」というような理由である。こちらは文京区にある病院で、周囲には医科歯科や日本医大のような大きな救命救急のセンターがある。それでも駄目なのである。最終的にようやく東大でとってもらえたが、今までにない経験だった。
 最近、新型コロナウイルスの関連で、人工呼吸器が足りないというようなことがいわれている。しかし呼吸器という機械だけあっても、それを扱える医者がいなければどうにもならない。おそらく呼吸器の操作に一番熟達しているのはICU・CCUの医師とともに麻酔科の医師や呼吸器内科や外科の医師のはずで、そういう医師がコロナ感染対策にかりだされているのだろうか? あるいは呼吸器を一番所有している部署は手術室かもしれないので、呼吸器も一時的に新型コロナウイルス治療にまわされていたりするのだろうか?
 自分が研修していたときの経験では呼吸器管理が必要になった患者の受け持ちになったりすると(ARDSといった病名がつけられている場合が多かった)、その患者さんが自分の受け持ち患者のほぼ100%になったような感じで、その患者さんが安定するまでは、連日の泊まり込みが必須であった。だから、そういう呼吸器管理が必要な患者さんばかりが集まっている病棟を受け持っている医師や看護スタッフの苦労は察するにあまりある。
 そのためか、最近のマスコミの報道をみると、えらく医者や看護師などの医療関係者をもちあげている記事や報道が多く、それはそれで気持ちが悪い。ひと昔前の医療過誤叩きを競っていた時代とは隔世の感である。
わたくしのような外来診療だけを担当してものでも、診察をするからには病院にいかなければならないから《在宅勤務》は不可能であるし、診察行為では《密接》を避けることも不可能である。律儀な患者さんは診察室にはいってきて、「マスクをしたままで済みません」と言ったり、マスクを外そうとしたりする。「いえいえ、そのままで結構です」とはいうが、咽頭を観察するときには、外してもらわなければならない。
そうではあるが、わたくしはインフルエンザが流行しているときでも普通に診療していて(ワクチン接種はしているとはいえ)、数十年の間、一度もインフルエンザに罹患したことがないので、今度のウイルスもインフルエンザ・ウイルスとほぼ同程度の感染力であるとされているので、まあそれほどの危機感をもって診療をしているわけではない。
だが、それはこちらが、外来だけ担当しているからであって、すでにCOVID-19と確定している患者さんばかりを担当している医療者は全く、別であろう。自分が若いころに経験したやや似た経験としては、エイズが流行しだしたころにエイズ感染患者を担当したことかもしれない。採血などは看護師さんはやってくれずすべてこちらがやることになった。しかしこれは血液、体液を介した感染であるので、特別な感染防御などが必要とされたわけではない。
 今回、たまたま救急搬送に難渋した経験で、COVID-19感染流行が医療現場に様々に影響していることを実感することになった。
状況は1週間単位で変わっているので、もう1週間・2週間するとそんなのんびりした感想を抱くような状況では全然なくなっているかもしれないが、とりあえずの、現在、市中病院で外来診療をしている人間の感想である。

三浦雅士「石坂洋次郎の逆襲」(2)

 渡部昇一氏の「戦後啓蒙のおわり・三島由紀夫」(「腐敗の時代」1975年 初出「諸君! 1974年12月号」)は三島由紀夫、特にその「鏡子の家」、を論じたものであるが、昭和35年(1960年)の日本社会党委員長浅沼稲次郎刺殺事件から稿を起こしている。その犯人である山口二矢はその年の十一月に少年鑑別所で「七生報国」と「天皇陛下万歳」と書き残して自殺しているが、渡部氏は映画館のニュース映画で浅沼刺殺事件の映像をみて「戦後はこれで終わった」と感じ、そして、突然、この事件を解く鍵が前年に出版されていた三島由紀夫の「鏡子の家」にあると感じたとのだという。さらに後年の三島事件のテレビ映像に刺激されて読み返した小説が、石坂洋次郎の「青い山脈」と「山のかなたに」であったのだ、と。三島事件の時、三島も「七生報国」の鉢巻きをしていた。三島の死の後で読む「青い山脈」や「山のかなたに」は「恥ずかしいほど明るく、恥ずかしいほど楽天的で、恥ずかしいほど浅薄で、読むに耐えない底のものであった」という。
 しかし、昭和22年に当時山形県鶴岡市の高校生であった渡部氏が学校の図書館で読んだ「青い山脈」は膝に震えがくるほどの面白さであったという。そして西条八十作曲の映画「青い山脈」の主題歌が引用される。「若く明るい唄声に 雪崩も消える花も咲く 青い山脈 雪割り桜 空の果て 今日もわれらの夢を呼ぶ・・・」 過去は暗く未来は明るい・・。
 渡部氏の高校時代の先生は「石坂洋次郎の小説には、男のほっぺたをひっぱたく女が必ず出てくるな」といっていたという。「石坂洋次郎が『若い人』をはじめとする人気作の中に、女子大を出た知的な女教師を登場させ、その女主人公に男のほっぺたをひっぱたくシーンを用意したことは当時としてはなみなみならぬ小説技巧であった」と渡部氏はいう。昔の男は偉い者であって・・特に東北地方ではいつまでも男子尊重の念が強かったのであるから、そういう石坂の女性像は漱石が「三四郎」で美彌子を創造したのと同じで、まだ現実には存在していない女性の像を小説の中で造形して、「男のほっぺたをひっぱたく女が」が現実にも出てくることを石坂は期待したのだ、と。
 この辺りから少しずつ三浦氏の石坂洋次郎論に戻っていける。三浦氏はいう。石坂には「女を主体として描く」という特徴があるのだと。女は主体的に男を選び、男に結婚を促し、自分自身の事業を展開する主体なのだ、と。その理由として三浦氏が挙げるのが、日本の東北の苛烈な自然環境においては主体的な女なしに生活はありえなかったということを石坂氏が肌身に沁みて知っていたことと、石坂が母の経済的な才能と力量によって大学に進学できたことを挙げる。そして石坂氏が進学した慶応大学で柳田國男折口信夫に接することにより「女性が強いということこそが日本古来の姿であった」と徹底的に認識することになったのだ、と。「津軽の女は強くて主体的だが、じつはそのほうが人間本来の姿だと考えたのだ」と。「女は昔から強かったのだ」と。
 ここで、二つのまったく異なる主張に出会うことになる。渡部氏は石坂は現実にはまだ存在していない女性像を将来に期待して、筆の上で造り上げたのだというのに対し、三浦氏はすでに存在している女性像を、石坂氏はただ目鼻立ちをくっきりさせて提示したに過ぎないのだという。面白いことに、石坂氏も渡部氏も三浦氏もみな東北の出身である。
この両者の主張のどちらが正しいかを論じても意味がないだろうと思う。現実にどこかに石坂氏が描くような女性はいたかもしれないが、それはごく例外的な少数であった場合、両者の主張はともに肯定されうるからである。この場合、一番の問題は女性の経済的な自立ということであると思う。
 それで、わたくしの場合について少し考えてみる。わたくしが育った環境において、自分の周囲に働いている女性がいなかった。ほとんど全部が専業主婦であった。唯一の例外が看護師さんをしていた親戚で、最終的に大きな病院の師長さんをしたので、終生働いていたわけだが、夫君は社会主義協会の重鎮であった方で、生涯を社会主義の世界を地上の天国であると信じたまま終わったという、大変幸せな生をおくった方で、思想の世界に生きるひとの常として(なのかどうかはわからないが)家計の方面にはいたって疎い人であったので、奥さんが経済的の方面はもっぱら担っていたのではないかと思う。奥さんは夫君の思想的同志でもあり、ご主人が社会主義世界の実現のために邁進するのを支えることをいたって当然のこととしていたので、旦那さんが甲斐性のないので自分が家計を支えざるをえないというような感じ方は微塵も持っていなかっただろうと思う。おそらく政治の世界は男の世界と思っていたのではないかと思う。
 もちろん、専業主婦というのはほとんどの場合、家計の実権を握っているのであるから、家のなかでほんとうに権力を握っているのは女性ということになるのかもしれないが、わたくしの場合には周囲に働く女性というのは現実の像としてはほとんど知らなかった。
 「東北の苛烈な自然環境においては主体的な女なしに生活はありえなかった」というのは本当であろうと思うが、これは農家のことを指すのではないだろうか? 農家の嫁というのはまず労働力として期待されていたはずである。そしてまた、子という新たな労働力を再生産する存在としても。戦後のある時期、専業主婦というのが一部の女性の憧れの対象となったのは、労働力として期待されるのではなく一人の女性として望まれるという形が魅力的に映ったということがあるのではないだろうか?
 わたくしが最近強く感じているのが、自分が杉並という東京の山の手という新興の街でほとんどの人生を過ぎしてきたことが、自分に決定的に影響しているのではないかということである。
 堀田善衛氏の「若き日の詩人たちの肖像」をぼちぼちと少しずつ読んでいるのだが、そこで感じるのは堀田氏が金沢という歴史のある町に生まれたということが、堀田氏の様々なものへの視点に決定的に影響をあたえているということである。氏が若き日に東京に出てきてまず感じるのが東京という町の文化的な貧しさである。
 わたくしが小学校の頃、課外実習?で時々、学校のそとに出て田圃でザリガニを採りにいったりしていた。なにしろ、学校のすぐにある井の頭の線沿線は一面、田圃であったのである。それが次々に住宅地にかわっていったのであるが、それまで人が住んでいなかったところが住宅地にかわっていったわけである。何代にもわたって人が住み続けることではじめてうまれるような蓄積は皆無なわけである。堀田氏は金沢という歴史のある土地に生まれ、(没落しつつあるとはいえ)回船問屋という外に開かれた商家の出である。
 だから自分の生活の律するような自前の内なる規範がなかった。今から思うとわたくしが中学から高校にかけて抱いていたものの見方はなにがしかヴィクトリア朝的道徳に繋がるようなものである。あるいはそのころテレビで放映されていたドラマに描かれたアメリカの家庭像などにも無意識に感化されたのかもしれない。たとえば、「パパは何でも知っている」(原題は Father knows best 何といううまい訳であろうかと感心した。)
 そして、わたくしが中学高校時代に漠然と感じていた石坂洋次郎の像というのは、なにがしかアメリカ的価値観的なものの唱道者というものであった。渡部昇一氏が三島事件のときに感じたという石坂像と同じである。一言でいえば、「暗さ」がない。あるいは「影」がない。「後ろめたさ」がない。「深さ」がない。総じて、われわれが文学というものに期待している何か(たとえば太宰治的なもの)をほとんど欠いている。「明るさは滅びの姿であろうか。人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ」(太宰治:右大臣実朝)
 この三浦氏の提出する石坂洋次郎像が面白いのは、そういう旧来からの石坂像を見事にひっくり返している点にある。石坂洋次郎もまた「暗い」のだぞ! と。
 暗い石坂像はまた稿をあらためて。

石坂洋次郎の逆襲

石坂洋次郎の逆襲

腐敗の時代 (PHP文庫)

腐敗の時代 (PHP文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

鏡子の家 (新潮文庫)

若き日の詩人たちの肖像 上 (集英社文庫)

若き日の詩人たちの肖像 上 (集英社文庫)

  • 作者:堀田 善衞
  • 発売日: 1977/10/20
  • メディア: ペーパーバック

マスクが目立つコンサート(補遺)

 数日前に「マスクが目立つコンサート」などといささか呑気な記事を書いたら、状況が大きく動いている。25日の朝の通勤電車が何だがあまり混雑していないなと思っていたら、その後いろいろな集会がばたばたと中止とか延期になってきていて、わたくしがいったコンサートは2月24日(休日)のサントリー・ホールだけれども、そこの公演も27日からは中止または延期になってきているようである。
 新型コロナウイルス(COVID-19)感染症は医療の問題ではあるけれども、特別に有効な治療法がないという点では、魔法の弾丸(抗生物質)発見以前の世界である。もちろん、医療技術は進歩していて、現在のCOVID-19感染症治療で大きな役割を演じていると思われる人工呼吸器などは抗生物質以前の医療の場にはなかった。しかし重症化し、呼吸器装着にいたった患者さんのなかで回復し元気で退院できた患者さんがどの程度いるのだろうか? そういったデータはまだ十分には開示されていないように思える。
 報道で目にする医療現場では医療者はみな防御服をきている。特効薬がないとすれば、「ときに癒し、しばしば和らげ、つねに慰む」の世界に戻っていると思われるが、あの防御服では患者さんを「慰める」ことはまずできないのではないかと思う。
 普段の臨床がなりたっているのは、医者が診断を間違おうが、見当違いの治療をしようが、自然治癒力で大部分の患者さんは自力で回復するからで、正確な診断と治療がなされなければ患者さんの回復はないのであれば、臨床の世界は間違いなく崩壊する。今回のコロナウイルス感染症でも、相当部分の患者さんは何らの治療も要さずに自然に回復しているはずである。
 今回の事態がわれわれにとって奇妙に見えるのは、疾患への対応について、《公衆衛生学》的対応が前面にでてきているからなのであろう。そういう対応が必要とされる事態をわれわれは長らく経験してこなかった。産褥熱という病気が医者が手洗いをするようになったことで激減したことはよく知られている。ある時期の日本の乳幼児死亡率の低下には上水の塩素殺菌が行われるようになったことが貢献しているらしい。
 マスク着用とか手洗いの励行が疾病対策の中心になるとか、人の移動の制限が対策になるというのは、いかにも原始的な対応のように思える。しかし、こういう経験は臨床医学というものをあらためて考えなおす一つのきっかけにはなるのではないかと思う。
 ちょっと例外的とは思うが、わたくしの医学部の同期生は、当初はすべてが臨床への道を選択した。基礎医学のほうに進んだものはひとりもいなかった。その後、臨床から研究の道に転じたり、厚生省に勤め行政のほうにいくようになったものもいるから、最終的には全員が臨床を継続したわけではないが、圧倒的な多数は臨床の医者である。
 「小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は国を癒す」のだそうだから、臨床医というのは結局小医である。それと比較して、おそらく公衆衛生の分野というのは、どこかで大医に通じる存在なのであろう。
 日本では公衆衛生分野の専門家自体が少なく、またそのため発言力も弱く、本来、その力が発揮されるべき今日の事態においても、その機会が十分にはあたえられていないのかもしれない。
 いま話題の?(炎上中の?)岩田健太郎教授は感染症の専門家である。その経歴をみても、第一線での臨床家であって、その抗生物質の適正な使い方の指南書などは多くの臨床家の座右の書になっているはずである。感染症分野というのは臨床医学のなかでは比較的公衆衛生と接する場面が多い分野であると思われるが、もしも公衆衛生の専門家がもっと強力な指導力を発揮していれば、あえて氏がクルーズ船の管理について発言することもなかったのかもしれない。
 日本では「わたし、失敗しないので」という医者が名医ということになっているらしい。しかし、そういう先生のところにいっても、現状では、COVID-19感染患者の全員が救命されるわけではない。
 臨床という行為の限界、それに何ができて何ができないかについて、さらに一般的にいえば、科学の分野でできることできないこととその限界について、今一度考え直してみる、一つのいい機会が現在あたえられているのかもしれない。
 もっと簡便で迅速にウイルスの有無が判定できる検査法を確立すること、有効な治療薬を開発すること、これらは科学の分野の問題である。今回のCOVID―19が既存の抗ウイルス薬で確実に対応できるものであったとすれば、今の騒動はおきていなかったはずである。
 わたくしが少し関係している肝臓病の分野でいえば、C型肝炎ウイルスをほぼ100%排除することが可能な薬剤が開発されたことが、多くの肝臓病医の今後の展望を厳しくしているといわれている。要するに、病気がなくなってしまえば、専門医もやることがなくなる。
 わたくしが大学を出たころはようやくB型肝炎ウイルスが特定されたころで、それにより輸血後肝炎といわれていたものの本態が少しずつ解明されるようになり、輸血後肝炎にもB型以外にも原因があることがわかり、それが仮称として一時非A非B型肝炎といわれていたものが、あるヴェンチャー企業がウイルスを同定することに成功したことによりC型肝炎と呼ばれるようになり、B型肝炎ワクチンが開発され、インターフェロン療法が試みられ・・・、ついにはC型肝炎については、ほぼ副作用なく、根治させることが可能な時代になった。B型肝炎ウイルスについてはまだ根絶可能な薬剤はなく、増殖を抑制する薬剤しかわれわれはもっていないが、それでもB型肝炎という病気がコントロール可能な疾患になったことは間違いない。また公衆衛生的見地からいえば、輸血のスクリーニングで輸血後肝炎がほぼ根絶されたことが非常に大きい。
 確かに科学がなしえてきたことは大きい(ただし、少なくとも肝炎の分野でいえば、それへの臨床家の貢献は微々たるものなのであるが)。
 そういう中で、手洗いとか隔離といったことが病気への対応策としてでてくると、なんだか時代が100年くらい戻ってしまったような感じをわれわれは抱く。しかし、「ホレイショーよ、この天地のあいだには、人智の思いも及ばぬことが幾らもあるのだ」というハムレットの言葉を思い出すことが、われわれには、時に必要とされているのだろうと思う。

マスクの目立つコンサート

 一昨日、昨日とコンサートにいってきたのだが、客席の過半のひとがマスクをしていた。電車に乗っても同じような感じだから異とするには足りないのかもしれないが、舞台の上のオーケストラの団員、合唱団員、ソロの歌い手、指揮者はもちろん誰もマスクなどはしていない。部隊上と客席の奇妙なコントラストだった。
 マスクの着用はCOVID-19感染予防にはそれほどの効果はないとされているにもかかわらず、かなりの普及である。こういうのを、人事を尽くして天命を待つとでもいうのだろうか? オペラシティでは客席の入り口に小さな消毒薬がただ置いてあっただけだが、サントリーホールでは入場者全員に手指のアルコール消毒を求めていた。
 昨今の感染対策について、批判の論、擁護の論、いろいろとあるようである。しかし、何となく「戦力の逐次投入」という印象がないではない。中国政府の武漢の封鎖というやりかたは、とにかく「戦力の逐次投入」でないことだけは確かである。はじめてその報道に接した時、他の方はどう感じたかはわからないが、わたくしは現代でもこんなことができるのだと驚いた。カミュの「ペスト」は今から80年くらい前の時代の想定である。その当時ならいざ知らず、現代でもこんなことができるのだと驚嘆した。
 クルーズ船での感染拡大対策について、いろいろな批判と擁護がでている。その対応にあたった方の多くがお役所にかかわるかたなのではないかと思う。そして、こういう事態への対応というものこそお役所がもっとも苦手とするところなのではないかと思う。
 神戸の震災での事態について中井久夫さんがこんなことを書いている。「有効なことをなしえたものは、すべて、自分でその時点で最良と思う行動を自分の責任において行ったものであった。・・・指示を待ったものは何ごともなしえなかった。統制、調整、一元化を要求したものは現場の足をしばしば引っ張った。「何が必要か」と電話あるいはファックスで尋ねてくる偉い方々には答えようがなかった。」 「状況がすべてである」というのはドゴールの言葉らしい。中井氏はいう。「ボスの行うべきことは、各人が状況の中で最善と判断し実行したことの追認である。」 そしておそらくお役人というのは「自分でその時点で最良と思う行動を自分の責任において行う」ことを最も苦手とする人たちなのではないだろうかと思う。昔読んだ「お笑い大蔵省極秘情報」という本で、その当時の大蔵省の高級官僚たちが自分たちがいかに優秀かを縷々語った後、しかし自分たちにも一つだけ苦手なことがある。それは前例のないことへの対応であるといっていた。高級官僚というのは過去の事例に先人がどのように対応したかについての膨大の資料をもっていて、つねにそれを参照して行動を決めるらしい。しかし、過去に先例がなくそれにどのように対応したかの記録がないものについては、どう対応していいか自分で判断することをきわめて不得手とするらしい。
 若い方はほとんどがご存じないかもしれないが、昔、洞爺丸転覆事件というのがあった。1954年(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号により起こった、日本国有鉄道青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故で、死者・行方不明者あわせて1155人とされる日本海難史上最大の惨事ということである。まだ青函トンネルがなく、青森と函館を連絡船がつないでいた時代のことである。この事件は作家の想像力を刺激するようで水上勉の「飢餓海峡」や中井英夫の「虚無への供物」を生んでいる。
 この洞爺丸転覆事故について福田恆存がこんなことを書いている。「驚いたのは、その最初の事件の報道と同時に、著名な「文化人」数名の転覆事故についての意見が掲載されていたことです。・・・誰も彼ももっともらしく、あるいは船長を責め、あるいは当局を難じ、あるいは造船技術について云々しております。だが「運が悪かった」といったひとはひとりもいませんでした。・・・」
 われわれは何かことがおきると、それに対してどうしたらいいのかと考える。どうしようもないという答えは想定されない。しかし、われわれにとってどうしようもないこともあって、それはわれわれはいずれ必ず死ぬということである。だから医療は必敗の科学などとも揶揄される。そうではなく医療の目的はわれわれが死ななくすることではなく、天寿を全うするようにすることなのかもしれないが・・・。
 今、オーストラリアは山火事で大変なことになっているらしいが、ごく最近、30年ぶりの大雨でそれが収束する見通しもでてきているらしい。しかし、この雨が別の大きな被害を起こす可能性もあるらしい。また、東アフリカではバッタの大量発生で多くのひとが飢餓に直面しているということである。自然の活動は時に人知をこえる。
 14世紀のペストの流行では一億人が死んだといわれる。当時の人口は4億5千万人くらいだそうである。
 史上最悪のインフルエンザといわれる1918年~1920年のスペイン風邪では世界人口の1/3が感染し、2~5千万人が死んだそうである(第一次世界大戦中で正確な資料がないらしい)。
 リスボン地震の厄災がヴォルテールの「カンディード」を生んだといわれる。こんどの新型ウイルスの感染拡大はわれわれのものの見方を少しは変えていくということがあるのだろうか?

1995年1月・神戸――「阪神大震災」下の精神科医たち

1995年1月・神戸――「阪神大震災」下の精神科医たち

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: みすず書房
  • 発売日: 1995/03/24
  • メディア: 単行本
お笑い大蔵省極秘情報

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福田恒存著作集〈第6巻〉評論編 (1958年)

福田恒存著作集〈第6巻〉評論編 (1958年)

  • 作者:福田 恒存
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1958
  • メディア:
史上最悪のインフルエンザ  忘れられたパンデミック

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