岩田健太郎「新型コロナウイルスの真実」(4)

 第三章「ダイヤモンド・プリンセスで起こっていたこと」は約60ページあり、本書で一番多くの紙数が割かれており、岩田氏がもっともいいたかった部分であろうと思われる。そしてそこでいわれるダイヤモンド・プリンセス号でおきていたことには、日本が持つある根源的な欠陥が露呈していると岩田氏は考えるが故に、続く第4章は「新型コロナウイルスで日本社会は変われるか」と題されることになる。
 わたくしのような感染症の公衆衛生学的側面にきわめて疎い人間にとっては、今回の新型コロナウイルス感染症につて、おれが何かただならぬもののようだなと感じるきっかけになったのは、一つは武漢の閉鎖であり、もう一つがダイヤモンド・プリンセス号での感染の急速な拡大の報道ではなかったかと思う。
後者はクルーズ船という閉鎖された空間での出来事であるから、素人からみればきわめて監視が容易で感染拡大防止対策がやりやすい状況であるように思えたからである。そして専門家が多数投入されているにもかかわらず、まさにあれよあれよという感じで感染が拡大していく報道をみて、わたくしなどは、このウイルスは空気感染をするのだろうか?などというまことにお粗末なことを考えていた。
 以下、岩田氏の主張を見ていく。
 2020年1月25日に香港でダイヤモンド・プリンセス号を下船した乗客の中から新型コロナウイルス感染者がみつかった。そのクルーズ船には3000人以上の乗客が乗っていた。当初、国は「とりあえず横浜港に停泊させて調べましょう」というくらいの軽い思いで多寡をくくっていた。ところが、横浜港で乗客数十人のPCR検査をしてみたら、なんとそのうちの10名から陽性の反応がでた。政府はそれで驚いた。
実は、クルーズ船は感染症に弱いというのは感染症の専門家の間では昔からの常識であったのだそうである。
しかし日本の官僚はそれを知らなかったから、「感染者は一人なのか、それなら大きな事ではない」と甘くみた。ところが案に相違して、感染者が多数見つかったので、厚生労働省はあわてた。それでDMATを呼んだ。これは災害派遣医療チームのことで、災害時のリスクマネジメントを専門としている部隊である。(もっとも、厚生省の直接の管轄下にいる医師団はDMATしかなったから、それを送るしかなかったということもいわれている。)
 一方、アメリカでは最初からCDC(疾病予防管理センター)を動かした。だから、専門家集団としてのCDCアメリカに寄港したロイヤル・プリンセス号から乗客をさっさと下船させた。
 厚生省の管轄下にはFETPという感染症の現状分析のプロもいるが、彼らは臨床の専門家ではなく、一時、ダイヤモンド・プリンセスに入りはしたのだが、すぐに出ていってしまっている。
 DMATは救急医療の専門家ではあっても感染症のプロではない。船内では厚生省とDMAT、さらにDPATという精神科の専門家集団までが配置された。
しかし、感染は拡大する一方である。そこで厚生省は日本環境感染学会を招集した。はじめて感染症の専門家が登場することになった。彼らはレッドゾーンとグリーンゾーンを分け防護服の正しい着脱法などを指導した。しかし、彼らも「もう船内には入らない」といって、三日で退去してしまった。自分たちの本来の職場が多忙になってきたからというのがいわれている理由であるが、こんな感染リスクが高いところにはこわくていられないというのが本当の理由だったのではないかと岩田氏は推測している。
 その後は国際医療福祉大学の専門家が入れ替わり立ち代わりはいって、さまざまな問題の指摘をしている。しかし、彼らには対策を命令する権限が与えられていなかったので、抜本底な改善をすることができなかった。
 ここまでのさまざまな専門家の出入りは、厚生労働省的にいえば、専門家がつねに配置されていたということになる。しかし、二次感染がどんどんとひろがっていたのであるから、岩田氏にいわせれば、形式だけはととのっていても内実がまったくともなっていなかったということになる。
 このように、ダイヤモンド・プリンセス号で感染がどんどんと拡大していたにもかかわらず、その情報は表にはでず、その解析も表にはでてこなかった。それを不安に感じた岩田氏はファイスブックにダイヤモンド・プリンセス号の中に入りたいと何度も書いた
 (それを見て?)厚生省の高山義浩氏から連絡があった。高山氏も対策本部が船内にあるのはおかしい。船外に本部を出すべきであると考えていた。
日本環境感染症学会の一員でもある岩田氏ははじめその会員として船内に入ることを考えたが、日本環境感染症学会はもう船内には入らないと宣言していた。DMATの一員として入ることも考えたが、岩田氏はDMATのメンバーではなかった。いろいろ曲折があったが、最終的には高田氏から「DMATとして入ってください」といわれた。
 それで船にいってみると、厚生省の人から、「DMATの下で働いて下さい。しかし、感染管理はやらないでください」といわれた。それでDMATのほうにいったが、「そんな話はきいていないな」としてDMATのトップのところにいってくれといわれた。
そのトップからは「感染管理をしっかりやってください日本環境感染学会はたちかに三日間でいろいろと指導をしていったけど、でも逃げちゃった。俺たちは感染症の専門家を信用していない。本当に怒っている。だからあなたは好きなことを全部やっていいです」といわれた。
それで国際医療福祉大学のひとと一緒に船内をみてまわることになった。そうすると、すぐに感染症対策が構築できていないことがわかってきた。たとえばPCR検査をするのに検疫官が同意書を検査対象のすべてのひとから紙でとることをしていた。検疫所では紙で同意書をとるというきまりがあり、それがここでも続けられていたのである。感染防御よりも形式。実際にそのために何人もの検疫官が感染してしまっている。なぜ口頭での了解ではいけないのだろうか?
 また精神科医の集団であるDPATも船内の入る必要があったのか? 通常、精神科の面談は対面でおこなう。しかし、この場合はテレビ電話ではいけないのか? DPATのメンバーも防御服は着ていた。しかし、かれらはその正しい着脱法を訓練されていない。だからDPATのメンバーからも感染者がでている。船内は、確かにゾーニングはされていた。だがゾーニングの意味は理解されていなかった。
 そういう指摘をしていると、「みんな一生懸命にやっているのに、それに水をさすのか。今まで自分たちがやってきたことは全部、意味がなかったというのか? そういうやつは出て行け。」ということになって入船からわずか二時間で船から追い出されてしまった。
 ここまでが、岩田氏によるダイヤモンド・プリンセス号での顛末である。

 ここからはそれについての岩田氏の解釈。
 クルーズ船のような感染症に弱いとされている環境で感染症がおきた場合に、まず考えるのが下船させるか船にとめおくかということである。3千人の乗客をどこで隔離するかという問題があり、船に留め置く判断はやむをえなかったかもしれない。それなら二週間の経過観察期には感染を拡大させないという強い覚悟が必要である。感染が拡大していけば、観察期間がどんどんと延長されていってしまうからである。しかし、厚生省は専門家を配置するといった形式にこだわって、実際の感染拡大策が機能しているかには十分には留意しなかった。典型的な官僚の形式主義である。これを岩田氏は安富歩氏の造語(安富歩「原発危機と東大話法 傍観者の論理・欺瞞の言語」明石書店 2012年)を引用して「東大話法」と呼んでいる。その特徴はああいえばこういうで決して失敗をみとめないことである。
 よく知られているように、岩田氏は下船後、氏が見てきたことを伝える動画を発信している(日本語と英語で)。なぜ英語でも発信したかというと、日本のメディアは読者や視聴者がみたいと思うことを発信するのが自分たちの使命であると思っているので、岩田氏の動画は「日本はちゃんとやっている」という視聴者が見たいと思っているニーズから外れるものであり、日本語だけだと無視されたり矮小化されたりすることを危惧してであったという。
この動画はわりとすぐに氏自身によって削除されているのだが、これは何かの圧力によってではなく、氏が入船した翌日から、日本の感染対策がとてもよくなったということを多くきいたので、自分が動画を出した効果が確認できたと思ってであるという。(もっとも動画に対する圧力はなかったが、自分が所属していたある学会のガイドラインメンバーからまったくしらないうちに外されていたといったことはあった・・)
 最近刊行された高橋洋一氏の「FACTを基に日本を正しく読み解く方法」にも、このエピソードについて言及されていて、岩田氏の論に沖縄県立中部病院の高山医師が反論したことが述べられている。岩田氏は日本ではエピカーブ(流行曲線・・感染症の発生の時間、場所などの感染状況をデータ化したもので、感染症が発生すれば必ずとる基本データ)を取っていないとしていたが、それに高山氏は反論したのだという。高橋氏によれば、岩田氏の動画投稿が2月18日、国立感染症研究所のホームページにエピカーブが掲載されたのが19日、ここからわかることは、感染研は当然のことながらエピカーブを作っていたが、それを岩田氏の投稿があるまでは公表していなかったということである。
 岩田氏は、世界中のどこもがさまざまな失敗をした新型コロナウイルス対策において日本もまた失敗したことなど問題ではない。問題はうまくいかなかったにもかかわらず「ちゃんとやった」という論法でそれを直視しないことである、という。事実、岩田氏のしたことを日本の恥を世界にさらしたといった受け取りかたをするひとがでてくる。
 そういう態度が何より問題となるのは、日本が何を主張しても、本当のことをいっているのか?という目でみられるようになることである、と岩田氏はいう。
 ダイヤモンド・プリンセス号で検疫がはじまった2月5日から2月18日まで、検査の件数と陽性者数以外は対外的には何も発表されていない。岩田氏によれば、それは日本にCDCがないからおきたことである。専門家が対応するシステムがなかったのである。
 要するにシステムの問題である。たとえば新型コロナウイルス担当大臣は感染症のことなどなにも知らないひとである。感染症の対策は、感染症の専門家がやるべきであって、素人が手を出すところではない。

 岩田氏のいうように、感染症の対策は、感染症の専門家がやるべきであっても、その対策によって経済活動はとんでもないことになっているようであり、現在のような委縮した行き方はそうそうは続けてはいられないという声が日増しに大きくなってきている。そうなれば、もう狭義の感染症対策の問題ではなく、政治の領分となってくる。
 ダイヤモンド・プリンセス号での感染対策は完全に狭義の感染症対策の範囲である。しかし、日本全体を、あるいは一つの自治体単位を大きなダイヤモンド・プリンセス号とみたてて、ダイヤモンド・プリンセス号でとるべきであった対策をそのまま適応するとしたら、そこでは否応なしに政治の問題がでてくる。

 そしてダイヤモンド・プリンセス号での対応が失敗したことの原因も、現在の日本の新型コロナウイルス対応がそれなりにうまくいっているように見えることも(次章で岩田氏もそう評価している)、ともに日本の持つ特質が関係しているということはあるかもしれない。例えば、人間関係がすべてに優先する相互監視社会的な日本の特質である。
 昔、山本七平氏の本を読んでいて、今次大戦末期、輸送船のほとんどが沈められ、戦地への物資の補給がほぼ不可能になっていた時点においても、補給の担当の部門は淡々と物資の運搬計画を作り続けていたということが書かれていたのを読んで驚嘆したことがある。その部門の仕事は移送の計画を作ることで、輸送船を準備する仕事はまったく自分の管轄外であって、何ら自分の知ったことではないのである。
 同じ山本氏の「日本はなぜ敗れるのか 敗戦21ケ条」においては「日本の敗滅をバシー海峡におく」ということがいわれている。バシー海峡というのは日本の輸送船が敵の潜水艦によって次々に沈められたところで、そうでありながら日本は移送の経路を変えることはなく、同じ海峡を相変わらず通り、次々と沈められていった。日本では戦場での戦果と消耗は問題にされても、戦場にたどりつくまでの消耗は問題にされなかったようなのである。
 日本の軍隊は失敗しても失敗しても、いつも同じ作戦でくるので、敵からみると、動きがきわめて読みやすかったといわれる。しかし個々の兵士は強く、特に有能で部下の信頼の篤い中隊長のいる部隊はそうであったのだそうである。日本の軍隊の序列は陸軍士官学校などの学業の成績できまり、その後の戦功などはほとんど関係がなかったらしい。

 日本の官僚も出身大学と公務員試験の成績でその後が決まり、現場においての成果などはあまり問われず、なにかをすることが大事なのであって、すれば仕事は終わりであり、それがうまくいったかどうかはほとんど問われないのだろうと思う。
 確か、小室直樹さんの説だったと思うが、日本では機能集団はただ機能集団であるだけでは機能せず、それが共同体化してはじめて機能することになるのだという。とすれば共同体の和を乱す人間は、いくら有能でもダメであるとされることになる。

 岩田氏が最近上梓した「ぼくが見つけたいじめを克復する方法」に、2015年の日本化学療法学会総会で学会場での専門書売り場から岩田氏の著作が一切排除されていたということが書かれている。岩田氏自身の著作ばかりでなく、岩田氏が推薦文(帯文)を書いた本までも排除されていたのだそうである。学会長から出版社や書店に岩田氏の名前がはいった本は一切展示販売しないようにという要請があったためなのだそうである。随分と大人気のないことをするものだと思うが、その学会長は岩田氏の著作のどこかで自分のことを批判されたと感じたことがあったのであろう。
 今度のダイヤモンド・プリンセス号でのことも、船内で氏がおこなった言動によって氏が排除されたというのではなく、岩田氏がそこに来ること自体を面白く思わないひとがいて、「岩田が来たらすぐに追い出せ」というようなことになっていたのではないかと思う。そうでなければ入船後わずか二時間で下船させられるというのはあまりに早すぎると思う。「岩田ってやつは変だと思ったらたとえ目上の人間でも平気でずけずけと批判するとんでもないやつだ。今度も何言いだすかわからない」というようなことだったのではないだろうか?
 有名な、『論語』の子路第十三。「葉公、孔子に語りて曰わく、吾が党に直躬なる者あり。其の父、羊をぬすみて、子これを証す。孔子の曰わく、吾が党の直き者は是れに異なり。父は子の為めに隠し、子は父の為めに隠す。直きこと其の中(うち)に在り。」
 おそらく、岩田氏は一部の人にとっては葉公のように見えるのである。まさか、この学会長が自分は孔子の列に連なると思っているということはないと思うが。

 抗生物質の使い方の指南書の著者としての岩田氏の名前は以前から知っていたが、医療のありかたについて発言する人としての岩田氏のことを知ったのは、たまたま何かのことで氏のブログ「楽園はこちら側」に行き当たったのがきっかけだったと記憶している。確か、ディオバン事件のころではなかったかと思う。それで日本禁煙学会の行動への情理兼ね備えた(?)揶揄であるとか、あるいは近藤誠氏の変貌と現状への同情に充ちた批判であるとかを大いに納得できるものとして読んだ。
 近藤誠氏はもともと放射線科の医師(それも放射線診断学ではなく放射線治療学の専門家)であった。日本では血液系のものを除けば、悪性腫瘍は従来は基本的には外科医が治すべき疾患とされてきた。放射線治療とか抗がん剤治療とかは外科医がもはやできることがなくなった場面になったとき、姑息的に行われる敗戦処理というような位置づけであった。
 近藤氏はその当時の日本の乳がん治療の現状への批判者として学界に登場したのではないかと思う。日本は世界でも最後まで乳がん手術にハルステッド手術をおこなっていた国の一つではないかと思う。現在でこそ、乳房温存手術が標準治療になっているが、かつては乳がん部位だけでなく周囲のリンパ節や大胸筋までもふくめ広範に切除するハルステッド手術が広く行われていた。それは基本的にがんは原発部位から遠心的に広がっていく疾患であるという理解を背景にしている。近藤氏は、乳がんはしばしば早期から遠隔に広がることがあるので局所のみをいかに大きくとるかということの追求には意味がなく、それよりも原発巣切除+放射線治療(あるいは抗がん剤治療)をするべきであるということを主張して、そのためほとんどの外科医から蛇蝎のごとく嫌わられることになった。外科医たちはいかに安全に広範囲に切除を行えるかという手術の腕を競ってきたので、「俺たちのシマに口をだすのか! 俺たちが一生懸命やっていることに意味がないというのか!」というような反応をしたのである。外科医たちは、自分たちは孔子の側の人であり、近藤氏は葉公の側の人、直くない人であるとしたのである。それで近藤氏は医学界全体から「いじめ」(岩田氏)を受け、「がんもどき」理論などというおかしな方向にいってしまったという。
 日本化学療法学会総会で学会場での専門書売り場から岩田氏の著作の一切排除であるとか、今回のダイヤモンド・プリンセス号からの排除であるとかも岩田氏は一種のいじめととらえている様である。
 たとえ間違った方向であっても一生懸命に努力しているひとは批判すべきではないとするのが日本の風潮があるが、それは間違っている。サイエンスの場での議論は正しいか間違っているかであって、一生懸命に努力しているか否かではない。
 それなのにあるひとの主張が間違っていることを指摘すると、主張者の全人格を否定したようにとられ、あるいは学会全体の空気を乱したとされて、いじめられ排除されるのはおかしい、というのが本書での岩田氏の主張の一番の根幹であるように思う。
 前述の高橋洋一氏は、両論がある場合どちらか一方が正しいということはまずなく、あちらが6割、こちらは4割正しいというのが通常であるという。
科学の営為において何が真理であるかをわれわれは認識できるのかということについては、古来多くの議論がなされてきている未だ解答がえられていない(あるいは永久に解答が得られることがない)問題であるが、その問題については、わたくしはポパーの立場を自分の立場としてきている。
 われわれは何が正しいかを決して知ることはできない。知ることができるのはあることは間違っているという個別の判断だけであるというのがポパーの論である。だからあるときに今までの説では説明できない事象がみつかったときに、その説には問題があることがわかることになる。《われわれは決して真理にいたることはないのだから、われわれは謙虚でなければならない》、それがポパーの主張である。(もっとポパー自身は謙虚など薬にもしたくない偏屈なひとであったようだが。)
 おそらく岩田氏の論にもし問題があるとすれば、科学の正しさにいささか信を置きすぎているとことにあるのではないかと思う。もちろん、岩田氏を“いじめて”いる側が謙虚であるなどということではまったくなくて、単に俺の領分に口を出すやつは許さないぞ、というだけなのであろうが・・・。
 「ぼくが見つけたいじめを克服する方法」で、岩田氏は医療ミスがおきた場合、ミスをした個人を責めてはいけない。ミスがおきた要因を解明していくことこそが大事であるといっている。
 もしも岩田氏が“いじめられた”のであり、それが日本社会の病理に起因するのであれば、いじめたひとを糾弾しても意味はなく、その病理を変えられるかが問題になる。それで次章は「新型コロナウイルスで日本社会は変わるか」と題されることになる。
 (わたくしも、おそらく陸軍内務班での私的制裁などからの連想で、いじめというのがかなり日本に特有な現象ではないかと思っていたのだが、ある時ダールの何かの短編小説(たぶん「あなたに似た人」)を読んでいて、イギリスのパブリックスクールにおいても、上級生による下級生のいじめがほとんど伝統のように行われているのを知り驚いたことがある。いじめというのが日本社会の病理とかかわるという見方も検討の余地がある問題であると思う。)

新型コロナウイルスの真実 (ベスト新書)

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岩田健太郎「新型コロナウイルスの真実」(3)

第二章「あなたができる感染症対策のイロハ」
 主な感染経路は二つ。飛沫感染接触感染。飛沫感染は患者がくしゃみとか咳をしたときに生じる水しぶきによって生じる感染。飛距離は2mくらい。接触感染は、患者から飛んだ飛沫が何かの表面につき、そこに別の人が触ることから生じる感染。
 「空気感染」はほぼ生じないと考えられている。
 感染経路をブロックできない感染症への対策はワクチンのみである。
 飛沫感染予防の最善手は患者の隔離。そして手指の消毒。
エレベーターのボタンやドアノブを何分おきに消毒すべきかなど、議論をし出したらきりがない。それであれば、手指消毒を徹底するほうがいい。
 免疫力を有意にあげることが可能な方法はワクチン接種だけである。
 マスクは自分に症状がないのであればつける意味はない。
 要するに、手洗いの徹底、何か自分に症状がでたら家にいること。風邪をひいたら自宅で休み、会社や学校にはいかない。
 ゼロリスクは求めない。われわれが希求すべきなのは、「より低いリスク」である。
 ゼロリスクを求めるなら、家からあるいは部屋から一歩もでないことであるが、それはそれで病的で不健康な状態である。

 多分、この章で一番問題なのは、無症状のひとはマスクをつける意味はないという部分であるかと思う。このウイルスに感染しても何ら症状がなく経過するひとは多いらしい。そのひとが、それでも他への感染源となることはないかということである。まったくゼロとはいえないがそのリスクはきわめて低いというのが岩田氏の見解なのであろうと思う。しかしまったくゼロではないのであれば、やはりマスクはしたほうがいいのではという見解もあるのではないかと思う。
 日本だけではなく、世界のいろいろなところの報道を見てもマスク着用者はきわめて多い。昨今の日本ではマスクを着用していないひとはそれだけで目立つくらいである。わたくしもまた目立ちたくないから外出時にはマスクをしている。
 そういうほとんど意味のないことであっても、巨大な数になれば、ある程度は感染拡大を防いでいるということはあるのだろうか?
 風邪をひいたら仕事や学校を休めという部分もおそらく問題である。風邪をひいても仕事や学校を休まないという従来の日本の風土はおかしいとして岩田氏はこの主張をしているのであろう。単に感染予防ということであれば、現在の在宅勤務推奨の環境下ではむしろ在宅での勤務は可能ということになるのかもしれない。
 わたくしの産業医としての経験からいえば、風邪で休むひとは、また喘息の発作で休み頭痛で休み、生理痛で休むのである。なんだかんだとその積算として月の半分も欠勤するひとがいる。風邪をひいたら休むというのはその人の仕事への姿勢を何らか反映している部分があるようにわたくしのような旧弊な人間は感じてしまう。そう感じるのは旧来からの日本の《24時間働けますか的風🉇》に毒されているということなのだろうが・・・。
 ということで、次章の「ダイヤモンド・プリンセスで起こっていたこと」以下が岩田氏の本書で述べたかったことの核心であり、今度のコロナウイルス感染で露呈されてきた日本が抱える様々な問題点についての岩田氏の指摘とそれへの見解をこれからみていくことになる。
 そうすると、狭い意味での臨床からは離れることになるので、稿をあらためたほうがいいと思う。

新型コロナウイルスの真実 (ベスト新書)

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岩田健太郎「新型コロナウイルスの真実」(2)

 本書での岩田氏の関心はかならずしも狭義の新型コロナウイルス感染の問題にはなく、この感染流行から露呈されてくる日本の抱える様々問題を指摘することにもあるように思うが、まず巻頭におかれた狭義の医学的論議から見ていく。

1)ウイルスとは何か?: 専門家でない人間にとっては、ウイルスは抗生物質が効かないもの、その反対に細菌とは抗生物質が効くもの、と理解していれば間違いない。
2)新型コロナウイルスとは?: コロナウイルスは従来からは4種が知られていて、普通の感冒の原因となっていた。5番目がSARS(2002年)、6番目がMARS、7番目が今回の新型コロナウイルス。(わたくしは誤解していたが、COVID-19というのはウイルス名ではなく、疾患名らしい。)
3) 新型コロナウイルス感染症は、a)最初の症状はほとんど通常の感冒と同じ。感線しても無症状のまま終わってしまうひとも多く、8割の人は無症状か軽症でおわる。残りの2割は1週間くらいの感冒様症状の後、症状が重篤化する。無症状者、無症状期の感染者も他への感染源となりうる。
4)新型コロナウイルス感染症では高齢(といっても40歳以上をいう)ほど重症化しやすい。亡くなるのは80代から90代に多い。
5)今回のウイルスでは(北海道の経験からは8割のひとは他に感染させない。残り2割がたくさんのひとに感染させている。したがってクラスターが問題となる。岩田氏が本書執筆の時点では患者さんのほとんどはクラスターから感染している。電車やバスでの感染はそれほどないし、街をあるいていて感染することはほとんどない。
6)PCR検査の問題:PCR検査の感度は6~7割程度。ということは陰性であっても3割の患者は見逃される。(逆に、陽性であれば、ほぼ感染していることは確実といえる。)
7)以上から100パーセント確実にコロナウイルスへの感染を言い当てる方法はない。とすれば従来からの医療のスキームである《早期診断、早期治療》という方向を今回はとれない。
8)したがってわれわれが従来から持っていた価値観や世界観を捨てないと、今回のウイルスには立ち向かえない。立ち向かえないならその方向をすてなければならない。
9)必要とされるのは「正しい診断」ではなく「正しい判断」であり、その根拠になるのは検査データではなく、症状である。
10)正しい診断名を求めるのではなく、そのひとにどのような対応が必要とされているかの判断が大事である。家に帰して経過をみてもいいか、入院をさせるべきかの判断である。
11)従来からある疾患でこれに似た感染症としてインフルエンザがある。なぜならインフルエンザ診断キットの診断精度はそれほど高くないからである(6割程度)。日本の医者は検査好きなので、すぐに検査をして検査の結果で陽性ならインフルエンザ、陰性ならそうではないと診断している。の場合でも求められているのは正しい診断ではなく、正しい判断なのであるが。
12)今度のコロナウイルスの流行によって、インフルエンザ・キットでの検査過程で患者さんの飛沫をあびて、その結果、医者がコロナウイルスに罹患したケースがでてきて、今年3月、日本医師会はみだりにインフルエンザの検査をしないこと、臨床症状で判断するようにというということを言い出した。(これは岩田氏がもう何十年も前から主張していたことであるのに、ようやくそうなったと岩田氏は本書で書いている。大事なのはインフルエンザ治療薬を出すべきか否かという臨床判断であって、検査が陽性かどうかではない、それがようやく認知されるようになった、と。)
13)だから、日本政府のコロナ対策は概ね正しいと考えると岩田氏はいう。4日間症状が続いたら病院にいくといった方針は、最初から正しい診断を放棄するということであって、もともと正しく診断するという方法論に無理があるのだから、日本のやりかたは間違っていない、と。

 とりあえずここまでが第1章で、本書の「あとがき」の日付が3月23日であるから、すでにそれから1ヶ月以上がたっている現在、上記の内容について岩田氏が見解を変えた部分もあるかもしれない。それはこういう緊急出版的な書物のもつ宿命であって、それはやむを得ない。それを前提に以下、少し感想を書いてみる

 まず、従来からあるインフルエンザ診断キットの診断精度が60%くらいとは思っていなかった。もっと高いような気がしていた。外来で臨床経過からまずインフルエンザをうたがって検査をする場合、キットで陽性とでる確率は80~90%はあるように思っていた。発症からあまり早期では診断能が下がるとされているが、発症から半日くらいたっていれば臨床的にインフルエンザを疑う場合の陽性率はそのくらいあるように感じていた。「日本の医者は検査好きなので、すぐに検査をして検査の結果で陽性ならインフルエンザ、陰性ならそうではないと診断している。」というのも事実であると思うが、検査が好きなのではなくて、臨床に熱心なのだと思う。
 診療所で患者さんを診ている場合、心電図やレントゲンはそこで検査できるとしても、検体検査は通常は外注であるので結果がでるのに半日から一日かかる。しかしインフルエンザ・キットはその場で10分たらずで結果がでる。インフルエンザには特効薬がある。とすると診断から治療までが外来に患者さんがきたその時点で完結する。それが熱心な先生方にとっての快感なのではないかと思う。
 インフルエンザには特効薬があるといっても、高々、発熱の経過を1~2日短縮できるだけである。そうであるなら基礎疾患をもたない患者についてはインフルエンザと診断がついても特にインフルエンザ薬を処方せず、家であたたかくして寝ていなさいという対応もありうるわけである。事実、インフルエンザ薬の処方の半分は日本でされているという話をきいたことがある。それは日本が医療機関へのアクセスへの敷居がきわめて低いことも多いに関係していると思うが、日本では診断がついてそれへの薬がある場合に、その処方をしないということはまず考えられないからである。
 『今年3月、日本医師会はみだりにインフルエンザの検査をしないこと、臨床症状で判断するようにというということを言い出した』というのは事実ではあるが、それはインフルエンザの確定診断の利益より新柄コロナウイルス感染のリスクのほうが大きいという現時点での判断による臨時的な対応であり、日本医師会が方針を変えたのではなく、今回のコロナウイルス感染の流行がおさまれば、また従来のやり方の戻るのだとわたくしは理解しているのであるが、違うのだろうか?
 ここでも一番の問題は《正しい診断ではなく正しい判断》が大事なのであるという主張、ひいてはPCR検査をどの程度積極的におこなうべきかという問題である。日本のPCR検査数は先進国としては例外的に少ないといわれていて、それが感染者数の見掛け上の少なさということにつながっているとして、感染の実態が把握されていない、日本の感染者数は過少に評価されているのではないかという批判を世界からうけているらしい。この点については岩田氏は大筋においては今までの日本のやりかたは間違ってはいなかったという立場のようである。
 この点については、わたくしはまったくの不勉強で特に意見を持たないが、一般に今回のような感染症の場合には、感染の拡大の時期と広がりによって対応の方向が変わるらしい。感染拡大の初期においては、クラスターの把握とそこに関係したひとの網羅的な検査が重要であるらしい。しかしある程度広がってしまった場合には、現在行われているような行動変容の要請をしながら、その効果をみていくという方向に転換することになるらしい。そしてその効果判定の一つのツールとしてPCR検査も使われうるということのようで、現在の日本でのPCR検査数は明らかに他国と比べても少なく、それによって感染の実態が過小評価されているという批判を他国から受けるようになっているらしい。
 臨床の末端にいる人間の実感としてはやはりもう少し普通にPCR検査ができるほうが臨床の自由度は増すように思う。通常の臨床において念のための検査というのはしばしばおこわなれている。まず、この病気ではないと思うが、万一そうであるといけないから念のための検査というのはよくおこなわれている。せめて、それに使える程度には検査ができる体制になってもらいたいと思う。わたしのような竹の子医者は、念のためと思ってCTをとったらびっくりというような経験を少なからずしているからである。
 「必要とされるのは「正しい診断」ではなく「正しい判断」である」のだとしても、正しい判断をつねにおこなえるわけでもないのだから、検査を出すというのも正しい判断を下せなかった場合の安全ネットとして機能することもあるのだろうと思う。
 この患者さんの病気は何かということを議論しだしても意見が一致しないことはしばしばある。その場合どこからか機械仕掛け神様がでてきて、超越的な立場から裁定をしてくれないと議論は無限退行に陥ってしまう。現在、医療の場において、その神様の役割をしているのが病理診断である。病理診断もしばしば過つ。それは臨床をはじめてしばらくするとどんな医者でも痛切に感じるところである。しかし、そうであっても生検の病理診断が胃がんとかえってくれば、「ぼくの判断は胃がんではない」といってそれを無視することはなかなかできるものではない。病理診断ほどではないにしても、血液検査をふくむ検体検査もそれに近い役割を臨床で果たしていると思う。
 もちろん、岩田氏がいうのは臨床で大事なのは、「インフルエンザ治療薬を出すべきか否かという臨床判断であって、検査が陽性かどうかではない」ということであり、「家に帰して経過をみてもいいか、入院をさせるべきかの判断であるか」ということである。昔、ある確か電解質バランスについて書いた本を読んでいて、その著者が「医者が外来をやっていて考えているのは、ただ一つ、この患者ひょっとして急変して夜、救急車で舞い戻ってくるということはないだろうな!」ということだけであって、診断名は何かなどということはほとんど念頭にない」ということを書いていて、妙に記憶に残っている。たいがいの病態は医者の診断や介入とはかかわりなく自然に勝手に治ってしまう。新型コロナウイルス感染症も多くは不顕性感染であり、発症しても軽微な症状の場合が多いが、一部症例ではある時から急激に悪化するとされている。だから、「家に帰して経過をみてもいいか、入院をさせるべきか」の判断が非常に難しい。もしも、ある程度の確率で感染の有無を簡単に判定できる方法があれば、「家に帰して経過をみてもいい」症状の患者であっても、「もしこういうことが出てきたら、すぐに相談のこと」といったアドヴァイスをあらかじめしておくことが可能となる。
 今朝の新聞に「37.5度以上が4日続くこと」といった従来の検査推奨基準が変更されたことが書かれていた。従来からの方針は明らかに検査抑制を意図してきたように思われる。私見であるが、それが必要とされた最大の理由が、検査の必要の可否の判定や検体の運搬に保健所が主としてかかわる体制で検査体制が構築されたことにあるのではないかと思う。私見では保健所というのは独自の指揮命令の権限をほとんどあたえられていない。そこに過重な負荷をかけるような仕組みでは、それがうまく機能しないのもやむをえないと思う。
 かりに日本のコロナウイルス対策がそれなりにうまくいったのだとしても、それは意図した結果としてそうなったのではなく、日本の従来からの保険医療体制の制約からたまたまそうなったのであって、いわば怪我の功名に過ぎないかもしれないということは十分にありうることのように思う。これは本書の後半(p130以降)で論じられる「日本にCDCに相当する機関がない」という問題ともかかわると思われるが、その点についてはまた別に論じたい。

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岩田健太郎「新型コロナウイルスの真実」(1)

 奥付では2020年4月20日刊になっているが、先々週から書店には並んでいたように思う。「あとがき」の日付は3月23日。出版を急いだため、口述したものから文章を起こしたものらしい。
 「はじめに」、第一章「「コロナウイルス」って何ですか? 約35ページ。第二章「あなたができる感染症対策のイロハ」 約30ページ。第三章「ダイヤモンド・プリンセスで起こっていたこと」 約60ページ。第四章「新型コロナウイルスで日本社会は変わるか」 約55ページ。第五章「どんな感染症にも向き合える心構えとは」 20ページ弱。「あとがき」からなる。
 ここから見てとれるように、新型コロナウイルス感染とその対策の一般論についての記述は最初の70ページほどで、本書の著者が岩田氏でなければならなかった理由は第三章以下にある。そしてダイヤモンド・プリンセス号での氏の経験が第四章を書かせることになるわけであり、第五章も「どんな感染症にも向き合える心構えとは」も、そのタイトルから受ける印象とはいささか異なり、日本社会はこれからどのように変わらなければならないかについての氏のささやかな提言をふくんでいる。
 つまり、本書は日本論、日本人論という色彩を色濃く持っているのであり、岩田氏が本書を書こうとした動機もそこに根ざしているのだろうと思う。
 さて、雑誌「Voice」の最新号は、総力特集「どうする! コロナ危機」と題されていて、ここでも、新型コロナウイルス感染をきっかけに露呈されてきた日本の問題を指摘する論も多く、新型コロナウイルス感染拡大防止への日中韓の対応の差にそれそれぞれの国の歴史の反映を見る論もあった(日本では政府からの強制や強要がなく、呼びかけやお願いにとどまっている(躊躇鈍重の日本))。
 さらにこの「Voice」では、たまたま別に「韓国の教訓」という企画も組まれていて、小倉紀蔵というかたが「後手後手」「いきたたりあったり」「ぐずぐず」の日本を果断の韓国や台湾と比較して論じている。氏は日本のやりかたを帰納的な世界観であり、経験主義的な現場主義であるとし、それは戦後ずっと日本政治や日本社会の欠点とされてきた官僚主義、前例主義、事なかれ主義の表れであるともいえるし、法治主義、手続き絶対主義の枠内でのやりかたであり、平時の社会の安定には寄与してきたともいえるとしている。要するに日本社会は独裁的な政権が私権の蹂躙や強権の発動をする社会にはなりたくないと思っているのだ、と。
 しかし、これは何も日本だけの特徴ではなく、イギリスもそれに近いとし、ヨーロッパ大陸的な理性主義的人間観にそれは対立するのだといって、ヒュームの名をあげる。氏は、それを群島文明と呼んで、普遍主義、理念主義、本質主義、超越主義などを基盤とするヨーロッパ大陸主義と対比させている。この大陸的な演繹主義は日本の歴史においてはただ一度1930年から1945年の間に実現し、日本人はそこでの悲惨な記憶を絶対に忘れないだろうという。
 本書で岩田氏が述べていることは、官僚主義、前例主義、事なかれ主義、手続き絶対主義のために新型コロナウイルス感染流行への対応がさまざまな局面で後手にまわっている日本の現状の問題点の指摘と批判であり、それに代替する、もう少し普遍主義的なやりかたへの転換の提言ということになるのかと思う。
 そもそも科学は普遍主義への傾斜を持つ。医学があるいは医療が科学に属するか?といえばそれはそれで大問題であるが、本書での岩田氏の論はさまざまに考えさせるものがある。以下、稿を変えて、論じていくことにしたい。

新型コロナウイルスの真実 (ベスト新書)

新型コロナウイルスの真実 (ベスト新書)

VOICE(ヴォイス) 2020年 5月号

VOICE(ヴォイス) 2020年 5月号

  • 発売日: 2020/04/10
  • メディア: 雑誌

ある日の中小病院での外来

 昨日は、雨風が強い荒天ということもあったのかもしれないが、外来の患者さんが異様に少なかった。一つには先週から容認された患者さんと電話で連絡して問題なければ患者さんが指定する薬局に処方箋をファックスで送るというやりかたへの対応として10人くらいの患者さんには電話で対応したということがある。しかし、それでも少なかった。おそらく患者さんの側に現在最大の感染リスクがある場所(の一つ)が医療機関であることが広く認識されてきたためではないかと思う。
 不要不急の外出を控え、可能な限り在宅勤務が推奨されているなかで、医療機関への通勤と通院は例外であるとされている。わたくしは中央線で杉並から都心に通勤しているが、先日、自分の通勤人生ではじめて新宿-お茶の水間で座ることができた。在宅勤務の推奨はそれなりの効果はあげているのだろうと思う。
 一方、患者さんの側からみると、現在のいくつかの病院でのクラスター発生の報道をみれば、なるべく病院に近づきたくないと感じるのは当然である。現在、内科通院患者の多くを占めると思われる高血圧、糖尿病、脂質異常症の患者さんのほとんどには何ら自覚症状はないと思われる。そうであれば通院の目的のほとんどは検査をうけることと薬をもらうことである。であれば、電話で病状を確認して患者さんの地元の調剤薬局で薬を出してもらうという今回コロナウイルス対応のため一時的に容認されたやりかたはきわめて合理的である。高血圧の場合、すでに自己測定は自宅で可能である。検査についていえば、一定の地域ごとに検体検査とレントゲン・心電図などを請け負うセンターをつくれば、迅速性には欠けるかもしれないが、これまた対応可能と思われる。現在在宅勤務が推奨されているが、いわば在宅診療である。
 現在、一時的な措置として容認された電話での診療の体制が新型コロナウイルス感染の収束がなかなか見られないために長期化するようなことがあるとすると、患者さんの側につぎのような疑問が生じてくることは避けられないと思う。「今まで、毎月あるいは、二月・三月に一度、通院していたけれど、それは本当に必要だったのだろうか? 一年に一度の通院でも十分だったのではないだろうか?」 在宅勤務推奨が長期化すれば、働くひとの間で、「今まで毎日、会社に顔を出していたけれど、それは本当に必要だったのだろうか?」という疑問が生じて来ることが避けられないであろう、それと同じように。
 現在、不要不急の外出の自粛要請によって飲食店などの利用者が減るといったことで、様々な中小企業の経営が立ち行かなくなることへの懸念が多く報道されているが、実は日本の医療機関の多くも中小の零細企業である。最近、永寿総合病院とか中野江古田病院などでの新型コロナウイルスクラスターの発生が報道されている。報道でみるかぎり、その対応はきわめて拙劣であり、対応は完全に後手にまわっている。しかし、これらの病院はバックを持たない独立採算で運営されているのではないかと思う。院内で感染が確認された当初、これが報道されると、病院の経営が立ちいかなくなる。このまま数名の感染でおさまってくれないだろうかと祈っているうちに、感染がひろがってしまい、どうしようもなくなってしまった、というような経過なのではないかと、あくまでも推測ではあるが、思う。同じように院内感染が報道されている慶応大学病院、慈恵会医科大学病院や国立がんセンター病院などではそれにくらべれば、クラスター的な大きな感染拡大が今のところおきていないように思えるが、それはこれらの病院がバックを持ち、かりに新型コロナウイルス感染が報道されても病院が潰れるというような懸念を持つことなく早目の対応ができたということがあるのではないかと思う。また独立運営の病院はぎりぎりのスタッフでまわっており、不測の事態に対応できる人的な余裕に乏しかったというということも、それらの病院の対応が後手にまわることになった一つの原因であったかもしれないとも思う。
 現在、医療崩壊の危機ということがいわれているが、それは今後まだまだ増加する懸念のある新型コロナウイルス感染患者に対応できる医療機関のキャパシティがなくなってしまうということへの懸念である。しかし、不要不急の受診の抑制というそれ自体は正しい行動が続くと、多くは中小の零細企業からなりたっている日本の医療供給体制自体にもじわじわとその影響がでてくる可能性もないとはいえないのではないかと思う。
 アメリカやイタリアの医療の現状を報道でみていると、それぞれの国で抱えている医療供給体制や保険医療体制の問題点が浮き彫りにされていているように感じる。さまざまなに批判されてきた日本の医療供給体制であるが、それでもそれが存外、諸外国にくらべればまだ増しな体制であるのか、やはり根本的な対応を要する脆弱性をかかえているのかといったことがここ半年くらいのあいだに明らかにされてくるのではないかと思われる。

救急医療とCOVID-19

 この数日の新聞などの記事で、新型コロナウイルス感染のために救急医療が危機に瀕しているというようなことが多く書かれている。発熱などの患者が多くの救急病院で断られ、結果として最前線の一時救急を担当する救急センターにそういう患者さんが集中し、結果として本来そういう救命救急センターが本来担当すべき患者さんが入院できないケース増えてきているというのである。
 それで10日ほど前の外来を思い出した。「一週間前くらいからの頭痛が主訴の30台の女性が来ていて、吐いているので早く見て下さい」と看護師さんがいう。診察してみるとそれほどの重症感はないのだが、頭痛+吐き気は脳圧亢進を疑うのは医者の常識なので、念のためと思いCTをとったところ、どうも硬膜下血種がありそうである。しかも、ミッドラインシフトまでありそうである。あわててMRをとって確認、家族に連絡するとともに救急病院と連絡をとった。通常だとそれで終わりなのであるが、一向に転送先がきまらない。変な言い方だが、硬膜下血種は脳外科としてはとても“おいしい”症例のはずで、きわめて侵襲の少ない手術でほぼ確実に救命ができる疾患なので、いつもは“喜んで”とってもらえるのだが、なかなか受けてもらえない。「手術室が確保できない」というような理由である。こちらは文京区にある病院で、周囲には医科歯科や日本医大のような大きな救命救急のセンターがある。それでも駄目なのである。最終的にようやく東大でとってもらえたが、今までにない経験だった。
 最近、新型コロナウイルスの関連で、人工呼吸器が足りないというようなことがいわれている。しかし呼吸器という機械だけあっても、それを扱える医者がいなければどうにもならない。おそらく呼吸器の操作に一番熟達しているのはICU・CCUの医師とともに麻酔科の医師や呼吸器内科や外科の医師のはずで、そういう医師がコロナ感染対策にかりだされているのだろうか? あるいは呼吸器を一番所有している部署は手術室かもしれないので、呼吸器も一時的に新型コロナウイルス治療にまわされていたりするのだろうか?
 自分が研修していたときの経験では呼吸器管理が必要になった患者の受け持ちになったりすると(ARDSといった病名がつけられている場合が多かった)、その患者さんが自分の受け持ち患者のほぼ100%になったような感じで、その患者さんが安定するまでは、連日の泊まり込みが必須であった。だから、そういう呼吸器管理が必要な患者さんばかりが集まっている病棟を受け持っている医師や看護スタッフの苦労は察するにあまりある。
 そのためか、最近のマスコミの報道をみると、えらく医者や看護師などの医療関係者をもちあげている記事や報道が多く、それはそれで気持ちが悪い。ひと昔前の医療過誤叩きを競っていた時代とは隔世の感である。
わたくしのような外来診療だけを担当してものでも、診察をするからには病院にいかなければならないから《在宅勤務》は不可能であるし、診察行為では《密接》を避けることも不可能である。律儀な患者さんは診察室にはいってきて、「マスクをしたままで済みません」と言ったり、マスクを外そうとしたりする。「いえいえ、そのままで結構です」とはいうが、咽頭を観察するときには、外してもらわなければならない。
そうではあるが、わたくしはインフルエンザが流行しているときでも普通に診療していて(ワクチン接種はしているとはいえ)、数十年の間、一度もインフルエンザに罹患したことがないので、今度のウイルスもインフルエンザ・ウイルスとほぼ同程度の感染力であるとされているので、まあそれほどの危機感をもって診療をしているわけではない。
だが、それはこちらが、外来だけ担当しているからであって、すでにCOVID-19と確定している患者さんばかりを担当している医療者は全く、別であろう。自分が若いころに経験したやや似た経験としては、エイズが流行しだしたころにエイズ感染患者を担当したことかもしれない。採血などは看護師さんはやってくれずすべてこちらがやることになった。しかしこれは血液、体液を介した感染であるので、特別な感染防御などが必要とされたわけではない。
 今回、たまたま救急搬送に難渋した経験で、COVID-19感染流行が医療現場に様々に影響していることを実感することになった。
状況は1週間単位で変わっているので、もう1週間・2週間するとそんなのんびりした感想を抱くような状況では全然なくなっているかもしれないが、とりあえずの、現在、市中病院で外来診療をしている人間の感想である。

三浦雅士「石坂洋次郎の逆襲」(2)

 渡部昇一氏の「戦後啓蒙のおわり・三島由紀夫」(「腐敗の時代」1975年 初出「諸君! 1974年12月号」)は三島由紀夫、特にその「鏡子の家」、を論じたものであるが、昭和35年(1960年)の日本社会党委員長浅沼稲次郎刺殺事件から稿を起こしている。その犯人である山口二矢はその年の十一月に少年鑑別所で「七生報国」と「天皇陛下万歳」と書き残して自殺しているが、渡部氏は映画館のニュース映画で浅沼刺殺事件の映像をみて「戦後はこれで終わった」と感じ、そして、突然、この事件を解く鍵が前年に出版されていた三島由紀夫の「鏡子の家」にあると感じたとのだという。さらに後年の三島事件のテレビ映像に刺激されて読み返した小説が、石坂洋次郎の「青い山脈」と「山のかなたに」であったのだ、と。三島事件の時、三島も「七生報国」の鉢巻きをしていた。三島の死の後で読む「青い山脈」や「山のかなたに」は「恥ずかしいほど明るく、恥ずかしいほど楽天的で、恥ずかしいほど浅薄で、読むに耐えない底のものであった」という。
 しかし、昭和22年に当時山形県鶴岡市の高校生であった渡部氏が学校の図書館で読んだ「青い山脈」は膝に震えがくるほどの面白さであったという。そして西条八十作曲の映画「青い山脈」の主題歌が引用される。「若く明るい唄声に 雪崩も消える花も咲く 青い山脈 雪割り桜 空の果て 今日もわれらの夢を呼ぶ・・・」 過去は暗く未来は明るい・・。
 渡部氏の高校時代の先生は「石坂洋次郎の小説には、男のほっぺたをひっぱたく女が必ず出てくるな」といっていたという。「石坂洋次郎が『若い人』をはじめとする人気作の中に、女子大を出た知的な女教師を登場させ、その女主人公に男のほっぺたをひっぱたくシーンを用意したことは当時としてはなみなみならぬ小説技巧であった」と渡部氏はいう。昔の男は偉い者であって・・特に東北地方ではいつまでも男子尊重の念が強かったのであるから、そういう石坂の女性像は漱石が「三四郎」で美彌子を創造したのと同じで、まだ現実には存在していない女性の像を小説の中で造形して、「男のほっぺたをひっぱたく女が」が現実にも出てくることを石坂は期待したのだ、と。
 この辺りから少しずつ三浦氏の石坂洋次郎論に戻っていける。三浦氏はいう。石坂には「女を主体として描く」という特徴があるのだと。女は主体的に男を選び、男に結婚を促し、自分自身の事業を展開する主体なのだ、と。その理由として三浦氏が挙げるのが、日本の東北の苛烈な自然環境においては主体的な女なしに生活はありえなかったということを石坂氏が肌身に沁みて知っていたことと、石坂が母の経済的な才能と力量によって大学に進学できたことを挙げる。そして石坂氏が進学した慶応大学で柳田國男折口信夫に接することにより「女性が強いということこそが日本古来の姿であった」と徹底的に認識することになったのだ、と。「津軽の女は強くて主体的だが、じつはそのほうが人間本来の姿だと考えたのだ」と。「女は昔から強かったのだ」と。
 ここで、二つのまったく異なる主張に出会うことになる。渡部氏は石坂は現実にはまだ存在していない女性像を将来に期待して、筆の上で造り上げたのだというのに対し、三浦氏はすでに存在している女性像を、石坂氏はただ目鼻立ちをくっきりさせて提示したに過ぎないのだという。面白いことに、石坂氏も渡部氏も三浦氏もみな東北の出身である。
この両者の主張のどちらが正しいかを論じても意味がないだろうと思う。現実にどこかに石坂氏が描くような女性はいたかもしれないが、それはごく例外的な少数であった場合、両者の主張はともに肯定されうるからである。この場合、一番の問題は女性の経済的な自立ということであると思う。
 それで、わたくしの場合について少し考えてみる。わたくしが育った環境において、自分の周囲に働いている女性がいなかった。ほとんど全部が専業主婦であった。唯一の例外が看護師さんをしていた親戚で、最終的に大きな病院の師長さんをしたので、終生働いていたわけだが、夫君は社会主義協会の重鎮であった方で、生涯を社会主義の世界を地上の天国であると信じたまま終わったという、大変幸せな生をおくった方で、思想の世界に生きるひとの常として(なのかどうかはわからないが)家計の方面にはいたって疎い人であったので、奥さんが経済的の方面はもっぱら担っていたのではないかと思う。奥さんは夫君の思想的同志でもあり、ご主人が社会主義世界の実現のために邁進するのを支えることをいたって当然のこととしていたので、旦那さんが甲斐性のないので自分が家計を支えざるをえないというような感じ方は微塵も持っていなかっただろうと思う。おそらく政治の世界は男の世界と思っていたのではないかと思う。
 もちろん、専業主婦というのはほとんどの場合、家計の実権を握っているのであるから、家のなかでほんとうに権力を握っているのは女性ということになるのかもしれないが、わたくしの場合には周囲に働く女性というのは現実の像としてはほとんど知らなかった。
 「東北の苛烈な自然環境においては主体的な女なしに生活はありえなかった」というのは本当であろうと思うが、これは農家のことを指すのではないだろうか? 農家の嫁というのはまず労働力として期待されていたはずである。そしてまた、子という新たな労働力を再生産する存在としても。戦後のある時期、専業主婦というのが一部の女性の憧れの対象となったのは、労働力として期待されるのではなく一人の女性として望まれるという形が魅力的に映ったということがあるのではないだろうか?
 わたくしが最近強く感じているのが、自分が杉並という東京の山の手という新興の街でほとんどの人生を過ぎしてきたことが、自分に決定的に影響しているのではないかということである。
 堀田善衛氏の「若き日の詩人たちの肖像」をぼちぼちと少しずつ読んでいるのだが、そこで感じるのは堀田氏が金沢という歴史のある町に生まれたということが、堀田氏の様々なものへの視点に決定的に影響をあたえているということである。氏が若き日に東京に出てきてまず感じるのが東京という町の文化的な貧しさである。
 わたくしが小学校の頃、課外実習?で時々、学校のそとに出て田圃でザリガニを採りにいったりしていた。なにしろ、学校のすぐにある井の頭の線沿線は一面、田圃であったのである。それが次々に住宅地にかわっていったのであるが、それまで人が住んでいなかったところが住宅地にかわっていったわけである。何代にもわたって人が住み続けることではじめてうまれるような蓄積は皆無なわけである。堀田氏は金沢という歴史のある土地に生まれ、(没落しつつあるとはいえ)回船問屋という外に開かれた商家の出である。
 だから自分の生活の律するような自前の内なる規範がなかった。今から思うとわたくしが中学から高校にかけて抱いていたものの見方はなにがしかヴィクトリア朝的道徳に繋がるようなものである。あるいはそのころテレビで放映されていたドラマに描かれたアメリカの家庭像などにも無意識に感化されたのかもしれない。たとえば、「パパは何でも知っている」(原題は Father knows best 何といううまい訳であろうかと感心した。)
 そして、わたくしが中学高校時代に漠然と感じていた石坂洋次郎の像というのは、なにがしかアメリカ的価値観的なものの唱道者というものであった。渡部昇一氏が三島事件のときに感じたという石坂像と同じである。一言でいえば、「暗さ」がない。あるいは「影」がない。「後ろめたさ」がない。「深さ」がない。総じて、われわれが文学というものに期待している何か(たとえば太宰治的なもの)をほとんど欠いている。「明るさは滅びの姿であろうか。人も家も、暗いうちはまだ滅亡せぬ」(太宰治:右大臣実朝)
 この三浦氏の提出する石坂洋次郎像が面白いのは、そういう旧来からの石坂像を見事にひっくり返している点にある。石坂洋次郎もまた「暗い」のだぞ! と。
 暗い石坂像はまた稿をあらためて。

石坂洋次郎の逆襲

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腐敗の時代 (PHP文庫)

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鏡子の家 (新潮文庫)

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若き日の詩人たちの肖像 上 (集英社文庫)

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  • 作者:堀田 善衞
  • 発売日: 1977/10/20
  • メディア: ペーパーバック