コロナ・ワクチン接種の予診票の問題

 今日の朝日新聞の3面に「接種 予診票の質問で混乱」という記事がでていた。この3面はすべてコロナ・ワクチン関連の記事でその中でも目立たない記事である。
 この「接種 予診票の質問で混乱」というタイトルでは「あ、また混乱ね!」と受け取られるだけで、この記事の意味するところはほとんど伝わらないだろうと思う。タイトルの下の「かかりつけ医に相談」厚労省削除へ」というのが眼目で、本来ならこのタイトルが表にこなくてはいけない。
 予診票に「かかりつけ医に事前に接種の可否を確認したか」という項目があるが、医師への問い合わせがあいついだり、現場で混乱が生じているので、削除するという内容である。
 
 予診票には「現在、何らかの病気にかかって、治療(投薬など)を受けていますか。」という欄があり、病名 治療内容を問う項目があり、最後に「その病気を診てもらっている医師に今日の予防接種を受けてよいと言われましたか。」という項目がある。これを削除するということである。

 しばらく前にネットでみた話に、接種の予診票でこのような項目があるのは日本だけで、これがあるのは予診票作成過程の直前に医師会が強引にこれを追加させたから、ということがでていた。
 医師への「自分は接種しても大丈夫ですか?」という問い合わせの電話に対応することが診療行為にあたるかは微妙であるが、来院して直接面談した場合には再診料を請求することになるのだろうと思う。おそらく医師会が「かかりつけ医に大丈夫といわれましたか」という項目を強引に追加させたのはそのためだろうと思う。

 実際に今外来診療をしていると、この種の問い合わせで相当な混乱が生じている。
 この項目が削除されたということが周知されればかなりの混乱回避が期待できるはずである。とすれば公器たる新聞の使命は、これから接種をうけるかたに、予診票のその項目への記入は不要です、ということを徹底させることであるはずである。
 しかし片隅に一見しただけでは、その項目への回答は不要になったということとは気がつかないような記事を載せるというのは、新聞社もまた医師会に配慮忖度しなければいけない立場なのかなあ?ということを感じた。

ワクチンの打ち手

 最近、コロナワクチンの接種が少し進んできて、打ち手の問題がクローズアップされてきている、
 要するに接種の筋肉注射は医療行為であるから、癌密に資格を有するひとのみが行えるものであるということで、医師・看護師などに限定されるという話である。
 しかし、テレビなどで接種の現場をみたかたはお分かりになるだろうと思うが、これは誰にでも行える単純な行為である。確かに人の体に針を刺すというのを行うのは怖いだろうが、針は細く、長さも短く、打つ方向も一定であり、数十回、模型などで練習すれば、大丈夫なはずである。
 専門家が必要なのは問診、そして万一副反応が出た場合の対応である。
 どうも医師会は、なるべく医者でなければできない行為を残しておきたいらしい。
 大分昔であるが、血圧測定は神聖な医療行為であり、素人が計るなどトンデモないといって救急車で消防隊員が血圧測定するなど断じて許さないなどといっていた時代もあるらしい。今なら機械が血圧を測る。

 医療の世界のIT化が遅れていると言われているが、医師会の一部の老先生は未だにコンピュータが苦手で、メールが使えないというのが現状で、そのためいまだに連絡には公式にはファックスが使われている。
 
 つまり、厚生労働省が直接各病院診療所に直接命令を出すことはできず、いまだに医師会にお願いして、そこから展開されるという体制になっている。

 わたくしが医師会に属していたのは10年前までなので今は変わっているかもしれない。
 なぜ未だに医療行為は細々とは続けているのに、10年前に退会したのかというと、病院長は医師会に入会するのが義務であったからである。院長になるまでは医師会にはまったく関心がなく加入もしていなかった。
 その時の経験では、医師会の先生方はいたって地味で、バッハ会長のような方はひとりもいなかったし、その奥様方もミンクのコートというようなこともなかった。

 おそらく今でも、開業の先生のほとんどは外来だけで病床は持っていない。そしてつい最近まで医科大学の新設に一貫して反対してきた。これは根拠があることで、それをしてこなかった歯科は、歯科医院がふえて、経済的に厳しい状況になっているらしい。
 そして病院ができると患者さんの多くがそちらにいってしまう。

 しかし、平時には経済合理性があった医師会の主張も、非常時には機能しなくなる。現在、その問題点が一斉に露わになってきているわけである。コロナ対応病床を作れといっても、ものだけ作ってもダメで、呼吸器などを問題なく使える人材もそろえなくては機能しない。
 それには少なくとも数年の時間が必要なはずである。
 ワクチンの打ち手は誰がやってもいいと思うが、呼吸器の操作などはそうはいかない。日本は軽症の慢性疾患への対応を中心におこなわれてきたので、そのつけが今まわってきて、あちこちで問題が露呈してきている。しかし、もしコロナの感染が終息すると、またもとに戻ってしまうのではないかと思っている。

開戦前夜?

 最近、オリンピックをめぐって色々な意見が飛び交っている。そこでは今の感染状況でオリンピックが開催できるだろうかという一見科学的なあるいは客観的にみえる議論においても、その根底には日本はバカにされている、あるいは日本人の見方は無視されて、欧米の上流階級がしたいようにしているといった気分あるいはうっぷんが潜在しているのではないかと思う。何か嫌韓嫌中と似たようなものを感じる。
嫌韓嫌中は一部の方であると思うが、それが日本人のかなりに広がっているように思えて、ちょっと気になる。

 第二次世界大戦大東亜戦争?)開戦直前の日本では欧米列強にしたいようにされているといううっぷんが充満していたが、開戦とともに頭上の暗雲が一気に払われて、清々しい晴天になったような清明な気分になったといわれている。
 菅首相はオリンピックを強行にでも開催することで国威発揚になると思っているのかもしれない。一方、オリンピック中止を言っているひとの(一部?)は、それを中止させることで、日本が欧米と(あるいは中国とも)対等の一流国家で自分を貫ける気概を持っているのだということを示したいのかもしれない。

 昔、ある通産官僚の方が、日本はまだまだ駄目だと思って坂の上の雲を目ざして上っているうちはいいが、もう一流になったと思って慢心するようになるとすぐに坂の下の沼に落ちてしまうといっていた。
 わたくしは日本はアジアの辺縁の小国であると思っているので、最近の気分はちょっとあぶないなと感じている。

東京の街並み

 最近わけあって散歩をする機会がふえている。それで近所を散策してみて感じたことを少し書いてみる。
 一言でいうとまことにつまらない街だなあということである。
 ヨーロッパにいっていつも驚くのが、街並みがとても整然としていることである。皆、似たような建物で屋根の色も一緒、全体としての街並みというものがある。最近、日本では同調圧力ということが言われているが、ヨーロッパでは家を建てるに際し、同調圧力のようなものが働くのだろうか?

 わたくしが住んでいるのは杉並だが、おそらく前に住んでいたひとの土地が2等分、3等分されて、そこにほぼ似ているが微妙に異なる家が二棟・三棟建てられている。完全に同じならまだある種の美ができるかもしれないが、微妙に自己主張しているので統一性は感じられない。壁は合板というのだろうか、木とか土は使われていない。おそらくそういうところに住んでいると自然への希求が生じるのであろう、花などが小さな庭に植えられている。

 ヨーロッパの街にみられる自分たちが住んでいる町を残しておきたいという意思のようなものが少しも感じられない何か殺伐とした街並みなのである。

コロナ・ワクチン2回目

3週間前に一回目を打ったので13日に二回目の接種をした。一回目は注射部位の疼痛程度くらいであったが、今回はやや倦怠感があったが軽微であった。これで10日前後たてばほぼ高率に抗体ができてくるはずである。

 外来でも高齢の方がようやく予約がとれたとか、何回電話したもつながらなかった、という話題の対応に多くの時間を割くことになってきた。予約がとれて明日が一回目なのだが、まだ打とうかやめようか迷っているというひともいた。インフルエンザ・ワクチンのときにはそういうことはなかったから、テレビが不安を煽りすぎているように思う。
 予想通り、問診票の「主治医はワクチンを打ってもいいと言っていますか?」の項目についての質問も多く当面対応が大変そうである。
 各自治体で対応が異なるので、質問されても答えられないことも多い。
 制度設計がうまくいっていないことを強く感じる。ワクチンの入荷量がすくないのが原因なので仕方がない面もあるのだろうが・・・。

新聞がおかしくなってきている?

 新聞といってもわたくしがとっているのが朝日新聞であるので、それへの感想である。

 最近やたらと広告が多くなってきているなあという印象があったので、本日の朝刊を調べてみた。
 2面通しの広告が一つ、全面広告五つ。その一つはコロナワクチンについての政府の広報だから厳密には広告とはいえないかもしれないが。
 28面の新聞の内7面が広告であるので1/4が広告のみ。他にテレビ番組表が1面。ラジオ番組表が1面。今日は日曜なのでないが、他の曜日では虫眼鏡が必要となる細かい活字で印刷された株式欄が1面ある。
全面広告、2面通しの広告は、美容品、(健康にいい)ベッド、(足の筋肉を鍛える)健康器具、(健康食用の調理器具)、そしてコロナワクチンについての政府広報。驚くことに健康に関するものばかりである。日本人は健康だけにしか関心がなくなってなっているのだろうか? 
医者はサプリメントとか健康食品とかを否定的にみる傾向があるが、わたくしがみても本当に効果があるのかなあと思うものばかりである。

朝日新聞ではかなり以前から夕刊の一面は時事的な報道ではなく、もっと一般的な話題を掲載するようになっている。要するにその記事は相当前から用意しておけるものなので紙面づくりが楽なのであろう。
わたくしなどは、これはいずれ夕刊を廃止するための準備なのではないかと思っているのだが、要するに部数減少ともあいまって新聞の報道機関・言論機関としての役割について自信がもてなくなってきていて、それでも潰れないために広告収入を確保することを優先し、いささか胡散臭いように見えるようなものでも掲載し、その合間をとりあえず従来型の朝日岩波路線の記事で埋めていくことでなんとか新聞としての体面を保っているのではないだろうか?
それでも朝日新聞社は膨大な不動産を所有していて不動産屋としても食べていけるらしいが、毎日新聞などももっと悲惨で、公明新聞の印刷を引き受けることでかろうじて生き延びているというような話を聞いたことがある。
新聞の契約の更新のたびに、販売店から何かもってくる。
わたくしの年代では新聞を読むのが習慣になっているので、惰性で今でも継続しているが(だから高齢者むけの健康に関する広告が増えるのであろう)、新聞社の命脈はわれわれの世代がいなくなると尽きてしまうのではないだろうか?

コロナ・ワクチンの接種

医療者の特権で2週間前に第一回の接種を受け、来週に二回目を受ける予定である。
 少なくとも、第一回目ではほとんど副作用はでなかった。(接種の翌日に接種部の軽い痛みがあった程度。)

 接種の前に予診票にいろいろ書かねばならないところがあるのだが、自宅にクーポン券が届く前に第一回目を受けたので、予診票の右上にあるクーポン貼付の欄は無視したし、「現在、何らかの病気にかかって、治療「(投薬など)を受けていますか。」もまた無視した。そして、その下にある「その病気を診てもらっている医師に今日の予防接種を受けてよいと言われましたか。」も無視したのだが、連休が明けた今日、やたらと患者さんからの「わたしは受けてもいいでしょうか?」という電話が(あるいは今日外来受診した患者さんからは直接聞かれた)がかかってきていささか閉口した。連休明けというのはただでさえ外来患者が多いのに、コロナ・ワクチンが高齢者に少しずつ接種の具体的予定が決まってきたことも関係しているのだろうと思う。
 これからワクチン接種が軌道に乗ってくると、「わたくしは受けて大丈夫でしょうか?」という問い合わせの電話がどんどんと増えてくるだろうと思う。
 接種の場所には医師がいて問診などを担当しているはずであるが、その場合、主治医が打っても受けても大丈夫といった患者さんが問診担当の医師から受けないほうがいいと言われたとか、その逆のケースも時々でてくるであろうと思う。
 その場合、どちらの見解を優先するとかのルールが決まっているのだろうか?
 今、外来をやっていて、もともと通院しているもとの病気の診療より、「先生、わたくしはワクチン打っても大丈夫ですか?」という質問への対応に多くの時間をとられることが多い。
 とにかく、大きな枠組みとか、こういう場合にはこう対応するというフロー・チャートのようなものがまったく見えない。
 すべて現場で判断して下さい、という丸投げでは、接種が軌道に乗ってくると、様々なところで予期しない問題が次々とでてくるのではないかと心配である。