読んで来た本(7)科学哲学

 科学哲学に接するようになったきっかけははっきりしている。1980年から出版された岩波書店の叢書「文化の現在」の「喜ばしき学問」というのを買ったことである。何で買ったのかは思い出せない。このころ目にすることが多かった阿部謹也さんの文を読もうと思ったのだろうか?
 目次をみていたら村上陽一郎というきいたことのない人の「自己の解体と変革」というのが目についた。いかにも全共闘派の使っていた言葉である。まだこんなことを言っているひとがいるのだと思い。面白半分読んでみた。
 しかし、予想していたのとは違い「学問を職業とすることの後ろめたさ」をテーマとした文だった。しかも「科学史」という新興の学問、まだ物理や数学のように充分には独立していない学問分野において・・。
 ここではシャルガフの「へラクレトスの火」も紹介されていて後から読んでとても面白かった。ワトソンらの「二重らせん」などとのあまりに違いにいろいろと考えさせられた。科学者というのはアマチュアであるべきでは・・。
 
 それで、村上氏の「近代科学と聖俗革命」なども読み、科学哲学の分野に大きな興味を持つようになった。
 村上氏は“anything goes” 何でもあり!を唱えるファイアーベントに共鳴していたのではないかと思うが、わたくしは、その論敵のK・ポパーに帰依し、その後一貫してポパー主義者のままで来ている。ポパーについては、別に独立して論じたい。

 その「開かれた社会とその敵」などは今ウクライナでおきていることを考える場合に必読の文献の一つではないかと思う。

政治音痴を自認する人間の考えるいくつかの疑問

1) 現在ロシアがやっていることは、戦前の日本が中国におこなっていたことと同じなのではないだろうか?(日本の場合は、もっと稚拙なやりかたであったかもしれないが) なぜかそのことを指摘する「左」のひとが多くないように感じる。なぜだろうか?

2) 現在のロシアと、崩壊前のソヴィエトとはどのような関係になるのだろうか?(不連続? 連続?)

3) 現在の中国は共産主義国家なのだろうか? 北朝鮮は?

4) そもそも共産主義とは何? マルクス主義とそれらを国是とし標榜した国家との関係は? そもそも思想で国家が構築できるのか?

5) ソ連ゴルバチョフがでて来たときの日本の言論界の異様な高揚を思い出す。ようやく西洋の価値観を理解できる人間が東にも出て来た!とでもいうような。

6) トッドのいうように、国家の形態は、それどれの地域での相続の仕方によって決まるのだろうか?

7) 西側は「政治的に正しい言論」の力をいまだ信じているのだろうか?

8) とすると現状おきていることは、現実的な力と言葉の力の対決?

9) いずれにしても、18世紀末からの“啓蒙の時代”が今大きな転機を迎えていることは間違いないように思う。

10) “啓蒙”というのは知的なフィクションなのだから、誰かが「王様は裸だ!」と言い出せば簡単に崩れてしまうものなのかもしれない。

11) 「暴力の人類史」を書き「21世紀の啓蒙」を書いたピンターさんは今どんな思いでいるだろうか?

12) 第二次世界大戦終結からソ連崩壊までが約45年、それから今回の事態まで約30年。再び鉄のカーテンがひかれ東西の分裂が始まるのだろうか?

 わたくしは吉田健一信者としてずっと“啓蒙思想”の側に立つ人間と思ってきた。啓蒙思想とは反宗教の思想でもあると思う。

 それではプーチンさんが信じるものは何? ロシア正教? ロシアという大地?

 プーチンさんは、見神体験をしたのだろうか?

 ジャンヌダルクイングランドに占領されていたフランス領を奪還せよという神の「声」を聞いたとされていると思う。

市民達よ 武器を取れ

 「市民達よ 武器を取れ」Aux armes, citoyens, というのはフランス国歌の一部で、もともとはフランス革命の時に歌われたものらしい。

 ところで、フランス世紀末の詩人ラフォルグは「最後の詩」「Ⅵ 簡単な臨終」の一部でこんなことを歌っている。(吉田健一訳)

 ハレルヤ、碌でなしの地球奴。
 地球が滅びるのを
 早めてならない理由はない。
 
 市民達よ、武器を取れ。「理性」がこの世から失はれたのだ。
 ・・・
 (訳詩集「葡萄酒の色」吉田健一訳 岩波文庫


 最近の報道を見ていて、なぜかこの詩を思い出した。

デモクラシー

 わたくしは全くの政治音痴なので以下書くことはまったくの見当はずれかも知れないが、デモクラシーという形態が、今、崩壊し始めているように思う。
 デモクラシーの前提はわれわれには何が正しいかはわからない、ということだと思う。何が正しいかわからないから、とりあえずその時の多数が支持する見解を暫定的な指針として社会を運営していこう、それがデモクラシーというものだと思う。
 しかしもちろんそれに反する見解もあるわけで、優れた個人には真理がわかるとする。
例えば科学の分野では99.999・・・%の人には嘘としか思えないことが“真”であるとされる。相対性理論などはある時期には世界で3人しか理解できないと言われていたこともあるらしい。
量子力学などもそうで、なぜそのようになるのかはわからないがそのような説明をすると世界でおきている事象をうまく説明できるのだとフィンマンさんが言っていた。
 そもそも数学というのが人間の頭の中にのみ存在するものなのか、それとも人間などが生まれる前から宇宙に遍在していたものなのかもわたくしにはわからない。

 ある時期、科学というものに過大な期待が寄せられていた時期があって、それで科学的社会主義などという言葉も生まれた。優れた人間には世界がどのように発展してきて、これからどうなっていくかを知ることができるという見方が出て来たわけである。
そのような見方の代表者の一人がカール・マルクスで、一人の人間が世界に大きな惨劇をもたらした人の筆頭に挙げてもいいひとではないかと思う。

 さていきなり話が飛ぶ。
 学校群制度ができる前後の日比谷高校の生徒”薫くん“を主人公にした庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」という小説がある。
 東大紛争を時代背景としているのだから(1969年刊)、半世紀以上前の本で、学校群とかその当時は都立日比谷高校が東大入学者のトップだったということはほとんどの方にはなんのことやらであるかもしれない。

 ここで言いたいのは、当時の日比谷高校が受験競争のトップ高であるのに、学内ではオーケストラ活動が盛んで、文芸誌の発刊も多数で、受験勉強なんて誰がしているのという顔を生徒がみなしているという、まことに“いやったらしい学校だったということである。
 「ああいうキザでいやったらしい大芝居というのは、それを続けるにはそれこそ全員が意地を張って見栄を張って無理して大騒ぎしなければならないけれど、壊すだんになればそれこそ刃物はいらない。・・・芸術にしても民主政治にしても・・・およそこういった知的フィクションは・・・実はごくごく危なっかしい手品みたいなものの連続で辛うじて支えられているのかもしれない。・・・」
 今、世界では、「もうお芝居はやめよう。力こそ正義だ!」という動きが前面にでてきて、デモクラシーという「キザでいやったらしい大芝居」が崩壊しようとしているのではないかと感じる。
 もう50年前に書かれたこの本はもう一度読みかえされてもいいのかも知れない。
 
「赤頭巾ちゃん・・」をふくむ薫くん4部作は、大学での政治学のテキストとして使われることもあると聞く。

読んで来た本(6)養老孟司

 次は吉田健一をとりあげようと思っていたのだが、いくらでも書くことがありそうなので、ここで一度理系に転じて養老孟司さんについて書いてみたいと思う。もっとも養老さんが理系の人であるのかはいささか問題かもしれないが・・・。
 養老さんを読みだしたきっかけははっきりしていて、東大の解剖学の教授が何か変な本を書いているという噂がどこからともなく聞こえてきたからである。それでかなり早期から氏の著作を読んで来ている、氏がやたらと本を出すこともあり、書棚には50冊以上の氏の本がある。

 氏の最初の単著は「ヒトの見方」であるらしい。1985年刊であるからわたくしが38歳頃である。いままで氏が雑誌などに書いた論文?などを主として収めたもので、もう少し後の「唯脳論」などで氏が展開する文明論などとは異なり、ほとんどがかろうじてではあるが自然科学の論文の範疇に収まると思われるものである。「顔の見方」「ヒトにはなぜヒゲがないか」「形態と機能からみた人間」・・これらには図版も多くふくまれている科学論文風のものである。問題はそれが日本語で書かれている点で、そのころ氏が考えていた「なぜ科学論文は英語で書かれなければいけないのか。母国語であってはいけないのか?」の疑問への回答として書かれたものであろうと思われる。しかし、そのことは当然、学問の正統からは外れることでもあり、事実、氏はその後。急速に医学界の外へと向かっていく。
 そういう論文?の前後に「機械論と機能論」「形態学からみた進化」「鴎外とケストラー」といった論が収められているという本である。
 わたくしがこの本を読んで一番驚いたのは、東大解剖学教授が英語で論文を書かず日本語で論文を書くと宣言していることだった。学問の世界では英語が公用語で、ドイツ人もフランス人もみんな英語で論文を書いている時代になんということを!と思った。
英語で論文を書くというのは、そこから情緒も何も消し去って、事実としての「結果」とそれへの「考察」を述べることである。
後から考えると、養老氏が後に論ずることになる「都市化」とか「脳化」の典型的な例として、「学術論文は英語で書く」ということがあったのであろうと思うが、当時はただ驚いた。

吉野裕子氏編の「英語のバカヤロー!」という本がある(奉文堂 2009年)。そこで養老さんはこんなことを言っている。「日本には「言うに言われぬ」とか「筆舌に尽くしがたい」とか「言葉にならない感情」というものがあるでしょう。でもあちらの人はそうは思っていない。何でも言えると思っている。「以心伝心」という文明はあちらにはない。」
 養老氏が後に言い出す「都市化」とか「脳化」というのはあるいはここで言われる「アメリカ化」のことかもしれない。

養老氏のお弟子さんの布施英利氏の「養老孟司入門」という本がある(ちくま新書 2021年)。主として養老氏の書き降ろしの本を見ていくことで氏の思考を辿っていこうとした本である。
養老氏の最初の書き降ろしの本は「形を読む(培風館)」らしい。これは1986年の刊だから、あるいはこれが養老氏の本を読んだはじめかもしれない。だが、初読ではあまり印象には残らなかった。ただ、客観的・主観的ということにこだわった本であることだけはよくわかった。
やはり大きく影響を受けたのは「唯脳論」1998年であると思う。そしてその系である「「都市主義」の限界」2002年」である。その最初にある「「都市主義」の限界」は、「大学紛争とはなんだったのか」を論じることから始まる。これは、全共闘=田舎者という主張?だから、怒る人も多いだろうが、例えば庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」にもこういうところがある。「つまり田舎から東京に出てきて、いろんなことにことごとくびっくりして深刻に悩んで、おれたちに対する被害妄想でノイローゼになって、そしてあれこれ暴れては挫折し暴れては失敗し、そして東京というか現代文明の病弊のなかで傷ついた純粋な魂の孤独なうめき声かなんかあげるんだ。」と書いている。また鹿島茂さんも、全共闘運動は「自分がその家で初めての大学生となって都会に出て来た若者の運動」だったということを言っている。
養老さんの言。「全共闘はどうみても田舎臭かったのである。ゲバ棒に覆面、ヘルメットと言う姿をいまの学生に見せたら、ただ一言、ダサイというのではないか。」 要するに、純粋ではなく、野暮なんのだ、と。
おそらく養老孟司という人をつくったのは東大紛争だっただろうと思う。氏の著作としてはあまり知られていないように思う「運のつき」(マガジンハウス 2004年)の第3章・第4章・第7章などは全共闘に対するうらみのオンパレードである。
わたくしが養老氏の著作にずっと関心があったのは、自分が東大紛争の渦中にいたことのある人間だからではないかと思う。
そして、わたくしの父がすでに東京の山の手で暮らしていたので、わたくしが東京二代目であるということである。鎌倉暮らしの養老氏は東京人とはいえないかも知れないが、わたくしには養老氏は東京山の手の人のイメージが拭えない。少なくとも氏は二代目である。
そういう氏が、それでも「都市主義の限界」をいい、里山をたたえ、参勤交代をいうのは、氏が小さい頃から昆虫採集をする人でもあることが関係しているのかも知れない。
わたくしの小学校時代には、夏休みの課題として昆虫採集というのがまだあり、虫取り網でかろうじてトンボとか蝉とかを採っていた(杉並に住んでいて、まだ井の頭線沿線は田圃だった)。今ではそんな課題はありえないだろう。

その後は、養老氏は「本の解剖学」とか「臨床読書日記」とか「ミステリー中毒」とか「脳が読む」とか「小説を読みながら考えた」とか、本にかんする本もたくさん出しているので、そちらの方に主にお世話になってきたように思う。
「本の解剖学1」の「脳が読む」の巻頭にある「本の読み方」ではこんなことが書いてある。
「私は年中本を読む。歩きながら読む。トイレで読む。寝床で読む。風呂で読む。電車の中では、本がないと死にそうになる。・・・電車で読むものがないときは、隣の人の新聞や本を読む。開いてある頁を、私が先に読み終わる。他人が読んでいる本の頁を、めくるわけにはいかない。それがじつにイライラする。・・・」 完全な活字中毒である。
この本の巻末は「原理主義と唯脳主義」。表題通りの議論が進んだあと、なぜかいきなりS・キングの「ハーツ・イン・アトランティス」に話が飛ぶ。それでどれどれ自分も読んでみるかと思ったらまだ翻訳がでていなかった。養老さんは当然のように原著で読んでいるようである。それで原著のペイパーバックを取り寄せて、乏しい英語力で無理やり読んでみた。これは主人公が辛うじてつながる二つの中編と三つの短編からなる本なのだが、最後の方の短編のあたりは全然読めていなかったことが後からでた翻訳を読んでわかった。
 この翻訳が出たのは、この中短編集の最初の「黄色い上着の背の低い男たち」が映画化され、「アトランティスのこころ」という題名で公開されたのに連携してであったと思う。この題名になったのはこの中短編集が「ハーツ・イン・アトランティス」という題名でアメリカで刊行されていたからであろう。しかしこの映画だけ見たひとはなぜこの題名なのかはさっぱり理解できなかったはずである。日本語翻訳では表題は「アトランティスのこころ」であるが、真ん中の中編のタイトルは「アトランティスのハーツ」となっている。これはハーツというのがトランプのハート遊びのことだからでそうなって当然である。
 わたくしが面白かったのは真ん中の中編の「アトランティスのハーツ」で、そこに描かれる1960年代のアメリカの大学生の生活(べトナム戦争を背景にそれに怯えながらもハーツ遊びに明け暮れる自堕落な生活)だった。しかしそれは一切映画では描かれない。

 というようなことで、養老氏からはいろいろな本を教えられたが、その最大のものは、「小説を読みながら考えた」(双葉社 2007年)にある羽入辰郎氏の「マックス・ヴェーバーの犯罪」(ミネルヴァ書房 2003)である。もっともこの本を最初に知ったのは、新聞で年末恒例の「今年の収穫3冊」といった欄で養老氏が紹介していたからであるが。
 とにかく、マックス・ヴェーバーという社会学の分野の超有名学者が「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」という主著でいんちきをしていたという話である。すでにこの世にいないヴェーバーにかわってヴェーバーを神輿に担ぐ日本の学者さんたちが柳眉を逆立てて反論していたが、その後はどうなっているのだろうか?

 「バカの壁」(新潮社 2003年)以降の著書は同じ主張の繰り返しが多いように思い、本が出たらすぐ読むことはしなくなっている。

 最近は愛猫のマルさんとその死のことをいろいろ書いているようである。

和田秀樹 鳥集徹 「東大医学部」

 精神科医師である和田氏と医療ジャーナリストの鳥集氏との対談本である。
 しかし何を論じたいのかが今一つよくわからない本だった。
 例えば、表紙には「本物の「成功者」はどこにいる」とか「偏差値トップの超エリートコースを歩むのはどんな子どもで、どういう人生を歩むのか?」とか書かれているのだが、本文ではそのことにはあまり言及されていないように感じた。

 では何が言われているのかというと、「東大医学部というのは変なところだよ」あるいは「東大に限らず日本の様々の大学の医学部は変なところだよ」という話である。

 しかしそうだとすると、東大医学部にいっても意味ないよ、あるいは他の医学部にいっても意味ないよ。さらには、医者になっても意味ないよ、という方向にいくのかというと、そうでもない。
東大を頂点とする日本の大学の医学部は研究を重視していて臨床を軽視しているということをめぐってひたすら議論がすすんでいく。

 和田氏は精神科医であるが、同時に受験指導書のようなものも書く変わった医師というのがこれまでのわたくしの認識だったが、本書を読んで何だか肩書が好きなひとだなあという認識も加わった。

 巻末の氏の紹介におそらく受験関係と思われる「I &Cキッズスクール理事長」があり、他に「国際医療福祉大学心理学科教授」「川崎幸病院精神科顧問」「和田秀樹こころとからだのクリニック院長」「一橋大学経済学部非常勤講師」とある。さらに映画も撮っており、モナコで受賞もしているらしい。
 多彩な才能の人とも思うが、同時にこんな肩書があってしかも映画監督までして、本業の方(「和田秀樹こころとからだのクリニック院長」が本業?)は大丈夫なのかなあとも思う。
 氏は灘高から現役で東大理Ⅲに合格している。しかし、今は東大の外の人である。ここが微妙なところで、氏は東大卒ということでは東大の内のひとであり、現在は東大医学部の外にいるという点では東大の外の人である。それで話題ごとに氏の立ち位置が動くようにみえる。それが本書の説得力を弱めていると思う。

 氏が臨床重視といっているのは、本来は東大医学部教授というのは自分のように臨床をやっている人間がなるべきだと言っているように聞こえないでもない。それが本書の論旨を濁しているようにも感じる。

 「プロローグ」は鳥集氏からの問題提起。「とりだまり」と読むらしい。
 東大医学部の権威が相当低下してきている、ということがまず言われる。最近の医療の世界では研究よりも臨床が重視される動きが強くなってきていて、研究に必要な明晰な頭脳が必ずしも臨床では重視されなくなってきているので、受験秀才で偏差値はトップというような「とても学業優秀な学生さん」は医学部ではなく、物理学・AI・ITのほうにいくべきである、その方が自分の才能を生かせるのだとしている。
 しかるに、今の受験生は「医者になれば「食いはぐれがない」」といった情けない理由で医学部を目指す。それで、受験秀才は理Ⅲを目指すことになるのだが、これはおかしい、と。頭がいい人は医者になるべきでない、とまでは書いていないが、まあそのような主旨のことを鳥集氏は述べている。

 第1章の「東大理Ⅲに入れるのは、どんな子どもか?」から両氏の対談となる。
ここではもっぱら灘高出身の和田氏の受験体験が語られる。そのころ氏は映画監督になりたいと思うようになっていて、母からあんたは変わり者だから会社勤めは無理といわれていたこともあり、「医者か弁護士になれ」という雰囲気を感じていたのだが、高2から成績があがり、高3ではさらに上がったので理Ⅲを受け、現役で合格したのだという。
 ということで、この章は何だか和田氏の受験自慢?が主のようなので、飛ばすことにする。

第2章は「東大医学部を出た人は、どんな医者になっていくのか?」
最初が「「医局」とは,相撲部屋である」という話から始まる。だから、一般の方にはあまりなじみがないであろう「医局」について少し説明しなくてはいけない。
 「医局」というのは、医学部を卒業した後、医師国家試験に合格し、臨床研修を終えた後に、自分の志向する専門分野を、例えば血液疾患とか腎臓病とか決めて、さらに研鑽していくわけだが、血液疾患を専攻しようと決めて、その研究室に「入れて下さい。」「はいいいよ。」ということになったとしても、各教室では、教授・準教授(以前の助教授)・講師数名・助手数名のみが正式職員で給与がでるが、他はそこに所属しても無給である。
 それでもその教室に所属していることを示すのが医局員という身分?で、医局というのは「自分は〇〇親方のもとにいます」といったことを名乗ってもいいといわれた人の所属先ということになる。とすれば、たしかに相撲部屋である。実際には「血液内科」の中にいくつもの研究部門があり、そのどこかに属することになるのだが身分は「医局員」。
 無給なので、アルバイト先からの収入で食べていくことになる。アルバイト先が医局あるいは研究室からの紹介先という場合もあり、医局・研究室が一部をピンハネするという話も聞いたことがあるが、わたくしはその経験はない。これは私立医大に多く、東大ではあまりないのではないかと思う。東大はそういう姑息なことをしなくても、いろいろなところからお金が入ってくるからであろう。
 要するに、段々と偉くなると、忙しくなり、自分で直接研究する時間がなくなる。だから配下の若いひとに研究をしてもらい、その成果をいろいろな研究会などで紹介したりして上のほうは権威を保つわけである。

 鳥集さんが「東大医学部から医局に入るというのは、医学界全体から見ても、やはり有利なのでしょぅか?」と質問するのに対し、和田氏は「絶対に有利です。東大の医学部教授というのは各学会の理事長になれる確率がものすごく高くあります。」と答える。ここは話がかみあっていなくて、東大医学部を卒業した人間がみな東大医学部教授か他の大学の教授になるわけではなく、市中の病院で臨床に携わるひとのほうがずっと多いのに、和田氏の眼中にはそれはほとんどないようなのである。
 和田氏は日本の医学界を東大出身者が牛耳っているという方向に話を進めていく。

この本が分かりにくいのは、日本の医学界自体が抱える問題と東大医学部に固有の問題が混然として論じられているためだろうと思う。
 研修制度が変わり、東大にもなかなか研修医がこなくなっていることも紹介されているが、研修医が市中の病院で研修したあと、東大に入局する者は少なくないのだから、これは東大あるいは多くの医科大学が臨床を重視していないということであって、もしも最終的に臨床医になろうとしていないのであれば、その人間にとってはそのことは大きな問題とはならないはずである。
 例えば亀田総合病院で研修しようとするような人は、将来も臨床医になることを目指していて、研修を終えたらまた大学に戻って試験管を振ろうなどというひとは多くはないだろうと思う。

 次が東大医学部の国家試験の合格率が55位であるという話。
今はどうか知らないが、わたくしの今から50年ほど前の経験では、当時の医師国家試験の合格率は90%を超えていたので、いくらなんでもそれなら受ければいいので不合格なんてことはないだろうと思っていた。それで卒業試験が終わるまで過去の国家試験の問題など見たこともなかった。卒業試験が無事終わってほっとして(卒業できるかのほうがよほど心配だった)、国試の問題を見て仰天した。公衆衛生などもう全くわからない。あわてて勉強して何とかなったが本当に冷汗ものだった。

 兎に角、東大が国試対策をしていないことは確かで、それを和田氏がどう評価しているのかがよくわからない。おれが指導すれば100%合格させるぜ、と思っているのかも知れない。

 東大教授は教育より研究が好きということはいわれるが、和田氏はもしも教育能力が重視されるようになるなら、自分だっ て(東大)教授に選ばれても不思議ではないのだと、書いてはいないが、いささかそういう方向が匂ってこないでもない。

 さらに本郷(医学部)は駄目で駒場教養学部)はいいという話も出てくる。

 医者は若い頃から接待づけという話もあり「東大なら当然銀座」という話もでてくる。わたくしが所属していた研究室はかなり潔癖で、学会の旅費とかも自前で、地方の学会での食事など当然自前で払っていたが、一つだけ後悔しているのが、プロパーさんに論文のコピーなどを依頼していたことがあったことである。自分で図書館にいって医学誌を借り出し、医局にもって帰って自分でコピーすればいいのだが、それが面倒なので、自分の勉強のためだからいいだろうと勝手な理屈で頼んでいた。しかし医局のコピーはあまり費用がかからないのに、医学部図書館でのコピーはかなりの費用がかかるのである。それに気がついてからは頼むのをやめた。
 銀座問題?については、「上の先生は銀座、若い先生は新宿」などとはっきり言われたこともあり、35歳で市中病院へでたわたくしとしては特にいい思い出もないが、乏しい経験からいえば、とにかく一部の銀座の女性は日経新聞などを隅から隅まで読んでいるのではないかと思うくらい話題が豊富であった。どこの世界でも努力が必要ということなのであろう。
 しかしそれはわたくしが若くして東大をでたからで、同期で東大の〇〇科教授になった先生は「薬屋さんの接待で銀座などにいくと、いつとはなしに傍に若い女性が侍っており、薬屋さんはいなくなり、その女性がこれからどうします。費用はお預かりしていますから・・」というようなことになることがしばしばあり、その誘惑に耐えるのが大変といっていた。
 これを読んでうらやましいなあ!と思う方は是非とも頑張って、東大理三から東大医学部教授を目指して頂きたい。

 しかし、この方面の話題に関しては関西の先生方のほうがはるかにえげつないのだそうで、プロパーさんは関西から東京にくると本当にほっとしますと言っていた。関西では訪問すると「そういえば最近ゴルフをしてねえなあ」などとつぶやく先生がたくさんいるのだそうである。
 だからこれは医療業界自体の問題で特に東大医学部の問題ではないはずである。

 さて159ページから「赤レンガ闘争と東大医学部」という話になる。赤レンガというのは東大精神神経科医局が入っている建物で古色蒼然というのか異色の建造物である。東大闘争でもっとも過激だったのは精神神経科と小児科で、そのため文部省からにらまれて未だに改築が出来ないのだといわれている。
 文科省とうまくやっているのは東京医科歯科大学だという話をきいたことがある。東大の教授はお役人がきても「待たせておけ!」というような態度の人が多いのに対し、医科歯科の場合、お役所からお役人が来るとわかると、そこに医局員を送り、役人が訳書を出るとすぐに大学に連絡し、病院の玄関で教授以下の関係者が総出で迎えるのだそうである。確かに医科歯科大学では次ぎ次と新しい建物が建っているようである。
 
 次に話は精神医学界内部での「生物学的精神医学」と「人間的精神医学」の対立の話になり、東大の話からはまったく外れてしまう。
 これは要するに精神疾患とは「脳の病気」か?「人間関係から生じる病気」か?という問題である。
 クロルプロマジンなどができるまでは精神科はほとんど薬物治療の手段をもたなかったわけで、かなり有効な抗うつ剤が出てきてようやく精神科も臨床医学の仲間入りができたわけだと思う。そうなると精神分析などがどう位置付けられるのかということになる。和田氏は精神分析にも精通しているとのことだが、わたくしは、精神分析はもう完全に過去のものとなっていると思っているので(教育分析などといって、一子相伝的になった時点でもう学問ではなくなっていると思うし、そもそもフロイトユングの説はほとんどオカルトである。それからオカルト臭を消すのに河合隼雄さんなどは随分と苦労したのではないかと思う)、どうもこのあたり、和田氏の立ち位置がよく理解できなかった。
 精神疾患では現在までのところ脳に器質的異常は発見できず、CTなどで指摘できる変化もないことが精神医学の臨床が抱える大きな問題で、だからこそDSM(精神疾患の診断統計マニュアル)などというものが出来、例えば統合失調症では、
(1)妄想
(2)幻覚
(3)まとまりのない発語 (例:頻繁な脱線または滅裂)
(4)ひどくまとまらない、または緊張病性の行動
(5)陰性症状(すなわち感情の平板化、意欲欠如)
これら5つの症状のうち、2つかそれ以上が存在し、かつ、それが6カ月を超えて続く場合に診断される、といったことになるのだが、これを読んで何とも味気ない思いがするのはわたくしだけだろうか?
 ここでは脳の病気?人間関係の病気?といった視点はどこかに消えてしまい、おこった現象のみから診断が下されることになる。一昔前の学界の権威が「俺が統合失調症といったら統合失調症!」などという時代の反動なのだろうが、例えば中井久夫さんの本を読んで感じる何とも心躍る感じ(例えば「分裂病と人類」「治療文化論」)などはそこにはまったくない。
 つまりこの対立は東大医学部の問題など全く関係のない精神医学という領域が抱える根源的な問題であって、なぜそれが本書で論じられるのかが全く理解できない。「生物学的精神医学」が大嫌いで「人間的精神医学」に与する和田氏が「生物学的精神医学」派である東大医学部批判にかこつけて「生物学的精神医学」批判を展開しているだけとしか思えなかった。

 次が「東大医学部にアスペルガーが多い」は真実か?
 和田氏自身が「自分はAⅮHⅮでアスペルガーである」と言っている。
 しかしここではその問題はあまり論じられず、よい臨床医とは何かという方向に議論がいっている。
 さらに、近藤誠さんと「乳房温存手術」の問題が論じられる。これは乳がんは早期には局所にとどまるか、早期からすでに全身に(顕微鏡的には)広がっているかという乳がんの病態の認識の問題で、前者であれば局所をいかに大きく切除できるかが問題となり、後者であれば、局所をいかに大きくとるかは問題ではなく、早期からの全身治療が問題になる。
 近藤氏は放射線科医である。諸外国では日本に比べ癌の治療に最初から外科医・化学療法医・放射線科医が一緒に参加することが多いが、日本では癌は(白血病などの血液系の腫瘍を除けば)手術が第一選択で、外科医の担当する病気で、それでうまくいかなくなった場合に初めて化学療法や放射線治療の出番が来るという認識が強い。
近藤氏が「乳がんは全身病である。ハルシュテット手術(胸筋合併乳房切除)のような局所の拡大手術は意味がない」と言い出した時、まず放射線科医の分際で、ということがあっただろうと思う。癌は俺たちの領域だ。放射線科医は俺たちの後始末をしていればいいのだというような。
 当時、確か大塚のがん研に乳がん手術の権威がいて、ハルシュテット手術に最後までこだわったため、日本の乳がん手術は世界からかなりの後れをとることになったといわれている。
 しかし一方の近藤氏も最近では何だか宗教家のようになってしまい、あらゆる癌の手術は無駄という極端に走っているように見える。
 昔、外来をしていたら、乳がんで花が咲いた状態の患者さんが来た。花が咲くというと美しい表現だが、実際は乳房の皮膚が潰瘍を形成して、皮膚の欠損の範囲が大きくなった状態を指す言葉で、悲惨な病状である。病歴を聴くと近藤氏のクリニックに通っているらしい。特に積極的な治療はしていないようであった。もちろんどのような治療をしてもこうなることはあるわけで、治療をしてもかえって体力を低下させるだけという判断も十分にありうるわけであるが、それでも近藤氏の臨床家としてのありかたに疑問を感じた。

 それで、「偉いお医者さん」って何だ?(P186)ということになる。鳥集氏は「患者を救った人たちが一番偉い」という。特に和田氏は答えていない。

 第3章は「天才集団・東大医学部よ、もはや小さくまとまっている場合じゃない。」
 いきなりノーベル賞で東大は京大に大敗している、という話が始まる。ここはどうでもいい話ばかりなので飛ばして、次に糖尿病の話。
 和田氏は自身が糖尿病なのだそうであるが、高齢での発症なので当然Ⅱ型。しかし日本ではⅡ型でもインスリンで厳密なコントロールを目指す医者が多いとし、そういうことを推奨しない良い医者に巡り合ってよかったと書いている。
 しかしⅡ型であれば経口糖尿病薬での治療が現在の主流で、まずインスリンが用いられることはないと思うが違うだろうか? GHA1Cを指標とする目標値をいくつにするか?はわたくしは7を大きく超えない程度と思っている。8を越えたらさすがに治療と思うが、これは高血圧の基準が、上が130以上とアメリカの学会で最近定義したのでもわかるように、製薬業界からの強い圧力に最早医学研究部門が抗せなくなっていることの表われだろうと思っている。大学では製薬業界からの研究費がなければ、研究さえ継続できなくなっているのだと思う。わたくしが医者になりたての50年前では、高血圧は160/100以上だった。有効な降圧剤がほとんどなかったこともあると思うが・・。

 エピローグは和田氏。
 自分の経験から日本の医療は変わっていない、と氏はいう。
1) 健康診断と正常値信仰
高齢になればなるほど健診を受ければ異常値の一つや二つあっても当たり前。しかし患者を個別にみるのではなく全体にみなくてはいけないのに一向にそうなってはいない。それは東大医学部のせい。東大の医局が専門医志向が強いからとされる。
2) 能力がある受験生が東大理三を目指すことには問題ない。
受験勉強が得意なひとが理Ⅲを志向するのが問題なのではなく、その後の指導がなっていないのが問題。また今の受験業界が上から押し付ける指導に片寄っていて、生徒の自主性を潰してしまうのも問題と。

 以上、表紙にある「本物の「成功者」はどこにいる」とか「偏差値トップの超エリートコースを歩むのはどんな子どもで、どういう人生を歩むのか?」とかには本書はほとんど答えていない。
 それは和田氏自身が「自分はAⅮHⅮでアスペルガーである」と言っていることと関係があるのかも知れないが、個々の問題に答えているそれぞれの回答を通観すると、もっと大きな問題への回答が自ずから見えてくるということがなく、個々の回答が個別の回答にとどまっているためではないかと思う。
 受験の問題は受験スクールの長として、東大医学部の専門に立てこもる蛸壺化への批判は在野の臨床家として、精神医療の問題は生物学的精神医療反対派の立場から議論がなされているが、それぞれを通観するともっと基本的な和田氏の思考が透けて見えてくるということがない。

 本当の問題は、東大の様々な学部のなかで理Ⅲだけが医者という職業に直結していることであるのだとわたくしは思っている。和田氏はそれに、教養学部を終えたあとに医学・医療への道を選択するという案を提示していて、まことにもっともであると思うけれど、その解答が東大をふくめた医学部の専門志向の弊害といったこととは別に論じられるので、全体像が見えてこない。

 ということで、今理三を受験しようかと思っている学生さんやその親御さんなどには役立つ本ではなく、東大医学部に関心がある、あるいは日本の医療の問題に関心があるという読者にもあまり益する本にはなっていないように思う。

 和田秀樹という人の顔が見えすぎて、いささか鼻につくというのが正直な感想である。博学な鳥集氏問題提起をし、それに和田氏が答えるという形式になっているためかも知れないが。

ワクチン3回目

 昨日3回目の新型コロナワクチンの接種を受けた。接種部の軽い痛み以外には特に副反応はない。(1・2回目も同じで、わたくしは、副反応は軽いほうのようである。)接種は3回ともファイザー製のワクチン。
わたくしの場合は、少し特殊なケースで、1・2回目の接種は医療従事者として、昨年4月5月に早めに受けた。昨年10月ですべての仕事から離れたので、医療従事者ではなくなったわけだが、昨年5月から8ヶ月後ということで1月接種の連絡が自治体から来たのだろうと思う。昨年6月に第一回目を受けた配偶者にはまだ自治体からの連絡はない。
 わたくしは最初の2回は住んでいる自治体の外の病院で接種を受けたわけだが,自治体から来た3回目接種の案内には、勤務先で受けた1回目・2回目の摂取の記録、受けたワクチンがどの会社のものかまできちんと記載されていた。このようなシステムを構築するのはとても大変であっただろうと思う。
 多分、一番大変なのはワクチンの需要予想で、ワクチンが足りなければ、いくらシステムをしっかり構築してもうまく運用できない。そしてウイルスがいつどのような変異をおこすか、それがどのような変異であるか?は誰にも予想できないわけであるから、ほとんど予想は博打のようなものになるのではないかと思う。
 誰でも損はしたくないから、大量に備蓄しておいて、結局使わずに廃棄したというようなことは避けたい。それで状況をみてワクチンを追加発注するということになり、感染が拡大すると後手にまわるというようなことになるのであろう。
 ウイルスの専門家というひとがいろいろなところでいろいろなことを言っているが、彼等は一般論の専門家であって、個々のケースについては別に占師と変わるところはない。
 未来のことは誰にも分らないので、一寸先は闇である。養老孟子さんがいう「都市主義」、ああすえばこうなる、あらゆることが(科学の知見で)操作可能であるという信憑が揺らいだわけである。
 昔、地震予知連絡協議会というのがあったが、予知が不可能だと解り、地震予知の看板を外したという話をきいたことがある。本当は地震の予知など不可能であることは最初からわかっていたが、研究がすすめばそれが可能になるような顔をして政府から金を巻き上げていたのだという見方をするひともいるらしい。
 今「新型コロナウイルス感染終焉時期予知検討協議会」などというものを作り、喧々諤々議論を戦わせても、結局、サイコロを投げるのと特に変わらないということになるはずである。
 あらゆることに科学による操作で対応が可能である(ワクシン接種ももちろん科学による対応の一つである)という信憑がゆらぎ、人間がもう少し謙虚になれば、一連の新型コロナウイルスパンデミックへの見方も少しは変わってくるのではないかと思う。