読んで来た本(7)科学哲学

 科学哲学に接するようになったきっかけははっきりしている。1980年から出版された岩波書店の叢書「文化の現在」の「喜ばしき学問」というのを買ったことである。何で買ったのかは思い出せない。このころ目にすることが多かった阿部謹也さんの文を読もうと思ったのだろうか?
 目次をみていたら村上陽一郎というきいたことのない人の「自己の解体と変革」というのが目についた。いかにも全共闘派の使っていた言葉である。まだこんなことを言っているひとがいるのだと思い。面白半分読んでみた。
 しかし、予想していたのとは違い「学問を職業とすることの後ろめたさ」をテーマとした文だった。しかも「科学史」という新興の学問、まだ物理や数学のように充分には独立していない学問分野において・・。
 ここではシャルガフの「へラクレトスの火」も紹介されていて後から読んでとても面白かった。ワトソンらの「二重らせん」などとのあまりに違いにいろいろと考えさせられた。科学者というのはアマチュアであるべきでは・・。
 
 それで、村上氏の「近代科学と聖俗革命」なども読み、科学哲学の分野に大きな興味を持つようになった。
 村上氏は“anything goes” 何でもあり!を唱えるファイアーベントに共鳴していたのではないかと思うが、わたくしは、その論敵のK・ポパーに帰依し、その後一貫してポパー主義者のままで来ている。ポパーについては、別に独立して論じたい。

 その「開かれた社会とその敵」などは今ウクライナでおきていることを考える場合に必読の文献の一つではないかと思う。