W.カール・ビブン「誰がケインズを殺したか 物語で読む現代経済学」

 [日経ビジネス人文庫 2002年2月1日文庫版初版 1990年翻訳原著刊]


 この本を読んで、経済について、いくつか、とんでもない誤解をしていたことに気づいた。たとえば、ニュー・ディール政策はケインズとはまったく関係ないのだそうである。
本書は、ケインズが経済学史のなかでどのような評価をうけてきたかということを中心に経済学の流れをわかりやすく示したものである。

 著者によれば、経済学は物理学のようなハード・サイエンスではないので、事物の動きをうまく予想することはできない。経済学は厳密な意味での科学ではなく、ノーベル経済学賞を受賞した学者が、大統領にある問題にかんしてまったく正反対の勧告をすることもありうる。
 ケインズの一般理論は1936年に書かれた。
 ケインズは以下のように考えていた。
 「文明を維持するには、下層階級の下賎な仕事が必要だが、文明を拡張するのは特権的な貴族階級であり、貴族こそが創造力を代表する」
 ケインズが乗り越えようとした「古典派経済学」は以下のような主張をしていた。
 1)資本主義はその内部に「価格システム」という内部安定化機構をもっている。
 自己調節的市場という考えはアダム・スミスが「諸国民の富」で示した独創的なアイディアであった。スミスは、自由市場システムを通じて個人の利己心と公共的利益とが融合できる可能性を示唆した。
 消費者の需要は価格が下がるほど増え、上がるほど減るという関係をリファインすることによりワルサスの「一般均衡モデル」が完成した。一般均衡モデルは古典派の自己調節メカニズムのエレガントな定式化である。自由市場は一種の巨大なコンピュータシステムであって、その時々における需給に対する「価格」の最適な解を提供するのである。
 ここでいう「価格」とは相対価格である。りんご一個がみかん2個であれば、りんごが100円なら、みかんは50円、りんごが200円なら、みかんは100円になる。貨幣が存在しない交換経済においては、インフレやデフレといったことはおきない。インフレやデフレは十分に進んだ経済にしかおきない現象である。
 労働についても、需要と供給のバランスから完全雇用が実現する賃金がつねに存在する。
 2)「貨幣数量説」
 MV=PQ (M:通貨の流通量 V:通貨の回転率 P:一般物価水準 Q:取引量)
 これは一見、総支出=総所得、ということをいっているだけである。
 古典派はQを一定と考えた。なぜなら「一般均衡モデル」においては「完全雇用」が実現されるからである。働きたいひとがみんな働いていれば、生産量は一定である。
 また、Vも一定と考えた。これは主として習慣に依存すると考えたからである。
 そうであるなら、MとPは比例する。マネーサプライが2倍になれば、物価も倍になる。
 以上をまとめると、古典派の主張は、以下の二つに要約できる。
 A)完全雇用は、相対価格の調節を通じて自動的に実現される。
 B)一般物価水準は通貨の流通量で決定され、相対価格には影響をあたえない。
 相対価格は需給によってのみ決定されるので、通貨は生産水準にかんしては中立的である(「通貨の中立性」)。マネーサプライを増やしても、生産と雇用を促進はしない。

 ケインズはそれに対して、経済の自己調節性という教義を批判した。自己調節性は「価格メカニズム」によって実現されるのだから、問題は「価格メカニズム」が予想されたようには機能しないのはなぜかというものに置き換えられる。
 解答1)価格はしばしば「硬直的」である。
 解答2)価格はたとえ伸縮的であっても、「期待」が自動調節をおこさせない。
 価格が下がったから買おうとなるとは限らず、もっと下がるかもしれないから待とうとなるかもしれない。価格がさがることは、悲観的見通しにつながることさえある。
 古典派は、長期的には完全雇用水準が回復すると考えた。ケインズは「長期的にはわれわれがすべて死んでいる」と答えた。
 もしシステムに自己安定化機能がないとすれば、民間支出の不足をおぎなう政府の行動が正当化される。それには、以下の方策がある。
 1)金融政策、すなわち中央銀行によるマネーサプライの変更
 2)財政政策、すなわち政府支出の増大か、減税
 ケインズは2)をえらんだ。これは当時ではきわめてラディカルものであった。というのは当時は「均衡予算の原則」が支配的であったからである。
 ケインズは、これとは対称的に、政府予算は民間部門にたいして、カウンター・バランスをとるべきであるとしたのである。すなわち、景気後退期には支出を増やし、好況時には減らす方向である。
 ケインズの主張は以下の2点に要約できる。
 A)経済は完全雇用を達成するとは限らない。
 B)政府は完全雇用の維持のため、市場の失敗を補完すべきである。
 一部の論者がいうように、ケインズ福祉国家論を提唱したというのは正確ではない。福祉国家論はケインズの主張とは独立に成立しうるものである。
 
 「一般理論」が公刊されてからすぐに第二次世界大戦がはじまったため、ケインズの経済理論がひろがったのは、戦後になってからである。
 ケインズの民間と政府のカウンターバランス論は、オリジナルなものとはいえず、すでにいくつかの国で実行されていた。
 実はケインズ政策の大規模な実験は、第二次世界大戦そのものであった。それによる巨額の国防支出によって、あっというまに失業問題は解決してしまった。戦後、経済積極策を国民が受け入れるようになったのは、この経験が大きい。
 はっきりとした経済政策としてのケインズ的財政政策がはじめて採用されたのはケネディ政権においてである。自由市場の力はみとめたが、不況や失業をきたすという資本主義の不安定性に対しては、金融・財政政策の必要性をみとめた。「新古典派総合」であり、サミュエルソンの「経済学」がそのテキストとなった。

 「フィリップス曲線
 1958年にフィリップスが発表した名目賃金と失業率の関係についての説があり、今日では、インフレと失業率の関係についての「修正フィリップス曲線」として知られている。すなわち、インフレの程度と失業率は逆相関する。完全雇用と物価安定は両立しない。この関係を通して、経済を「微調整」することが、政権の経済担当者の目標となっていった。
 しかし、ベトナム戦争の巨額な出費がインフレを生んだ。これは増税などによって鎮静化できたはずであり、事実経済担当者はそれを提案したが、ベトナム戦争に政治生命をかけていたジョンソン大統領はそれを拒否した。このインフレによってケインズ派の評価が低下することになった。

 そこに反ケインズ主義として「マネタリズム」が登場してきた。
マネタリストたち(代表フリードマン)は、
 1)自由市場経済に全幅の信頼をおいており、
 2)政府の市場への介入を徹底して嫌う。
 その信念は「自由放任」である。また
 3)貨幣理論を重視する。
 マネタリストたちは、1927年の大不況もマネーサプライの減少によっておこったとしており、これはおおむね現在では正しい説をして受け入れられるようになってきている。
 マネタリストたちは、ケインズ以前にもどろうとしている。ケインズの主張した財政政策は有効ではないという。
 つまり、ケインズの財政政策重視から、マネタリストの金融政策重視に方向がかわったのである。フリードマンフィリップス曲線も否定した。

 金融政策が重視されれば中央銀行FRB)の役割は大きくなる。中央銀行が操作できるのは「金利」と「通貨量」である。ケインズ派金利を、マネタリストは通貨量を重視する。
 フリードマンによれば、通貨量の変更は、その効果がでるまでに相当のタイムラグがある。したがって経済を「微調整」しようとすることは、かえって経済を不安定にすることになりかねず、通貨を一定に単純に増加させるほうがよい。これらは実際にサッチャー政権などの政策となった。
 1979年にFRB議長に就任したボルカーは、マネタリスト政策を選択した。ボルカーは当時、13%から14%もあったインフレの抑制を第一の目標とした。その目標を市場に信用してもらうために新しい政策に転換するという表明をしたのかもしれない。
 結果としてインフレは抑制された。しかし、それにともない第二次大戦後最悪の景気後退が生じた。
 FRBマネタリスト政策として、通貨を重視したため金利は不安定になった。それで先物取引などのいくつもの金融イノヴェーションが生まれた。
 1980年代に入り、通貨の流通速度(V)が不安定になってきた(その原因ははっきりしない)。Vが安定であるという前提のマネタリストの信用に陰りがでてきた。その結果、ふたたびケインズ経済学が日の目をみるようになってきた。

 「経済成長」
 さて、ケインズ派マネタリスト、ともに経済成長という問題にはあまり関心を払ってこなかった。ケインズ大恐慌という短期の破局を主要な関心の対象としたため、長期の経済の動きには大きな関心をはらわなかった。
 実は18世紀のはじめまで、平均的人間の生活水準はほとんどかわっていない。古代ローマの人間と18世紀初頭のイギリス人の生活水準はほとんど変らないのである。
 18世紀からはじまる産業革命によって、持続的な生活水準の上昇という歴史的にはきわめて例外的なことが可能になってきたのである。
 貧困の解決は経済成長なしにはありえない。なぜなら貧困対策は再配分の問題であり、規模の拡大なしには再配分する原資が得られないのである。
 成長のもう一つの利点は、社会が安定することである。「ゼロサム・ゲーム」では誰かが得をすれば、誰かが損をする。成長する社会では、そうでない分配が可能になる。
 現在の成長過程をリードしているのはマイクロエレクトロニクスであるが、それを発明したのは経済学ではない。経済政策自体は成長に寄与しているわけではない。
 経済成長に強い関心をもったシュンペーターは、革新への衝動をその原動力であるとした。その中心となるのは企業家である。シュンペーターケインズを嫌った。それはシュンペーターにとっては、政府は企業家のイノベーションを抑制するだけの存在だからである。
 成長するためには、現在の消費を我慢して将来に投資しなくてはならない。そのよい例は一時期のソビエトの高成長である。
 算出高を増やすには以下の3つのやりかたがある。
 1)人口の増加による労働力の増大
 2)労働力率の変化:女性の職場への進出など
 3)生産性の上昇
 3)のみが真の経済進歩である。
 生産性の上昇は所得の向上をもたらす。1973年以降アメリカのインフレ調性後の非農業部門の典型的労働者の賃金は横ばいかむしろ減っている。それは生産性の上昇がないからなのだが、生産性が向上しないことの真の原因はまだ十分に解明されているとはいえない。(イノベーションの低下?)
 アメリカの就業人員構成がだんだん製造業からサービス業に移行してきていることが、生産性の低下に関係しているという説がある。

 「倹約のパラドックス
 ケインズは貯蓄に対する通念に挑戦した。
 通常、貯蓄は投資にまわされ成長率を高める。
 しかし、収益の期待できる投資機会が存在しなければ、貯蓄は使われない。しかも貯蓄することは消費も抑制する。既存の設備は遊休し、失業者が生まれ、貯蓄自体を行えなくなる。
 つまり、ある種の状況においては、貯蓄しようとする行動が社会全体の貯蓄を減らす。貯蓄自体が失業の原因でありうる。

 「サプライサイド・エコノミクスとラッファー・カーブ」
 ラッファー・カーブとは、税率と税収の関係をあらわしたもので、ある一定以上の税率ではかえって人々が働く意欲をなくし、そのため国の税収が減るということを主張したものである。
 この説は「サプライサイド派」の要点をよく示している。一国の生産能力をどうやって高めるかという側面に焦点をあて、減税による経済成長を強く主張するこの主張は経済学界の内部ではなく、「ウウォール・ストリート・ジャーナル」などで展開された。
 これはレーガン政権で採用されたが、レーガン自身は減税によって政府が使える金が減って、それにより小さな政府が実現されるほうに重点を置いていた。その政策により、政府の財政的余裕は一遍になくなってしまった。福祉プログラムが一気に大幅に縮小されてしまった。
 一方、インフレ抑制のために金融引締めが必要だった。結果として景気の後退、失業の増大がおき、アメリカの財政は大幅な赤字となった。
 サプライサイドは小さな政府によるケインズ政策という奇妙なものになってしまった。

 ここまで読んでくると、現在の日本の不況への対策として実にさまざまな相反する主張がなされている理由がよくわかる。それはかつてのある時期、ある事態に対して有効であったことのある(と主張者がかんがえる)施策なのである。
 この本を読んで、少し経済学史について整理ができたような気がする。

(2006年3月19日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

  • これを読んだころは何だか少し経済学がわかった気がしたのだが・・・。(2006年3月19日付記)