吉川洋「高度成長 日本を変えた6000日」

[読売新聞社 1997年4月9日初版]


民法における家制度では、戸主は家族の居所を指定する権利、35歳までの家族の結婚相手を決めるあるいは認めない権利をもち、妻は法的には未成年者と同じ「無能力者」であった。
 1950年(昭和25年)では、日本の就業者の二人に一人は「農民」(第一次産業従事者)であった。これは現在のインドネシアとほぼ同じ水準である。当時アメリカ12%、イギリス5%。
 農地改革によっても農村の暮らしはほとんど変らなかった。
 農村の戸数は明治以来、550万戸でほとんど一定であった。
 農村では夫婦は平均5人の子をつくる。ひとりは幼少時に死ぬ。男女二人が結婚すると、あまった二人が都会へでていく。郷村(50−60戸からなる、生活単位)は江戸時代以来のものであった。
 1950年当時、農村はきわめて自給自足的であった(食糧から木炭まで)。
 都市もまた古い時代のものを残していた(蚊帳、自宅出産など)。
 1955年、日本全国で、82%が自宅出産をしたが、75年ではそれが1%になっている。1950年では東京でも78%が自宅出産であった。
 紙芝居関係の従業者数は、全国で3500万人(700人にひとり)であった。それがテレビ時代になリ消えた。

 「高度成長」はアメリカの進んだ生活を目標にしたもであり、3種の神器、洗濯機・テレビ・冷蔵庫が最初の目標になった。

 東京オリンピックが町並みをかえた。
 1959年に開催がきまり、1964年におこなわれた。その過程で、都電が廃止され、濠や河川が埋め立てられた。首都高速道路公団が設立されたのは、オリンピック開催がきまってすぐである。
 1968年霞ヶ関ビル、69年新宿副都心が建設された。
 団地ができ、ダイニング・キッチンができて、ちゃぶ台が消えていった。
 1958年、チキン・ラーメンがうまれた。

 面白い記事:マグロは江戸時代は最下の魚。マグロの刺身の普及は明治の中期から。段々寿司のねたとしても用いられるようになったが、トロは捨てられていた。トロが普及したのは昭和30年以降で、洋食が普及して、日本人の好みが変り、脂っこいものが市民権を得てからである。
  
 「3種の神器」は60年代中に80%の家庭に普及した。続いて3C(自動車・カラーテレビ・クーラー)。
 平凡パンチの創刊が1964年。
 64年の海外渡航者は21万人、73年には220万人。
 60年代後半のいざなぎ景気によって、われわれの生活様式はほぼ現在と同じようなものになった。
 66年にイギリス、67年にフランス、68年に西ドイツをぬいて、世界第二の経済大国になった。
 1955年から1970年までの15年、6000日たらずで、日本はきわめて大きな変貌をとげた。それ以降の変化は大きいものではない。

 シュンペーターが資本主義を駆動するものと考えたイノヴェーションは日本では「技術革新」と呼ばれた。
 1956年の経済白書で「もはや戦後ではない」という言葉が使われた。同時にそこで、これからの経済発展は「技術革新」によらねばならないことが主張されている。
 1950年ごろには農村のエネルギーは主として薪・炭によっていたが、国全体としては石炭であった。1960年ごろから、それが石油に急速に転換していく。石炭はエネルギーの、60年には41%、70年には10%台を供給した。
 3大都市圏への人工流入は50年代後半から急増し、70年代にはいり、高度成長がストップすると停止した。農民からサラリーマンへの転換が進んだ。

1945年(昭和20年):敗戦。
1948年(昭和23年):冷戦の始まり、アメリカの占領政策の転換。
1949年(昭和24年):1ドル360円。ドッジプランによるインフレの終焉と不景気。
1950年(昭和25年):朝鮮戦争。それによって高度成長はスタートした。

 高度成長は内需主導であって、輸出依存度は低い(1%くらい)。
 安定成長期:13%。
 80年代前半:38%。
 しかし、輸出は原材料の輸入をファイナンスするためには重要であった。

 政治的には、50年代は政治の季節、社会主義運動高揚の時代であった。
 農村から都市へ人口が移動すると自民党の支持率はへる。それは地縁であるから。

 高度成長の歪みとしての公害・過密。それに対する批判が革新知事へ。しかし中央はかわらなかった。

 二重構造:大企業と中小企業の賃金格差など。

 高度成長の光と影: 光:長寿 影:公害

 一番の問題点は、高度成長は人々の生活ばかりでなく、こころまでも、否応なく変えてしまうことである。

 わたくしは1947年生まれであるので、ここにある多くの成長以前、成長期の写真を懐かしいものとしてみることができる。自分の小学校入学から大学入学までの成長期に日本が劇的な転換をなしとげたのだということをあらためて本書で確認した。しかし、その渦中にいては、そういう大きな変化がおきているという実感はまったく感じることはなかった。これはわたくしが鈍感だったためなのだろうか?
最初の「はじめに」に吉田健一の文章が引用されている。「今の東京より昔の東京のほうが文明の町だったことは間違いない」という主旨のものである。しかし、ここの部分は後段の「だからといって現在が駄目というわけではない」という吉田健一の不思議な論法に比重をおくべきなのだと思う。
 たしかに昔の東京のほうが文明であったかもかもしれない。しかし文明でない現在の東京にもひとが住んでいるのである。とにかくもまず生きているということが大事で、その先に文明があるという順序を忘れないことであろう。文明がなければすべて無価値という見方には、どこか生命力の希薄を思わせる点がある。
 高度成長後のどこかで日本人の生命力が希薄になってきているということはあるのであろうが・・・。

(2006年3月21日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)

  • わたくしは完全に高度成長期に中学高校時代を送ったわけだが、自分がそういう経済成長過程にいるという実感はまったくなかった。大学闘争(紛争)の過程にいるときもそうであった。おそらく、戦争における戦場の日々もそうなのであろう。


高度成長―日本を変えた6000日 (20世紀の日本)

高度成長―日本を変えた6000日 (20世紀の日本)