養老孟司「「都市主義」の限界」
[中公叢書 2002年2月15日 初版]
たぶん、わたくしは解剖学の実習で養老氏に指導されたこともあるはずなのだが、全然印象に残っていない。少なくとも現在の氏のような談論風発というような印象ではまったくなかった。おそらく、氏はある種の蓄積が一定量を超えたときに急に変貌して開花する大器晩成のひとなのであろう。
本書は、近刊を予告されている「人間科学講義」という原論と対をなす各論篇であり、氏の言論の集大成であると自負しているようなことを「あとがき」に書いている。いいたいことはほぼ言えたということのようである。初期の「ヒトの見方」だったかのあとがきに「まだまだ書くつもり、まだ言いたいことがある」といったことを書いていたように思う。それに照応するものなのであろう。といっても、吉田健一氏が、「もう書きたいことは全部書いてしまった。あとは余生だ」といった後から大きな花を咲かせたという例もあるから、これから、また別の発展があるのかもしれないが・・・。
「都市主義」というのは、従来氏が「脳化」といっていたものを、言いかえたものらしい。「脳化」では「理科系」的で意味が通じにくいと判断したらしい。確かに「都市化」のほうがぴんとくる。
それで巻頭の「「都市主義」の限界」は、学園紛争とはなんだったかを論じたものである。
昭和43年(本書では42年と書かれているが43年ではないだろうか?)に日本で学園紛争がおきたが、そのころ同時に中国では文化大革命が、フランスでも「ラテン区」の騒動がおきている。これらの学生の動きが世界で同時におきたのはなぜか?
それを氏は「都会と田舎の対立」だったと規定する。
都会化するためにはエネルギー供給が不可欠である。そのころ石油が安価に供給できる体制が整ったことにより、世界中で都市化が急速に進展した。その急激に進展する「都市化への反応」が世界各地でおきた学生の反乱だったというのである。
「都市化への反応」という表現は微妙であるが、それは都市化への志向と都市化への反発の双方を含んでおり、しかも当事者にそれと意識されていないから、そうならざるをえない。
当時の運動は、反体制を標榜した。
「体制」とは、「人間が意識的に作り出したもの」である。
しかし、当時の若者自身が「田舎」を引きずっていた。
当時の大学は「封建的」であった。すなわち「田舎」的であった。
当時の若者は「都会」的であることを志向して「田舎」的である大学に反発した。
しかし、同時に彼らは「都会」主義に反発もして(反管理)、文化大革命の「田舎」主義にも共鳴した。
ユダヤ人は古来から都会人であった。それに対してナチは田舎者である。ナチズムとは田舎の「都会」主義への反発である。
毛沢東主義は「田舎」主義であった。彼が批孔批林といったのは、儒教が都会の思想だからである。訒小平は「都会」主義である。
「田舎」主義が政治にでるとろくなことがおきない。ナチズム然り、文化大革命然り、ポル・ポト然り。
ユダヤ教・イスラム教・キリスト教はすべて都市の宗教である。田舎のアイデンティティーは土地である。都市の住人は土地をもたないので、その代わり宗教がアイデンティティーとなる。
ローマ・カソリックは田舎化した都市宗教である。それに対して、プロテスタントは都市宗教である。
アメリカはそのプロテスタントが移住して、国家を作ったものである。
一方、アジアにおいては儒教が都市の宗教である。それに対立するのが老荘思想である。
一方、仏教は自然宗教である。日本・モンゴル・チベット・ネパール・ブータン・ミャンマー・タイ・カンボジア・ラオス・ヴェトナム・スリランカ、すべて文明の周辺である。
平城京・平安京は「都会」である。それが東戎の滅ぼされて中世がはじまる。中世の主役の武士は「田舎」者である。武士たちは一所懸命の土地をもっていた。それが江戸時代にふたたび「都会」化した。江戸の侍は土地から切り離されたサラリーマンである。(明治以降ふたたび「田舎」化したのかどうか、それが高度成長以来ふたたび急速に都市化したのか否かは、ここでは書かれていないが、文脈からすると、そうしないと話が合わないことになる)
江戸の「都会」文明時に、われわれは「自然」に「手入れ」をする「飼いならす」ことをするようになった。それは江戸末期に日本をおとずれた西洋人を賛嘆させるに足るものであった。イギリス庭園とは山形の農村風景を借りたものなのだという。
学園紛争当時の若者たちは「都市化」を本当は希求していたので、日本全体が都市化していくことで沈黙してしまった。しかし、「都市化」の病理は時代とともに若年にしかも個別にあらわれるようになってきている。小学校の学級崩壊、中学生の殺人がそれを表している。子供は自然であり、「都市化」という非「自然」、非「田舎」化の影響をもっとも強くうけるのである。
戦後の日本の「都市化」は明らかに行き過ぎてしまった。アメリカは広く、ニューヨーク以外にもたとえばモンタナがあり、田舎と都会が共存できる。しかし、日本は国全体として都会になろうとしているのである。そろそろ「都会化」の限界を考えなければいけない。
次の「日本人の「歴史の消し方」」では、日本は「歴史を消す」伝統があり、そのため「歴史がない」アメリカと共鳴するのではないかという指摘がある。
ここで非常に重要な仮説が提出されている。それはわれわれの祖先である弥生人は、かって故郷をすてた中国人や朝鮮人の子孫であり、原住民である縄文人を滅ぼしたという過去があるゆえに「歴史を消す」のではないかというものである。丁度、メイフラワー号に乗ったアメリカ人の祖先がアメリカの原住民を征服して建国したのと同じように。(そして、この仮説は、現在の科学において相当程度検証可能な話なのである。ミトコンドリア・イヴがいわれる時代なのだから・・・)
教育とは、本来、自分の生き方を次世代に伝えていくことである。日本においては文明開化以来、過去を否定し、自分の生き方を否定することで次世代を教育してきた。ルーツから切り離された人間なのである。自分は若い頃苦労した、だから子供にはこの苦労をさせたくない、というのは正しい態度なのか、その苦労の故に今の自分があるのではないか?、→それは、自分の過去を肯定する態度なのか否定する態度なのか?
「過去を水に流す」というのはどういう態度なのか? ベルツは、日本はいいものも悪いものも一緒に全部捨ててしまう国だといっている。
たとえば、今の日本の百科辞典には「教育勅語」の本文が載っていない。リンカーンの演説は英語で全文が載っているのに。「教育勅語」は明治維新の政府が開国にあたって一番警戒したキリスト教を意識したものなのである。江戸時代のように禁教令をだすわけにはいかないから、「教育勅語」をだした。したがって「教育勅語」では宗教と哲学が避けられている。「教育勅語」はなくなったが、依然として教育において、宗教と哲学はタブーになっている。
日本の生活は都会化した、しかし頭の中は相変わらず村落共同体である。「和魂洋才」とはそういうことであろう。
釈迦は都市をでて自然に帰ったひとである。煩悩を去れというのは都市化批判である。
養老氏のように、ものごとを大きく切り取ってしまうと、細部ではいくらでも矛盾はでてきてしまう。しかし、高度成長といったこともこういう面からみるとまた全然違って見えてくることは確かである。高度成長で日本では全体にGDPが○倍になった。その過程で農業に従事する人間の数が、○分の一になり、サラリーマンの数は○倍になったといったことは、生産性とか労働力といった観点から議論される。そこで文明の質が一変したということが看過されやすい。
池田首相が「所得倍増論」を提示したとき、自分は文明を変えようとしているというような意識はまったくもっていなかったであろう。たんに暮らしのレベルを上げるというような意識ではなかっただろうか?
養老氏のこの本を読んでいて思うのは、たとえば、もし地球上に石油というものが存在しなかったら、文明というものは現在いったいどういう形になっていただろうか、といったことである。
ものごとを近視眼的に見るのではなく、こういう俯瞰的に見ることで初めて見えてくるものが沢山あることを痛感する。
吉田健一氏はかつて、「ヨオロツパの世紀末」などにおいて、ヨーロッパは18世紀に文明の頂点をむかえ、19世紀の野蛮をへて、世紀末の文明の復活をみたという独自の史観を提示した。
文明とは都市のものである。吉田氏は文明を称揚するひとであるから、都市の側のひとである。そして氏は、人間がどのようなものにでも対策があると思い上がった19世紀の科学文明の醜さを否定した。その点「都市主義」の限界をとく養老氏に近い。
一方、吉田氏は女・子供については一切語らなかった。おそらく、その点で養老氏と別れる。つまり、都市主義と対立するものとして「自然」を置かなかった。都市主義のなかにも「洗練された」都市主義と「野蛮な」都市主義があるとして、「洗練された」都市主義を採ったのである。吉田氏によれば、女・子供は「野蛮」に属する。「野蛮」は飼いならされなければいけないのであり、それは飼いならすことのできるものであるとした。
吉田氏において、養老氏の「自然」に対応するものは「動物」である。19世紀の思い上がった人間は、人間は動物ではないと思っていたのではないかと吉田氏は哄笑した。人間は動物なのだということを、いつも吉田は言った。洗練された文明人は自分が動物であるという限界をもつことを、片時も忘れない。
養老氏の論と吉田健一氏の論はおそらくどこかで通底している。だが養老氏のほうがペシミスティックで吉田氏のほうが楽観的なような気がする。吉田氏が動物としての人間存在について、養老氏よりも肯定的だからではないかと思う。
養老氏は都市主義の行き過ぎを指摘するが、女・子供には絶対になれないひとである。もっとも昆虫採集に熱中し、ミステリに中毒する氏はその点では子供なのだろうか? 昆虫採集に熱中する子供というのはどうもあまり子供らしくない子供であるような気がするし、ミステリは明らかに大人の読み物である。
(2006年3月25日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植)
- このころの養老氏は冴えていたなあと思う。ただ、都市主義の限界ということを指摘してもどうなるものでもないと思う。歴史というのはほとんど都市化ということである。養老氏もいうように「田舎主義」が政治にでてくると録なことはない。それは歴史の動きに抵抗するものであり、反動としかならないから。ただわれわれが知っておくべきであるのは、歴史の動き、都市化への動きが抗しがたいものであるとしても、それでもそれが正しいこととは限らない、ということである。当たり前であるけれども、現在より未来のほうがいい世の中であるとは限らないわけである。(2006年3月25日付記)
- 作者: 養老孟司
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
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