中井久夫 「清陰星雨」 

  みすず書房 2002年4月5日初版


 精神科医(だけのわくには収まらないひとだが・・・)である中井氏の最新エッセイ集。
 中井氏はよく、分裂症(と最近では呼ばないことになったが)素因をもちながら、不断の努力によって、発症せずに(あるいは短期の発症の後、すぐに引き返して)、ぎりぎり健常の側にとどまったひとを論ずるが、氏もまたその一人ではないかという印象を密かにもっている。なにか不気味ないつ爆発するかわからない何か、ある種の「狂」といったものを内側にもっているひとである。

 巻頭の「1990年以後の世界−はじめに」だけでも凄い。
 1989年に冷戦が終わった。それがもたらしたものは、「社会主義の死」だけではない。対抗社会主義であった福祉国家も死んだ。ケインズ主義も終わった。日本も世界の中で無意味化した。なぜなら、冷戦があってこそ、西側のショー・ウインドウとして日本は意味をもっていたから。
 進歩を誰も信じなくなった。
 2001・9・11が示したものは、アメリカが世界制覇し、他のすべての国は幕府への忠誠度合を競う小領主になりさがったということである。
 1972年の連合赤軍事件で日本の何かが死んだ。これは旧軍隊の内務班体質がこういう場所にも繋がっていることを示した。
 バブルの時期、日本人は少しも幸福ではなかった。土地飢餓感が人を苛んでいた。(丁度今の人間が職への飢餓感に苛まれているように)
 1995年、「オウム」事件でまた日本の何かが死んだ。
 しかし阪神淡路大震災では何かが生まれた。

 氏の本を読んでいると、知識人であるとはこういうことであるのか、あるいはこれだけのことを知って、そして考えていなくてはいけないのかと思うが、氏を知識人であることに駆り立てているのは、知識人であると自己規定できない限り、氏は自尊の念が保てないのとうことなのだろうと思う。バブル期の日本人がつねに土地への飢餓感となかでいきていたように、知識への飢餓感が絶えることがないのであろう。

2006年7月29日 HPより移植