野口武彦「幕末気分」
講談社 2002年2月20日 初版
幕末の、町人、武士から、将軍までの生態を描いたもの。要するに誰も明治がくるなんて思ってもいない(あとから考えれば大)変革期に右往左往しながら生きるひとびとのさまざまな姿を通して、われれれの時代もあとからみると同じことなのかも、と著者はいうわけなのである。(「先が見えず、まわりも見えず、一寸先の闇を手探る歴史の時間帯がまた再度到来している」p6) 要するに幕末とは幕府の末期なのである。われわれも後世からみれば、今ある時代の末期にいるのかもしれないのだから。
長州征伐にでた下級幕臣は遊んでばかりいる。本気で弥次・喜多をやっている。このころの江戸の人間にとっては、何かに真剣になったり真面目になったりするのは野暮の極地なのである。すべてをしゃれのめす。それが江戸っ子の心意気なのである。
徳川家の学問を支えた儒者林大学頭の一族は、洋学興隆の風潮のなかで、世の中からとりのこされていく。大老井伊直弼の暗い若年時代とそれの影のブレインである国学者との暗い関係。最後の将軍慶喜の臆病・卑怯・未練、しかし、もし彼があれほどすべてのチャンスから逃げ出すことをしなければ、あるいは明治は英国風の本当の立憲君主国になれていたのではないかという歴史上の大きなイフ。幕末に誕生した武士ではない兵力「歩兵」のもった意味。最後の花火としての彰義隊。
あらゆる政治にゴシップしかみない風潮、対外条約よりも徳川家後継ぎが誰になるかのほうが大事なひとたち、こういったものは容易に現在のテレビ政治、お互いの縄張りが本業より大事な銀行家の姿と重なってくる。
歴史はほんのちょっとしたことでどう転ぶかわからないのであり、未来はわれわれの想像をこえたことろにあっというまに変っていくかもしれないのである。
われわれはまさに「幕末気分」で暮らしているのかもしれない。
2006年7月29日 HPより移植