岡田玲一郎「近未来の医療経営 消える病院、残る病院」

  厚生科学研究所 2002年4月27日初版


 何となく際物的な題名だなと思って読んだが、なかなか面白かった。著者は病院事務長など、病院関係で働いてきたひとで、医者ではないらしい。

 医療はサービス業だといわれているが、ディズニーランドとは違う。不本意な状態でひとがくるところだからである。CS(Customer Satisfaction )ということがよくいわれるが、不本意なひとを満足させるサービスはとても難しい。
 最近の病院のCSは、顧客サービスではなく、顧客におもねている。「患者様」という呼び方はおかしくはないか? そこには医療者の後ろめたさがないか?
 不本意な状態にあるひとに満足してもらうのは、ハウツーでは不可能である。組織をあげた理念や哲学がなければならない。病院が社会からもとめられているものに応えていないと、そこに後ろめたさが生まれる。
 よく医療者は、医療費抑制で病院がつぶれたら、住民が困るという。過疎地でもない限り、そんなことはない。困るのは住民ではなく、そこの職員である。
 これからの医療は段々と自由競争の時代になってゆく。患者さんから自費を負担してもらう部分が増えていく。そういうものを自信をもって請求できる病院が生き残る。後ろめたい思いで請求する病院は消えてゆくだろう。

 もともと買いたくないサービスである医療で必要もないものまで押し付けられたらユーザーは怒る。しかし、医療の場においては、患者はその一部しか払わない。平均すれば14%である。あと54%が保険料、24%が国、8%が地方自治体の負担である。したがって医療において真の支払い者は、支払い基金や保険組合である。こういう部分から評価される医療でなければ生き残れない。
 アメリカの病院はみなヘルス・システムに所属する。そのシステムは、急性期病院、回復期リハビリ病院、老人ホーム、在宅ケアなどさまざまなセクションが合併してできている。そういうシステムはなんとか支払い者とともに生き残る道を模索している。
 日本の医療者には、こういう意識はほどんどない。「空床をだすな」とか「在院日数の短縮」とか、はては「もっと検査や投薬を」といった自分だけが生き残る商売の発想だけで、それが支払い者に負担をかけているという意識はみられない。だから、やましさや後ろめたさが生まれるのである。
 日本の医療保険財政は単年度でみれば、すでに破綻している。過去のたくわえによってかろうじて延命しているだけである。そのたくわえもあと数年で消え去る。
 近未来の医療は、医療機関あっての社会という意識では運営できない。社会システムの中での医療という意識をもち、支払い者とともに苦しんでいかなければならない。
 そうであるなら、コストをかけても治るとは限らない高齢者の医療にどこまでコストがかかることを社会は許容するかが議論されねばならない。
 多くのひとが、老後、特別養護老人ホームや老人病院には入りたくないと思っている。大体、医療者の多くが、病院では死にたくないという。自分がしてほしくないことを他人にしていることは後ろめたさを生む。自分では買いたくない商品をひとに売りつけるひとは、後ろめたさを感じるものだ。
 医療は社会にとって不可欠である。しかし、高齢者に本当に病院が必要なのか? 病院に入ると高齢者は状態が悪くなることが多い。医療は人を痛める行為でもある。病院に入ることを拒否して自宅で療養している老人には精神的な豊かさがあるのではないだろうか?
 病院は高齢者にとって危険なところなのである。
 命を金に換算できないという考えはこれから通用しなくなる。医療が公の金を使っているからである。
 アメリカには入院の基準、入院継続の基準、退院の基準がある、それらを充たさない入院は保険者が支払わない。いずれ日本もそうなるであろう。
 これからの医療は、それに使える財源が限られてくるので、医療が必要な人に、十分精度の高い医療を、適切な場所で、一番よいタイミングで提供することが大事になる。医療者が技術者としての自分に対する満足という観点から発想してはならない。
 チーム医療がなかなかできないのは、医師の自由裁量権という考えかたによるところが大きい。
 医療経営は自動車にたとえることができる。
 エンジンはスタッフ、一般職員である。ここが弱いと病院一般に力がでない。
 エンジンオイルが管理職。給料がガソリン。
 経営者はドライバー、方向を決める。
 では医者は? エンジンのひとも、エンジンオイルのひともいる。しかし、多くは後部座席にふんぞりかえって車体を重くし、運転をやりずらくしている。助手席に乗り込んで、ドライバーにあれこれ口をだすひともいる。

 なかなか耳の痛いことがいろいろと書いてある。
 これを読んでもまた感じるのは、日本の医療体制の特異性である。それが日本の風土にあったものだから、その独自の形で続いていくのか、それが次第に欧米風に変化していくかである。著者はそれが変化していくという立場である。その変化を促していくものは、医療財政の逼迫であろうという。理念だけ議論されているうちは何もかわらない。財政の逼迫という現実を突きつけられないと変われないのであろう。

2006年7月29日 HPより移植