諸富祥彦「さみしい男」

  ちくま新書 2002年7月20日初版


 日本の男は若い男も中年もまったく元気がない。それを脱するためにはどうしたらいいか?
 「自分に正直」であることを何より大切にし、しっかりした「自分」を持った、いい意味での個人主義に徹することである。そのためには「会社を捨て、家族を捨てる」ことである。少なくとも「いざとなれば、俺は、会社を辞めるし、家族も捨てる。自分一人でやっていける」、そういう気構えを持っておくことである。会社から相手にされない、家族から相手にされない、と嘆くのではなく、会社を相手にしない、家族など知ったことではない、そう覚悟を決めることである。そう著者はいう。
 しかし、そうでない人間を徹底的に作ってきたのが、日本の会社社会ではないだろうか? その会社社会に過剰適応して生きてきた男たちが、今さらそういう強い個人になどなれるものだろうか?
 大体、「いい意味での個人主義」なんていうのが、すでに微温的である。
 個人主義は嫌われるのである。「いいえ、私の個人主義は悪い個人主義ではありません。いい意味での個人主義なんてです」、なんていう人間は、すでに集団主義の軍門に下っているのである。千万人といえども我行かん!。誰にも理解されなくてもこの道をゆく! という覚悟がなければ個人主義など貫くことはできないのである。
 そういう個人主義者は、いまのオトウサンたちとはまた別の寂しさを持つのである。この著者、以前「孤独であるためレッスン」などという本も書いているようであるから、わかってはいるのであろうが・・・。


2006年7月29日 HPより移植