渡部昇一「ハイエク マルクス主義を殺した哲人」

  PHP研究所 1999年2月12日初版


 渡部昇一が座長をつとめた「ハイエクを読む勉強会」での、ハイエク『隷属への道』への渡部の私見をまとめたもの。
 その勉強会のメンバーに若手政治家、実業家、編集者にまじってキャリア官僚がはいっているのがご愛嬌である。ハイエクは官僚が大嫌いであったから。

 もともと買ってきたまま読まずに置いてあったのだが、偶然、渡部の「新常識主義のすすめ」(文藝春秋社 1979)を読み返していて、その中の「不確実性の哲学−デイヴィッド・ヒューム再評価−」で、ハイエクノーベル経済学賞受賞記念講演の「Pretence of Knowlegde 」という講演にふれ、「そこにヒュームの名前は出てこないけれども、そこで述べられている思想はヒュームの思想の現代版なのである」というようなことを渡部がいっているのを読んで、この本のことを思い出した。
 渡部昇一は最近では単なる「保守おじさん」という趣もあって、この1999年の本よりも1979年の本の渡部のほうがずっとさえているのだが、「不確実性の時代」で渡部が言っていることは、現代(と彼がいっているのは1979年)は「構成的主知主義」と「ヒューム的不可知論」の対立なのである、ということである。
 ハイエクは1963年フライブルク大学で「デイヴィッド・ヒューム法哲学と政治哲学」についての公開講演をおこなったのだそうであるが、そこでハイエクはヒュームが否定した合理主義というのは、「構成的主知主義 Constructive Intellectualism 」であると指摘しているのだという。
 この構成的主知主義というのは「人間の知性によって国家を思いのままに作り変えることができる」という考えであり、「人知に対する全くの信頼」を表しているのだという。一方、ヒュームの思想の根底にあるものは「人知の限界」ということであったのだという。
 この人知に対する信頼、構成的主知主義は、ルソーからフランス革命を経てマルクス主義で頂点に達するのであるが、一方西側においてはケインズ主義という形で生きている。しかし人知には限界があり、できないことがあるのに、それができるように装っているに過ぎない「構成的主知主義」は、「Pretence of Knowlegde 」、知りもしないことを知っているようなふりをしているのだ、というのがハイエクのノーベル章受賞講演の主旨であった。
 1979年の論のほうは、まだソビエトも東側も存在している時代に書かれているから、論に緊張があるが、1999年の論では、東側はすでに崩壊してしまっているので、言いたい放題というか、緊張がゆるんでいることろも多くみらえる。
 ではあるが、本書にしたがって「隷属への道」をみていくことにしたい。実は「隷属への道」の翻訳ももっているのだが、まだ読んでいない。
 「隷属への道」の1976年版には、<現在においては社会主義とは福祉国家の制度を意味するようになってきている>と前書きに書かれているのだそうで、ハイエクは明確に福祉国家に反対している。
 東側の崩壊以来、社会主義の人気は地に落ちているけれども、それでも福祉国家の理念に明確に異を唱えるひとはそれほど多くはないと思われる。
 「隷属への道」は1944年第二次世界大戦の真っ最中に書かれているが、ハイエクがそれを書いた動機は、第一次世界大戦後のドイツと第二次世界大戦下のイギリスがきわめて似ている、ドイツの失敗の後をイギリスが後追いしようとしているという危機感であったという。
 ハイエクの見解によれば、第一次世界大戦後のドイツは社会主義国なのであったということになる。(渡部によれば、その戦時下のイギリスをまた日本が1970年ごろ後追いしているのだということになるのだが・・・)
 ハイエクによれば、自由主義という思想は十八世紀のスコットランドからヒューム、アダム・スミスらによって育まれたものであり、「経済的自由なくして個人的自由も政治的自由もない」という思想である。
 ハイエクによれば、個人主義こそが西欧近代文明の基盤なのであり、寛容こそが西欧文明の精華なのであるが、ナチス個人主義に反対したのであり、個人主義はエゴイズムあるいはエゴセントリズムに矮小化されてしまい、個人主義よりも集産主義 Collecivism のほうがいいという考えがでてきた。
 「他人のことはわからない」ということろから個人主義は始まる。全体主義者は全部わかるという立場にたつ。
 立法 legislation と 法 law は異なる。立法は恣意的でありうるが、法はルールであり、長くつづきべきもので、恣意的であってはならない。法はモラル・フリーでなければならない。法の支配は、経済の自由を作り出すが、経済的不平等をつくりだすかもしれない。しかし、それでもいい。自由は平等の上にある。
 貨幣は最大の自由の道具である。そして「自由は市場からのみ生じる。」
 (西郷隆盛はここの時点で間違った。彼は商業を理解せず、儒と武と農しか頭になかった、と渡部はいう。)
 保障はセーフティ・ネット的なものに限局すべきであり、あらゆるものを網羅しようとすべきではない。
 典型的プロシャ人のもつ美徳とは、勤勉で精力的、任務に対して良心的・献身的で、秩序・義務・権威への絶対低服従を重んじ、自己犠牲や肉体的危険も意に介さない、「与えられた任務達成のための効率的人間」ということであり、
 典型的プロシャ人に欠けている美徳とは、他者の存在・他者の意見への寛容と尊重、精神的独立と不屈の性格、上位のものに対しても信念を守ろうとする決意、弱者・病者への配慮、権力に対する健全な軽蔑や嫌悪、親切心やユーモアのセンス、謙譲、プライバシーの尊重、隣人の善意への信頼、すなわち、「個人主義的な美徳」なのであるという。
 プロシャ人に欠けている美徳こそがイギリス人の美徳であり、プロシャ人の美徳は軍人の美徳、イギリス人の美徳は商業の美徳である。
 またドイツ哲学とイギリス哲学の違いもこれに対応する。
 ナチスドイツ下では、ドイツの英雄的な文化とイギリスの商業的な文化、ということがいわれていた。
 イギリスの特徴は「自由」、フランスは「平等」、ドイツは「共同体」である。

 以上、本書で言われていることは、福祉国家思想こそが現在における社会主義思想なのだということであり、その見地からすれば、日本はまぎれもない社会主義国なのであるということになる。(小泉改革というは日本の非社会主義化ということであるのかもしれない。また中曽根内閣の目指したものもそうであったのかもしれない。レーガンサッチャー・中曽根路線。)
 わたくしの職業である医療は、典型的な福祉部門であり、そこでの経済行為は商業における競争原理からは遠く離れている。
 現在、日本の経済停滞、高齢少子化の進行などにより、社会福祉分野をいままで通り運営していくことは困難であろうという予測が多くのひとによって共有されている。
 しかし、(本当はそうであって欲しくないのだが)経済などさまざまな状況からやむをえずそれを甘受するというのと、もともと社会福祉制度自体が間違った目標を追求していたのであり、経済等の状況がどうであろうとも、福祉の追及はやめるべきであるというのは、全然異なる判断である。
 わたしは自分を、以前は前者の立場であるように思っていたが、最近は後者の立場の方にも理があるように思えてきている。
 しかし経済原理を貫徹する医療の世界というのがどのようなものになるのかは、ほとんど想像もできない。今のアメリカの医療がそれに近いのかもしれないが、それが天国であると思っているひとは誰もいない。
 ほとんど悪平等的な現在の日本の医療の仕組みは、最低限のセーフティ・ネットとされるべきなのだろうか? いづれにしても、日本の医療提供体制がこのままではいけないことは明らかなのだが・・・。
 確か原口統三の「二十歳のエチュード」のなかに、「自分は、<武士は食わねど高楊枝>という諺がどんなに好きだっただろうか!」といった部分があった。
 自分も本当にそうである気がする。
 <武士は食わねど高楊枝>というのはプロシャの軍人精神なのだろうか?、それとも精神的独立・不屈のイギリス的精神なのだろうか?
 <武士は食わねど高楊枝>は福祉にむかう思想なのか?それとも福祉に対立する思想なのだろうか?
 たぶん、ケインズがもっていたノブレス・オブリージの精神と、<武士は食わねど高楊枝>の思想はどこかで結びつく。それと同時に、<武士は食わねど高楊枝>は武士が商売下手であることをも表している。西郷隆盛は<武士は食わねど高楊枝>のひとだったのであろう。とにかく西郷隆盛が魅力的な人物であることは間違いない。ケインズは実生活でも投機で大儲けをしたひとだった。
 どうも「代表的日本人」の中には、商人はいないような気がする。
 日本の福祉の問題は本当に難しい。


2006年7月29日 HPより移植