村上龍「恋愛の格差」

  青春出版社 2002年10月10日初版



 「SAY」という女性向きの雑誌に連載した文章を集めたもの。こういうタイトルになっているが恋愛の話などあまりでてこなくて、構造改革とか日本の社会格差の拡大とかいうことがもっぱら書かれている。それがなぜ恋愛と結びつくかというと、これからの日本では、「いずれにしろ個人的な格差が露わになる。大多数のひとは没落するだろうが、そういう人々、つまり恋愛ができず、恋愛を市場で手に入れる経済力もない人々」が大多数になる、ということなのである。村上によれば、恋愛ができるのは経済的に自立した人間だけなので、恋愛ができるようになるためには、まず経済的に自立できていることが必要であることになり、したがって恋愛論が女性の自立論になってしまう、そういう構造になっている。
 飽きもせず、そういう話を連載し、数冊の本にまでしているところをみると、村上は本気でそういう意見をみんなに伝えたいと思っているのだと思う。
 しかし、基本的に人間は本を読んで自分の生き方を変えるというようなことはまずないだろうと思う。生き方を変える力をもつのは実際生きていく上で実際に経験することだけなのではないだろうか?
 この村上の論を読んで生き方を変える人間がいるとは思えない。
 読者のなかの(おそらくほんの一部の?)自立した女性は、自分の生き方を確認し、(大多数の?)自立できていない女性は、そんなことを言われても、と思うだけではないだろうか?
 自立をめざして生きないと10年後が悲惨だぞ、といわれても、10年先のことを考える知力?気力?などが備わっていないからこそ、そういう生き方をしてしているのではないだろうか?
 村上のいうように10年先にはこういう人々には悲惨しか待っていないのかもしれないが、そのときその人たちは自分たちを悲惨と感じるであろうか?まわりの人が同じに悲惨であれば悲惨とも思わないということはないだろうか?
 悲惨と感じるためにもある種の知力が要請されるのではないだろうか?


2006年7月29日 HPより移植