吉本隆明「ひきこもれ ひとりの時間をもつということ」

 [大和書房 2002年12月10日初版]


 聞き書きによる本。
 ひきこもりはいけないという風潮への反対を表明したもの。
 社交的なほうがいいのだという現在の価値観は間違っている、「分断されない、ひとまとまりの時間」をもつことがどんな仕事にも必要であって、世の中の大部分の仕事はそういう時間なしには成立しないという。
 ひっこみ思案だったり孤独癖があったり、世の中とどうもうまくおりあえないで一人のほうが楽というひとは昔からいたし、それはすこしも悪いことではない。もちろんそれが限界をこえて病的な範疇に入ってしまうひとはいる。しかしそれは医者とか心理学者があつかう領域である。
 ひとりにならないと自分のための言葉をもてない。そこから「価値」というものが増殖してくる。
 ひきこもることを、良い悪いで考えるからいけない。それは善悪ではない。社交は「意味」につながり、ひきこもりは「価値」につながる。
 学校には「偽の厳粛さ」がある。あるいはそれは日本のどこにも瀰漫している日本の諸悪の根源であるのかもしれない。だから学校というのはどうしてもいやな場所になる。ある意味で不登校は当然の現象でもある。教室での優等生は「偽の頭のよさ」である。
 老人が自然死するためには体力がいる。
 どんな仕事でも、経験の蓄積がものをいう。10年続ければ何事かを会得することができる。だからひきこもりが悪いとはいわないが、どこかで世にでて何かの仕事についたほうがいい。ひここもりがマイナスにならない仕事というのは必ずある。
 ひきこもり自体は悪くないけれども、社会がどうなっているかということを自分なりに把握していないと危ない。それが正しいかどうかは二の次で、自分なりの時代のイメージ、あるいはビジョンをもっていることが大事なのである。

 以上、吉本氏の見解はきわめてまともなものである。
 おそらくこれからの日本において一番必要となることは、各人が自分の頭でかんがえるようになることである。考えるためには一人になる時間が必要である。吉本氏がいっていることはつきつめればそういうことである。
 日本は群れて生きることを当然としてきた。そして、それが崩れようとしている不安を多くのひとが抱いているのだと思う。今のテレビにあるのは群れていたいという心理だけである。みなと違う状態にはなりたくないという不安が、テレビの空騒ぎの躁状態を生み出している。「友達の輪」などからは外れなくてはいけないのである。