L・ストレイチー「ナイティンゲール伝」

  岩波文庫1993年初版 原典1918年刊


 ストレイチーの「著名なヴィクトリア朝人たち」のなかの一篇。
 著者が述べているように、一般大衆がナイチンゲールについて抱いているイメージは、自分を犠牲にした聖女のような女性、悩める人たちを救うために安楽な生活の愉しみを投げうった身分の高い処女、瀕死の兵隊のベッドを優しい輝きで神聖なものにした灯火を手に持つ貴婦人といったものであろう。
 しかしストレイチーによれば彼女には悪魔がとりついていた。彼女にとりついていた悪魔というのがどのようなものであったかということは、100ページほどのこの短い本編を読めばわかる。
 三好春樹の「介護覚え書」(医学書院)の第一章は「ナイチンゲールと介護」となっていて、そこにナイチンゲールは天使でもあったし、レーニンでもあったという会話がでてくる。レーニンというのは「目的のためには手段を選ばない」ということであり、「クリミア戦争に出かけていったのも看護の必要性を実証するための意図的なデモンストレーションでありプロパガンダなのであっと」という。
 ゴードンの「ライフサポート 最前線に立つ3人のナース」(日本看護協会出版会)でも、ナイチンゲールは「自分の進む道を阻むと思われる勢力者や自分のゴールを達成するための後見人として必要な人には、押したり、つついたり、甘言を用いたり、脅したり、魅了したりする、抜け目ない策略家であった」と書かれている。
 また関川夏央の「よい病院とは何か」においても、ナイチンゲールの「看護覚え書」がきわめて現実的で観念論のかけらもないことが賞賛され、それにひきかえ現在の看護論が観念論・精神論が主流になっていることを慨嘆しているところがある。
 三好の「介護覚え書」はもちろんナイチンゲールの「看護覚え書」のもじりであり、ナイチンゲールの示した看護の精神は、今は看護の世界にはなく、介護の世界にこそあるのだということを主張している。
 ナイチンゲールは、女性に生まれたという当時における絶対的なハンディキャップを上流階級に生まれたという特権でおぎないながら、(悪魔につかれたような)不撓不屈の精神で目的にむかって、きわめて政治的にふるまいながら進んでいく。
 いつも思うのだが、看護の世界というのはフェミニズムにとっての試金石になるように思う。
 フェミニストナイチンゲールをどうみるのだろうか?

 ストレイチーは「使途会」会員にして、ブルームズ・グループの一員。以前からブルームズ・グループと吉田健一のかかわりが気になっていて、吉田健一の著書にでてくるストレイチーのことも気になっていたのだけれども、実際にその著作を読んだのは初めて。
 著者のナイチンゲールをみる目も複雑である。
 ナイチンゲールのような女性がそばにいたら、凡人はたまらないことだけは確かである。