嵐山光三郎「死ぬための教養」

  新潮新書 2003年4月10日初版


 来世などあるはずないのだから、いまの時代に求めらるのは、自分が死んでいく覚悟と認識であるというわけで、そのために嵐山氏が読んだ本をあげ、感想を記したもの。結構わたくしが読んだことのある本も多く(「笑いと治癒力」「唯脳論」「人間 この未知なるもの」「豊饒の海」「楢山節考」「安楽に死にたい」「日本人の死生観」など)それに対する嵐山氏の感想も面白かったが、しかし「いかにして悠々と死んでいくことができるか。いかにして安心して自分の死を受容できるか」なんてことを考えても仕方がないのではないかという気がする。養老孟司氏もいうように、年をとってもまだ死にたくないなどというのは、「質より量」の人生を生きているからであり、「量」をかせいで長く生きなければ人生のもとがとれないと考えるからであって、したいように充実していきるのが一番いい死への対策であるというのは本当であると思う。嵐山氏などは、したいように生きてあとは野垂れ死にという理想的な生きたかをしているようにはたからは見えるが、氏がしているように見えるしたいことは、本当の自分のしたいことではないという不安感が、どこかにあるのでろうか? 何となく空虚な読後感が残る本である。