大井玄「人間の往生」(2)
大井氏は「相互独立型自己観」と「相互協調型自己観」ということをいう。「自己が他者とは独立した一つの宇宙である」というような「近代的自我」「アトム的自我」という自己観と、「自己が周囲の他者と切り離し難く結びついた存在である」とする自己観である。そして、後者は「つながり」という意識といった江戸の残光を残した日本人の倫理意識の根底にあるものであり、それが前者の西欧的な自我意識を日本人がうけいれるようになったことで消え去っていくことを惜しんでいる。
氏はまたマーモットの「ステータス症候群」に言及して昨今の日本の格差社会の状態はステータス症候群患者を蔓延させることになるだろうと指摘している。その通りであろうが、その背景は小泉内閣以来の政府の方針ばかりでなく、「相互協調型自己観」から「相互独立型自己観」へ日本人が変わりつつあるということがあるとわたくしは思う(そのような自己観を小泉内閣以来の政府が普及させようとしているのであれば、相互は関係することになるが)。「ステータス症候群」は社会の変化によって生じてくる。日本のいたるところでおきている構造的な変化がそれをもたらすが、われわれの自己観の変化もまたそのような構造的な変化のもたらしたものなのであり、同じ根に咲いた別々の花なのだと思う。
現在われわれがかかえている不幸は、われわれが便利と快適と自由を追い求めてきた結果なのであって、便利も快適も自由もすべて放棄することなしには、それを個々の問題として現場で解決することは不可能である。「相互独立型自己観」にしても、われわれが「自由」を求める心情と直結しているはずである。
医療機関が「患者さま」という呼称を用いるようになったことも大井氏は批判している。わたくしが勤める病院では、医者やナースは「さん」で、事務会計は「さま」である。患者さんにわたす様々な説明書やパンフレットなどは「さま」になっている。「患者さま」という言葉の蔓延には病院機能評価機構の指導が深くかかわっているとわたくしは理解しているのだが、違うだろうか? とにかく患者の権利ということを入院の説明の文書に明記し、院内にも掲示しなければならない。医療機関がサービス業、客商売という意識をもつようになったから「さま」としているというのではなく、日本の病院のあり方を指導している機関がそれを打ち出しているのである。これを監督官庁のいうことであれば唯唯諾諾としたがうといって大井氏は批判するのだが、情報検索が一般化した社会では、病院機能評価で認定されているかどうかといったことを病院を選ぶ基準にする患者さんもいるだろうから、病院としてもなかなかそれを無視することもできないのである。もっとも病院機能評価機構がもとめる病院像というのはかなり頭でっかちで現場に則していないという批判は最近強くなってきているようで、機能評価をうけない病院も増えてきているという話もきいている。(わたくしの勤める病院も更新をみおくった。)
痴呆老人がしばしば作話をすることから、氏は脳の機能の話に話題を移していく。ザガニガの分離脳の実験による左脳がもつ作話機能の問題を論じ、われわれの意思ではなく、ほとんどの場合、サブリミナルな何かがわれわれを動かしていること、リベットの実験からわれわれが自由意思で行動しているという思い込みがいたって根拠のないものであることなどを論じ、ヨーロッパ近代の思想家たちの「人間精神の理性と自由への信頼」という見解の傲慢への懐疑を語っていく。われわれはもっと謙虚になるべきであると説く。幽体離脱体験などから人格の恒常的同一性への疑問を論じ、自我というのが脳がつくりあげた仮想的な存在に過ぎないと論をすすめていく。文化人類学者のギアツは「ヒトは、自分の紡いだ『意味の網』に宙ぶらりんになっている動物だ」といったのだそうだが、このギアツの見解は、老人は長年過ごしてきた場所に「意味の世界」を築いてきたのだから、そこにおいてもっとも落ち着き安心するという論の中ででてくる。ところが、その話が「アーヤラ識」の話にうつっていくので面喰ってしまう。氏によれば「アーラヤ識を現代風に言いかえると「脳」になるのだそうであるが、「脳は(自己を含めた)身体的世界の心的モデルを作っている」ということなるのだという。また、「精神的と身体的という区別は誤りで、それは脳が作り出した幻想なのである」というフリスという認知心理学者の説を紹介し、ここの「脳」を「アーラヤ識」と置き換えると、現代の唯識になるのだという。そして「人生の終末にかかる人が超越的存在につながろうと願うのは自然な心理力動です」という。
正直にいって、看取りの話、終末期医療の話のなかで、なぜこのようなことが論じられるのかが理解できない。誤嚥性肺炎や胃ろうの話とどのようなかかわりがあるのだろうか? この脳の話とアーラヤ識の話のあたりは大井氏という一人の知識人がどのようにして死を自分のなかで受容しようとしているのかというまったく個人的な話なのではないだろうかと思う。
大井氏としては、自分のこのような見解が広く受け入れられるならば、ひとびとが死を忌避するのではなく、もっと素直に死と向き合えるようになるのではないかと期待しているのかもしれない。しかしこれは知識人という本を読む人間にしか通用しない理屈であると思う。頭でだけでの理解である。「生きているうちは死はない。だから死を怖がる理由はない。死んだら私がなくなる。ない私が死を怖がることはできない。よって死を怖がることはない」というエピクロスの説なども同じである。あーそーですか、であって少しも身につまされない。エピクロスの説など、「死んだら私がなくなる」→「それがいやなのだ」というのが普通の反応で、それが宗教を生むとだというのが通説なのではないだろうか?
氏は「私は、遠方の出来事を透視したり、戦死した兵士が親の枕元に立ったりする「心霊現象」を否定しません。心霊現象はそれを体験する人にとっては事実です。体験できない人が、現在の科学的基準に合わないという理由だけで、それをあり得ないと即断するのは危険でしょう」という。
しかし、ここまでの論旨からすれば、心霊現象は脳がつくりだす幻想であるという完全に“科学的”な説明可能なのであり、科学的基準に合わないなどということは一切なく、あり得ないなどと即断するどころか、あってもまったく不思議ではない現象ということになるのではないだろうか?
また氏はドーキンスが抱く宗教への危機感に理解を示しつつも、ドーキンスは宗教心理を理解していないとする。確かにドーキンスは宗教心理を理解していないであろう。しかし、そんなものを理解したいとも思ってもいない人間にそんなことをいっても無駄ではないかと思う。ドーキンスは典型的な理科の人なのであって、頭で理解できることにしか感銘をうけないのである。世の中を動かす根底にある仕組みがわかるとわくわくするのだが、その仕組みを構成するものが物質でないとピンとこない人なのである。だから物質的に存在しない神仏など理解できないのである。それに対して、大井氏は、清沢満之を持ち出してくる。「私共は神仏が存在するが故に神仏を信じるのではない。私共が信じる故に、私共に対して神仏が存在するのである。」 不毛だなと思う。なぜなら大多数の宗教を信じるひとは、知識人たちがなんといおうと、神仏の実在を信じている。あるいは完全に実在するとは思っているのではないにしても、「私共が信じる故に、私共に対して神仏が存在する」などという高級な方面に思いをいたすひとなどほとんどいない。ドーキンスが批判するのは神が実在すると信じる多数派、その神が天地をつくり生き物を今あるがままにつくったなどということを素朴に信じている多数派なのである。
清沢満之は大知識人で、複雑派(=非素朴派)であるわけで、そういう大知識人が宗教を論じだすと、それはそれでまたとても困ったほうにいってしまう。「アーラヤ識」などというのもその典型だと思う。橋本治はいう。「(大乗仏教を説明しようとすると分かることは)「人間というのはどうしてそんなに物事を複雑にしてしまうのか」であるという。「大乗仏教は、膨大な理論の山である。ちょっとかじれば、「ふーん」ということにもなる。それ以上かじれば、「なにがなんだか分からない・・」である」。別に仏教に限らないだろう。キリスト教神学だって、イスラム神学だって同じであろう。井筒俊彦さんの本を読むと、読んでいるときは面白い。しかしこれが一体何の役にたつのだろうと思う。それは純粋に頭を使う楽しみであって、現実とはなんのかかわりももたない話だろうと思う。清沢満之のいっていることだって、「宗教は脳が作りだした幻想である」ということかもしれない。幻想についてはいくらでも精緻な議論を積み重ねることも可能である。しかし議論がどこかで現実と接点を持たない限り、議論は議論のための議論となってしまう。橋本治がいうように「ある意味で大乗仏教とは、「独自な解釈がし放題」というものなのかもしれない」ことになってしまう。
科学の前提は外部世界の実在を信じることである。「脳は(自己を含めた)身体的世界の心的モデルを作っている」などというのは、一歩間違えると、外界は見ていない時には存在しない、世界は自己の死とともに消滅する、といった方向に道をひらきかねないように思う。大井氏はもちろんそういう方向にいくわけではなく、世界は連続しているし、「自己が周囲の他者と切り離し難く結びついた存在である」とする方向を志向しているようである。しかし、それは周囲の老人たちがそういう心境でいるときに医者が「科学」の立場からそれを否定するような浅薄なことはするなという意見であり、氏自身がそのように思っているということでは必ずしもないと思う。知識人というのは自分の頭で考える人であり、自分の頭で考えのは、自分と他人は別の人間だからである。「自己が周囲の他者から切り離され結びついていない存在である」であるというのが知識人の前提なのであるから、知識人であることは孤立や孤独とほとんど同義となる。大井氏が終末期医療にたずさわって周囲の老人に見る死と、知識人である大井氏自身が自分に考える死はまったく違ったものとなってしまう。それがこの本の論が二つに割れたようにみえる理由なのであろう。
20世紀で一番頭がよかった人間の一人であったかもしれないフォン・ノイマンは骨腫瘍(膵臓癌という説もあるらしい)で悲惨な死を迎えている。その死についてはだいぶ以前に読んだハイムズの「フォン・ノイマンとウィーナー」で知ったのだが、悲惨というのは、非常な疼痛に苦しめられたということではなく、本での記載によれば、「(今まで無縁であったカトリックにいきなり入信するが、それでは安心立命は得られず)完全な精神的衰弱が到来したのです。それはパニックや、毎夜の抑えきれない恐怖の叫びでした」という状態になったことによる。しかもフォン・ノイマンはマンハッタン計画に深くかかわっていたので(その腫瘍もその計画の実験での放射線被曝によるという説もあるらしい)、恐怖のあまり国家機密ももらすことをおそれた国防総省の監視下に最期までおかれていたのだという。その死は無残である。フォン・ノイマンの死は理科的あるいは数学的な頭脳の働きは、死の受容にはまったく無力であることを示している。しかし、死が無残であっていけないことはないと思う。「死にたくない! 死ぬのはいやだ!」と叫んで死んでいっても、従容として周囲のものに感謝の言葉を述べながら死んでいっても、その死は等価であって、優劣はないと思う。自分がどのように死ぬかということを選ぶことはできない。病気が完治して治って退院した日に車に轢かれて死ぬこともある。自分の思うような死というようなことを考えるのは、あらゆることを計画的に設計できるという養老さんのいう「脳化」による傲慢であり、脳のおごりなのではないだろうか?
大井氏は、現在の死が家族に見守られての死ではなく病院での孤独な死をなっていることを嘆き、現代医学の無情で酷薄な癌の告知のやりかたを批判し、医療現場が患者さんに媚びるようになってきていることを悲しむ。総じて、現在社会のすべてのあり方について批判的であるように見える。その個々の見解はいちいちもっともであるのだが、それでも全体としては奇妙な違和感が残る。非常におかしな言い方であるが、氏は西郷隆盛なのだと思う。時代がどんどんと俗なほうへ雪崩れていくなかで、農本主義的な素朴への郷愁が強くなってきている。また氏は武士道精神の人なのだと思う。武士はくわねど高楊枝の矜持の世界から、欲望が全開になった本音だけの世界に時代が移行していくことに殺伐としたものしか感じらない。それにもかくわらず氏は、医療というとにかくも科学とまったく無縁ではない世界で生きていて、知的好奇心はいまだ旺盛なのである。だから、科学を脳と宗教をつなぐものとして理解する方向へと向かうことになるのかしれない。しかしわたくしは、医療者の矜持は、どのような事態に直面しても決して宗教の世界へはむかわず、俗の中にとどまり続けることのなかにあるのだという気持ちをどうしても捨てることができない。
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