岩井克人「二十一世紀の資本主義論」

   筑摩書房 2000年3月3日初版


 アダム・スミスは投機の問題については考えなかった。投機とはケインズがいうところの美人投票であるがゆえに、不安定性を避けられない。
 マクロ経済学とは「みえざる手」が働かない世界に関する経済学のことをいう。貨幣経済においては「見えざる手」が働かないという事態が生じうる。それこそがケインズが考察しようとしたことであった。貨幣への欲求を「流動性選好」とよぶ。
 もしも未来が有限たとえば50年後に終焉すると知っていたら、誰も貨幣をためるものはいない。

 言語とは何かということについていくらでも論じ続けることはできる。しかし、とにかく言語が使われていて通じるという事実だけがあればいいではないかという立場もありうる。貨幣とは何かということについてもまた無限に論じることができる。しかし、貨幣の本質がどうであろうと、貨幣が通用しているという事実だけあればいいではないかという立場もありうる。しかし岩井氏は貨幣の流通というのは一種のバブル、土地の値段がいつまでもあがり続けるという信仰と同様の、貨幣はいつまでも通用するという信仰に依存するものなのだから、ひょっとして明日はこの貨幣はもう使えないのではないかと誰がが思い始めた途端に通用しなくなる泡のようなものだというのである。