丸谷才一 「輝く日の宮」

   講談社 2003年6月10日初版


 丸谷才一の10年ぶりの長編小説。このひと大体10年に一回長編を書くことになっていて、「エホバの顔を避けて」「笹まくら」「たつた一人の反乱」「裏声で歌へ君が代」「女ざかり」に続く6冊目。
 たぶん丸谷氏が本当にかきたいテーマというのは、政治から逃げるというものしかないのだと思う。エホバの顔を避け、「笹まくら」では徴兵から逃げる。それは主義主張があってそうするのではなく、ただそういうものが厭で逃げるのである。したがって最初の二冊が一番緊張感がある。
 問題は「たった一人の反乱」であり、政治から逃げることが、政治に対して個人が「たった一人の反乱」を企てることとして肯定されてしまうのである。今までの、わたしのようなものでもどうにか生きたい、それを許容してほしいという姿勢から、自分の生き方こそが現在におけるもっとも意義ある生き方であるとして肯定されてしまうのである。そして「裏声で歌へ」では、そういう政治に対する面従腹背的な生き方が、「裏声で歌ふ」という積極的意義のある生き方であるとされてしまう。自分の生き方を肯定してしまうと緊張感がなくなる。その結果、「女ざかり」は、本当に何を書きたいのかわからない、新聞社内のごたごたを書いただけのものとなった。
 そして、この「輝く日の宮」も前作に続き、女性を主人公にした、今度は日本文学学会内部でのごたごたの話である。
 もともと丸谷氏は文学に淫した人間であり、政治から逃げて自分が好き好きでたまらない文学の世界に逃げたのであった。「梨のつぶて」の中の「日本文学の中の世界文学」における「ロリータ」の翻訳批判にある次のような言葉、「読者は、ぼくが文学趣味に淫していると考えるかもしれない。しかしこの長編小説はそれ自体、文学趣味に淫した作品、つまり、この詩を読んですぐに初期のエリオットの詩のパロディだと判る読者を対象にして書かれた作品なのである。」 もちろん丸谷氏はすぐにそれがエリオットのパロディだと判る読者である。しかし、そういう人間は少数である。しかも、それがエリオットのパロディだとわかったところでそれがなんの役にもたつわけではない。同じ「梨のつぶて」にある「西の国の伊達男たち」の註、エリオットの「荒地」にある、co co rico という鶏の鳴き方はフランス語の童謡での鶏の鳴き声 cocorico からきているのだそうであるが、それが cocorico ではなく、co co rico と書かれているのは、その背後に、Go, go, wrecher ! という相をふくみ、 さらには、Go, go, roc ! さらには Go, go, Roque ! という相までもふくむのではないかという指摘。それを最初読んだときにはほんとうにびっくりしたけれども、エリオットの詩をそこまで読み込むということは、楽しいことではあっても、なんの役にも立たないことでもある。文学はなんの役にもたたない、しかし自分がそれが好きで好きでたまらない、そういう意識が初期の丸谷氏の作を緊張させていた。文学の伝統の中で作られる文学、それが文学の正統であり、西洋の文学にはそれがあり、明治以前の日本文学にもそれがあったのに、現代の日本文学は自然主義という無粋、無骨な伝統切断的なやりかたでそれを排除している。自分の文学は世界文学の正統につらなっているにもかかわらず、日本文学界の中では異端であるという意識(「津田左右吉に逆らって」(「梨のつぶて」所収)、それが丸谷氏の作品をドライブする力であったのに、いつのまにか、丸谷氏は自分が日本文学の主流になれたと思ってしまったようなのである。その時から、丸谷氏の書くものには力がなくなった。「梨のつぶて」におさめられた「未来の日本語のために」と、「日本語のために」の収載された「現在の日本語のために」を比較するば、それは歴然としている。一言でいえば、丸谷氏から悲劇的感覚が失われ、丸谷氏は喜劇的になったのである。
 「女ざかり」で方向を見失った丸谷氏は、「輝く日の宮」で自分にとって本当に関心のある唯一の領域である文学のほうへと戻ってきた。しかし、それは陶然として一文一文を舌なめずりするように読んでいたかつての丸谷氏としてではなく、日本文学史の正統的な解釈者としての丸谷氏なのである。芭蕉の「奥の細道」の紀行は義経の追慕のためであったとされる。文学はつねに過去とのかかわり、伝統とのかかわりのなかで見られなければならないのである。本書の最大の論点は「源氏物語」における失われた一章であるとされる「輝く日の宮」の章の存否の論争であるように一見すると見えるが、実は丸谷氏が本当に主張したかったのは「源氏物語」が事実上、紫式部と藤原の道長の合作なのである、ということであると思う。それは確かに面白い主張であるが、ここで描かれた道長が完全に肯定的な像であることが問題なのだと思う。この小説においては道長は最高権力者であるばかりでなく、当代における最高の文学の理解者の一人でもあり、紫式部をある意味では指導したりもするのである。道長ばかりでなく、最近の丸谷氏の書くものは権力者にとても甘いように思われる。この小説における主人公の恋人である会社役員とその会社の社長の描き方もそうであるし、前作「女ざかり」における総理大臣の描き方もまたそうであるように思われる。「女ざかり」は何が書きたいのかよくわからない小説であったが、ひょっとすると総理大臣を描いてみたいというのが動機のひとつにはなっているかもしれない。たしかに小説の主要な登場人物として総理大臣がでてくることは、それまでの日本の小説にはなかったかもしれない。そういう人物を登場させたというのは日本の小説の幅を広げたのだろうか? 確かに丸谷氏がいうように、西欧における正統的な小説の主人公は上流階級あるいは少なくも中流以上であるのかもしれないが(「菊地寛の亡霊が・・・」「梨のつぶて」所収)、でもなんだか方向が違うだろうという気がする。
 本書でも、森鴎外山県有朋の関係についても言及されているが、それが鴎外の暗部であるというような書き方はされていない。小説家は上流階級にとりいったほうがいい小説が書けるなどということがあるだろうか?
 「忠臣蔵とは何か」は一篇のエッセイの材料になる程度の思いつきを一冊に引き伸ばしような本であったが、本書における芭蕉の話もあるいは「源氏」成立論も、学問的論議にたえるような厳密な議論ではない。それだからこそ、それを他人の議論として小説の中に組み込んだのであろうか? 「忠臣蔵とは何か」あるいは本書に描かれたレベルの「御霊信仰論」であれば、井沢元彦の議論のほうがよほど厳密ではないだろうか?
 本書の最後、「若者は女に導かれて、長くつづく濃い暗闇のなかを、そろそろと一足づつ歩みを運び、未来といふあやふくてあやしい、心いさみするもののなかへはいつてゆく。」は、「笹まくら」の最後、「さようなら。しかしそれが何に対する、どれほど決定的な別れの挨拶なのかは、二十歳の若者にはまだよく判っていなかった。」とどこかで対応しているように思った。
 これが丸谷氏の最後の長編小説になるのかなと思う。結局、最後にまた最初の地点にもどってきたわけである。現代日本の焦眉の問題とはなんのかかわりもない「源氏物語」成立論や「奥の細道」論へと。しかし出発点において政治から逃げていた丸谷氏は、いつのまにか権力を肯定する人間へと変貌していた。この小説はどのような読者を想定して書かれたのであろうか? 幸福な少数者のため? 丸谷氏にはどのような読者が見えているのであろうか?