養老孟司 奥本大三郎 池田清彦「三人寄れば虫の知恵」

   新潮文庫 2001年7月1日初版 原著1997年4月洋泉社初版


 昆虫きちがい、虫きちがい3人による鼎談。
 話題の中心は多様性である。とにかく虫は種類が多いらしい。虫をいじっていれば、「いろんなものがある」ということは身にしむるらしい。そうなれば、人間世界におけるかたくるしい決まりごとなど何ほどのことがあるか、という気持ちだでてくるのは当然である。だから「虫屋アナーキーである」(奥本氏)。また「自然」に対する見方が違う。緑があるのが自然ではない。たくさんの虫がいるのが自然である。ゴルフ場などは人工の極致なのである。たしかにわれわれが子供のころの夏休みの宿題は昆虫採集であった。いまはわたくしの住む杉並にほとんど蝶はとばず、蜻蛉もいない。
 それで思うのが、文明とは人工のことなのだろうかということである。文明は都市に生まれる。都市は人工の産物である。わたくしの敬愛する吉田健一は文明の人、都市の人である。しかし氏は理性の過信には決して陥らない。すべてのことを人間の力で制御できると信じる19世紀の信仰を哄う。氏は人間が動物であること、人間が自然の中にいることを忘れない。とすれば、吉田氏の自然は飼主と対等な飼い犬のようなものだろうか? 虫は自分の意思を(おそらく)持たない。そういうもの何らか人間のアナロジーの対象とならないものに吉田氏は興味をもたない。養老氏のいう儒教の人なのであろう。
 というようなことはあるが、それは理屈であって、切手を集めれば世界地理にくわしくなる程度のはなしかもしれない。要するにこの3人、理屈でなく虫が好きなのである。で、虫をやっているうちにそれが人生観に影響をあたえることもあるかもしれないが、そういう人生観をえるために虫を集めているのではなくて、要するに好きだから集めている。そういうひとの話はそれだけで楽しいものであって、本書も大変楽しい読み物になっている。