L・ムロディナウ「ユークリッドの窓 平行線から超空間にいたる幾何学の物語」

   NHK出版 2003年6月25日初版


 この手の本は好きでときどき読む。大体パターンはきまっていて、ユークリッドの公理のなかで平行線公理の不純さ(無限をふくむ)を指摘し、その公理を否定した、1)ある線に対してその線のそとにある点を通りその線に平行な線は一本もない、2)複数ある、のそれぞれに基づく幾何学として、ガウス−ボヤイ−ロバチェフスキー幾何学(複数平行線幾何学−双曲空間幾何学)とリーマン幾何学(平行線が存在しない幾何学−楕円空幾何学)がどちらも成立しかつ無矛盾であることをいい、そこから生じた数学の危機への対応としてのヒルベルトの考えがしめされ、それへの対応あるいは敵役としてカントールが登場し、ヒルベルトへの否定的な回答としてのゲーデル不完全性定理が示され、それが20世紀の論理学にあたえた深刻な影響が論じられたあと、非ユークリッド幾何学にもとづく物理学としてのアインシュタインの物理学が紹介されるといった構成が多い。本書もほぼそれを踏襲しているが、唯一ちがっているのは最終章に「ひも理論」をおいている点である。その理論の主導者であるウイッテンという学者(物理学者?数学者?)のプロフィルは大変興味深いが、そこで述べられていることは例によって、わたくしにはちんぷんかんぷんである。
 「ひも理論」はもはやどんな大きな加速器をつかっても検証不可能な理論なのだそうで、それの有効性は物理学的には確かめることはできず、ただ数学的な整合性のみがその存立を保障しているらしい。
 数学というのは何なのだろうか? われわれの思考の論理を外部化したもの? そうであれば、人間の脳は進化の産物であり、進化の過程でたまたま生じた神経ネットワークが、物理法則という外界のできごとと相応するのはいかにも奇妙である。おそらく、ここあたりのことがカントの「純粋理性批判」の骨なのだろうが、カントはニュートン力学が真理であると思っていた。アインシュタインが生まれ、「ひも理論」が生まれてくると、この問題はさらに混迷にむかっているのではないかという気がする。