今日入手した本

数とは何かそして何であるべきか (ちくま学芸文庫)

数とは何かそして何であるべきか (ちくま学芸文庫)

 何でデデキントという名前を知っているかというと、以前に高木貞治「解析概論」を読んだときに、割合はじめのほうに「デデキントの切断」というのがでてきて、それが非常に重要なことであるように書いてあったからである。何で「解析概論」という本を読んだのかはもう忘れた。おそらく数学基礎論の本をわからないかがらも読んでいたことがあって、それでではないかと思う。日本語の解析学の教科書で一番有名な本ということでこれを買ったような気がする。
 今日偶然、本屋でこの本をみつけ、デデキントという名前がなつかしく買ってきた。最初の「連続性と無理数」という論文(まだこれしか読んでいない)は、ほとんど散文で書かれていて、数学記号はあまりでてこない。で、切断というのは、「Rの二つのクラスA1、A2への分割で、、上の特徴のうち、A1の全ての数a1がA2の全ての数a2より小さい、という性質のみを満たす時、このような分割を切断とよび、これを(A1、A2)と表す事にする。すべての有理数aは一つの切断を惹き起こすと言える。」というものなのであった。なんだかものものしいけれども、ある数aより大きい数の集団と小さい数の集団があり、aはその両方にふくまれ、aはRを二つの集団に「切断」する、というようなことらしい(違うかな?)。数直線の上に点aがあり、その右の数はすべてaより大きく、左はすべて小さい、そんなこと当たり前じゃん、と思うのだが(デデキントは「大半の人は、この発見の内容を非常に自明のものだと感じるのではないかと思う」という)、「直線上の各点pは直線を、その片方の部分の点がすべてもう片方の部分の左にあるような、二つの部分に分割する」の逆は「直線上の全ての点が二つのクラスに分割され、一番目のクラス全ての点が二番目のクラスの各点の左に成る時、この直線の二つのクラスへの分割を惹き起こしている点が、ちょうど一つ存在する」になるのだそうであるが、この逆の主張は誰も正しいことを証明できないのだそうで、これは公理以外のなにものでもないことになり、この公理を受け入れることによって、われわれははじめて直線の連続性ということを受け入れることができるようになるのだそうである。われわれが当たり前ではないかと思うのは、幾何学的直感によるのであって、それを厳密に数学的に論じようとするとこのような公理を導入しなければならないのだそうである。
 数学者というのは本当に変った人たちである。しかしまあ神秘的で難しい話かと思っていた「デデキントの切断」がこういうことであったというのがわかったのは収穫であった。