村上龍 「2 days 4 girls 」

   集英社 2003年8月10日 初版


 「2日間で4人の女とセックスする方法」というとんでもない副題がついているが、内容とはほとんど関係がない。
 小説であるが、ほとんどストーリーはない。夢の中のような場所である女性を探してさまよう男の回想というのが強いていえば骨格であるが、要するに主人公の男がさまざまな女性とのかかわりをランダムに述べるための装置にすぎない。
 人は人とかかわることができるか、人は人を救うことができるか、援助することができるか、人は人を支配することができるか、ということをめぐっての作者の見解がその装置の中にちりばめられる。
 作者はお説教をしたいのだなあという気がする。何かを作者はわかってしまっていて、そのわかってしまったことを伝える装置として小説が使われている。「希望の国エクソダス」なども作者の現在日本への見解を伝達する装置になってしまっていたように思う。
 何かいいたいことがあって、それが小説というかたちでしか表せないというものかどうか、それが一番の問題であるように思う。人と人とのかかわりといったものはあるいは小説の中でしかあわらせないものなのかもしれない。しかし本当にそうなっているのか疑問が残る。
 作者の小説の中では「テニスボーイの憂鬱」の系統と「ピアッシング」の系統を混ぜたような作風のようにも思えるが、「テニスボーイの憂鬱」にあった批評性が希薄になってきているように思う。ワインの銘柄とか投資金融の話とか作者の自慢話的な知識披露も目立つ。
 ほとんど筋のない300ページ以上の本を読ませてしまう作者の筆力というのは大したものなのだが、「五分後の世界」とか「昭和歌謡大全集」とかに見られた作者から離れた物語の魅力はどこかにいってしまっている。
 村上龍は危機的な場所にいるように思う。