梶田昭 「医学の歴史」

   講談社学術文庫 2003年9月10日初版


 文庫本350ページほどの本であるが、既刊本の文庫化ではなく、文庫で刊行されたものである。著者の急逝により未推敲の未定稿として残されたものを友人が完成させたものらしい。従来ある日本人による医学史の本としては川喜多愛郎氏の大著「近代医学の史的基盤」があるが、どうも文体になじめないものがある(というか著者の人柄がどうもあまりお付き合いしたくないような人ではないかと思わせるところがある・・・博学だけど慇懃無礼だとか)本であった。梶田氏はこの本を読むだけでもいい人なのではないかと思う。専門家でない人間が読む日本語の医学史として出色のものである。
 著者は、医学は人間の「慰めと癒し」の技術であり、学問であるという。医学は人間にばかりではなく、サルにも鳥にもあるという。毛づくろいがそれであるという。しかし変温動物である魚類、両生類、爬虫類にはないだろう、カエルの看護婦やワニの医者はいないだろうという。これらにはまだ「慰め」ということがないのだろうから。
 また、おこないとしての看護は穴居家族の母親が小川で子どもの頭を冷やしたりことにはじまるとして、小川が看護と医学の起源にかかわるという。
 原始社会では、医療者はシャーマンを兼ねた、しかしシャーマンは祭司とは異なり、王・支配者とは直接は結びつかず、民衆に接近していたという。
 丸山真男の「日本政治思想研究」の安定と混乱と政治の関係から、医学の役割を引き出している。安定期においては人は常識で対応する。混乱期においては、呪術と宗教がでてくる。その中間の時期に医学の役割があるという。医学が必要のない場所、医学が手をだせない場所を認め、呪術も宗教も否定しないわけである。
 ここに紹介したいくつかの事例だけでも、本書の魅力の片鱗は伝わるのではないだろうか?

 著者は当初内科医、のちに病理医に転じた人。一時、共産党員であったこともあるらしい。大変な読書家であったらしいことは、本書からも容易に知れる。東京女子医大の病理学教授を引いたあとの思索の日々から本書は生まれたらしい。
 晩年、胸部大動脈瘤を発見されるが無治療で放置、本書の完成直前にその破裂により急逝したらしい。
 わたくしもこういう生き方をできたらと思う。