橋内章 「そこに酒あり煙草あり 酒と煙草を楽しむための医学書」

 [真興交易(株)医書出版部 2003年12月15日 初版]


 現役も麻酔科医の書いた本。このひと酒も煙草も楽しむひとらしくて、最近どうも煙草の評判が悪い、本当にいわれているほど悪いのか?という興味からインターネットを駆使して最近10年くらいの医学論文にあたってみた。ついでに酒についても調べたという本。結論はやっぱり、煙草は悪い。
 実は、煙草が発癌に関係することは確かだとしても、寿命を本当にちじめるのだろうかという点に興味があって本書を手にとってみたのだが、やはり寿命も短くするらしい。

 酒と煙草とどちらが健康や社会に悪いか?ときくと、いまでは多くのひとが煙草と答える。しかし、酒と煙草と麻薬と並べれば、誰でも麻薬を選ぶ。法で規制されている。酒はかつて法で規制されたことがある(禁酒法)。しかし煙草ではそういうことはない。酒のほうが悪いことは明らかである。
 酒飲み運転は事故につながる。煙草をすって運転してもそういうことはない。酒を一定以上ある期間のみ続ければ確実に肝硬変になる。煙草を一定量、一定期間のみ続ければ必ず肺癌になるなどということはない。あくまでその頻度が増すというだけである。促進因子ではあっても原因ではない。
 適量のお酒は一日アルコール50g以内であるとされている。これは日本酒なら2合、ワインはボトル半分。ウイスキーが6日で一瓶。ビールは大瓶一本半。
 それならば煙草に適量というものがあるか? 上限はない。なぜならば、気体中の濃度以上には血中濃度があがらないからである。つまり急性ニコチン中毒は喫煙ではおこせない。一方、急性アルコール中毒はしょっちゅうあちこちでおきている。アルコール依存患者が禁酒に成功することは例外的であるが、禁煙に成功したひとなどごまんといる。
 過去において、酒は薬であった。禁酒法時代のアメリカでも酒は医療目的には許可されており、大量のアルコールが薬として処方されている。
 しかし、現代医学において、酒が健康によいということが主張されるようになったのは、1979年のフランスでは心臓病が少ないというフレンチ・パラドックスの報告であろう。そこでは赤ワインがよいとされた。さて虚血性心疾患での死亡率が低い国は、日本と中国とフランスである。美食の御三家である。
 赤ワインの効果は葡萄の皮にあるポリフェノールによるとされている。しかしそれを純品として合成してもそんなものを薬としてのんで酒は止めるだろうか。そんなことはないと著者はいう。そういう薬としてはすでにアスピリンがある。
 最近、赤ワインでなくてもあらゆるアルコールで虚血性心疾患予防効果があることがいわれているが、この効果は日本人ではない。日本人には虚血性心疾患が少ないから。
 さて、煙草で肺癌はどのくらい関係するのか? 喫煙者はあらゆる癌が非喫煙者にくらべ2.4倍、タバコ関連癌は男性4倍、女性7〜8倍というところらしい。ごく一部タバコがおさえる癌もある。子宮体癌(乳癌でも?)である。(これは喫煙によってストロジェンの分泌が減るから。)
 虚血性心疾患の死亡率はタバコをすうと2倍弱あがる。慢性閉塞性肺疾患は1.5倍。タバコをやめると肥る。
 死亡率全体でみると、1.5倍。10万人あたり、一年で962人が1559人となる。非喫煙者は肥るにしたがって死亡率が高くなるが、喫煙者ではそういう傾向はでない。
 受動喫煙については子ども時代に家族に喫煙者がいた場合に、その子が肺癌になりやすいという統計はある(統計上は家族に二人いた場合で二倍)。結婚後の配偶者、職場の喫煙は影響しない。一方、虚血性心疾患や脳卒中は大人になっての受動喫煙で1.5〜1.8倍程度高くなる。喘息と呼吸器症状も同様。
 さて、タバコがいい病気もないわけではない。パーキンソン病では予防効果も治療効果もあるとされている。またアルツハイマー病にも予防効果があるとされている。三分の一程度にまでおさえるというデータもあり、しかもたくさんすえばすうほど効果がある。なお、酒は痴呆の予防効果があるとされており、アルツハイマー型だけでなく、脳血管性の痴呆も予防するとされている。適量の酒で、二分の一から三分の一になる。
 脳の受容体のアセチルコリン受容体にはニコチン受容体とムスカリン受容体があるから、タバコが脳に影響するのは当然である。うつのひとが禁煙すると再発しやすいとされている。潰瘍性大腸炎ではタバコで劇的な改善が見られることが知られている。しかし日本ではこのことは真面目にうけとられておらず、教科書にも記載されていない。
 1970年ごろから酒の益、タバコの害などが検討されるようになったのは、統計学の進歩(とそれをささえるコンピュータの進歩)によるところが大きい。さて、問題はタバコをすうと肺癌になる率が5倍になるという数字の意味である。これは1倍らか10倍までの可能性があるが、5倍の可能性が一番高いという程度の意味である。5という数字に大きな意味があるわけではない。
 肺癌とタバコの関係は有名であるが、アルコールも口頭・咽頭・食道の癌、肝臓癌のリスクを2倍程度に高める。しかし、タバコとは違い、ほとんどそのことが指摘されることはない。それは今の時代がそういう時代なのである。日本は先進国のなかで喫煙率が一番高い。しかし、世界一の長寿国でなのである。

 わたくしは最近の魔女狩り的な禁煙運動が好きでない。著者も書いているが、かつて世界中をキリスト教化することがみんなを幸せにすることであり、自分たちの使命であるとした白人社会が、今はタバコをやめさせることがみんなを幸せにすることであると本気で信じているのであろう。また著者も書いているように最近は半公的機関が病院全体を禁煙にするように圧力をかけている。これは患者の権利の侵害ではないだろうか? また日本医師会も精力的に禁煙キャンペーンをおこなっている。医療の世界はもともとパターナリズムを志向する素地をもっている。しかし近年では医療のパターナリズムは評判が悪い。その中でおおっぴらにパターナリズムを発揮できる場としてタバコの問題があるということはないだろうか? 要するにえらそうな顔をして説教したい?
 リチャード・クラインというひとの「煙草は崇高である」(太田出版1997年刊)という大変面白い本がある。クラインは文芸評論家・批評家で、この本も文学や映画がにおける煙草が主題となっている。それによれば、ヨーロッパに煙草が紹介された16世紀末のすぐから煙草の害は認識されていた。そして、むしろそれが有害なものであるからこそ、喫煙は習慣化したのではないかという。<実際、もし煙草がほんとうに健康によいものであれば、それを吸うひとなどごくわずかになる>、むしろ煙草は死とどこかで結びつくことによって<崇高>になるというのである。この本によれば、ジェイムズ一世、ルイ14世、ナポレオン、ヒトラーなどの専制君主は煙草をきらった。第三帝国では、「ドイツ婦人は煙草を吸わない」という掲示がいたるところにあった。最近のヨーロッパにおける喫煙の調査によれば、デンマーク・オランダでは女性の喫煙率が高く、ポルトガル・イタリア・ギリシャで低い。これは女性の自立と相関してはいないだろうか? 禁煙運動は現在の清教徒運動なのではないだろうか? 映画「カサブランカ」ではあれだけ男たちがもくもくと煙草を吸っているのに女はだれも吸わない。
 このクラインの本は、おそらく現代人の病的な健康志向へのアンチということが伏流にある。禁煙運動には、清教徒的清潔志向が根底にある。橋内氏のこの本の執筆の動機の根底にも、現在の禁煙運動があまりに<過剰>であるので、本当に煙草はいわれているほど悪いのかということがあったのであろうと推測する。
 ここで示された数字が現在の禁煙運動がいっているほどの煙草の害を示していると考えるか、現在の禁煙運動は行き過ぎであると思うかは、価値判断にかかわってくるであろう。しかし、著者もいうように、ここで挙げられた数字は、煙草を吸いたい人が禁煙運動家の難詰を煙にまくために用いればいいのであって、吸うか吸わないかはまた別の問題であろう。もちろん、この本の数字を見て、煙草はこわいと認識してやめるひとがいれば、それはそれでいいわけである。
 インターネットの時代においては、そこからの情報収集によって一つの本が書けるという例としても面白い例であると思った。
 著者がいうように煙草が頭に効くということがもう少しはっきりしてくると、受験生がニコチンパッチをはったりする時代がくるのだろうか? それとも、そういうことはドーピングの一種として禁止されるのだろうか?