浜崎智仁 「コレステロールは高いほうが長生きする」

  [エール出版社 2003年11月15日初版]


 現役の臨床家かつ脂質栄養学者(富山医科薬科大学教授)の書いた本。またかなり専門的な話。
 最近日本で出てきたいくつかの疫学研究で、コレステロールが高くても総死亡が高くない、すなわち寿命が長いことが明らかとなってきた。少なくとも260までは治療する必要がなさそうである。またコレステロールが高いほうが癌による死亡が少ないことも明らかになってきている。
 以前、日本で発表されたデータには家族性高コレステロール血症の患者のデータが多くふくまれている。この疾患は心筋梗塞を起こしやすいことで有名で、そういうものが多くふくまれれば高コレステロール心筋梗塞をおこすというデータがでるのは当然である。しかしこの病気は日本では500人に一人である。この疾患では確実にコレステロールの治療をすれば寿命がのびる。1997年に動脈硬化学会が出したガイドラインは、この家族性高コレステロール血症をふくむデータなど科学的といないデータにもとづいている。
 また、現在通常おこなわれている高コレステロールへの対策としての食事療法は、むしろ有害であることがわかってきた。食事指導をうけるとうけない場合より心筋梗塞になる率が2.87倍になるのである。これは食事指導によって植物油の摂取が増加したため、リノール酸の摂取が増えたためと思われる。
 リノール酸をふくむ植物油は健康にいいとして消費量が増えてきている。しかしリノール酸を減らす指導で、死亡率が減る(7割も!)というデータがでてきている。リノール酸は肝臓でアラキドン酸に代謝される。このアラキドン酸からプロスタグランディン、トロンボキサン、ロイコトルエンなどの問題の物質が生成されるのであるから、リノール酸の過剰摂取が有害であるのは理解できる。
 リノール酸はn−6系の多価不飽和脂肪酸だが、n−3系の多価不飽和脂肪酸であるα−リノレン酸と同時に摂取されるため、本当に有効であったのはα−リノレン酸のほうであった可能性が高い。このα−リノレン酸はEPAやDHAの前駆体として必要なのだが、EPAやDHAは日本人は魚から直接とっているため、日本人はリノール酸を多くとろうとする(結果的にはα−リノレン酸をとることになる)必要はないし、そうするとリノール酸の有害作用がでてしまう。最近、漁村、農村、都会での疫学調査で、狭心症の発症率が、1:8:14であるというデータが発表された。
コレステロールを多くふくむ食べもの(卵など)を摂取しないことが健康によいというデータは世界中でまだない。たべないと身体で(肝臓で)合成してしまうからである。われわれのコレステロールの一日必要量は約2gである。その四分の一が食事から由来し、残り四分の三は体内で肝臓によって合成される。卵一個のコレステロールは約250mgだから、二個食べると必要量をみたしてしまう。食事摂取量が多くなると肝臓の合成が低下することで相殺されるが、卵一個余計に食べると約5mg血清コレステロールが上昇すると考えられている。
 日本では、臨床栄養学、食事指導の研究がほとんどないにひとしい。それは医者が栄養学に関心がなく、軽視しているからである。なぜなら、栄養指導は医者でなくてもできるからである。それに対して、薬は医者にしかだせない。
 スタチン類の薬がでるまで、コレステロールをさげても総死亡は減らせない(あるいはかえって増えてしまう)という成績ばかりであった。スタチンの登場によってはじめて、総死亡を減少させた報告がでた。
 最近の日本のJ−LITという疫学研究によれば、1000人にスタチンを投与したときの新たな冠動脈疾患発生は一年で1.5人である。この研究は対照がないという致命的欠陥をもっているが、かりにスタチンがその発生を半分に減らせるとして(そんなに効くとは思えないが)、1000人治療して、一年で1.5人新たな患者発生を押さえることになる。致命的なものはさらに少ないから、救命という点からみると、1000人ではこの研究の観察期間である6年で1.6人である。
 スタチンはコレステロールの前駆物質も低下させる。本当はそのことが有効性に関与している可能性がある。
 アメリカの内科医師会のガイドラインでは、75歳以上の人のはコレステロールの測定を薦めないとしている。女性はもともと動脈硬化がおきにくく、スタチンの投与の有効性については明確な証拠がない。
 肥満は健康に悪いとされているが、総死亡で見ると、BMIが28までは問題ない。
 以上、著者の結論は、コレステロールはよほど高くなければ気にしなくていいが、日本人がコレステロールを過剰に気にしてため結果としてカロリー摂取が押さえられ、そのことが健康にプラスになっていたかもしれないというものである。

 恥ずかしながら、わたくしも栄養学にほとんど興味をもっていない医師の一人であって、本書を読んでなによりも衝撃であったのは、栄養指導の途轍もない効果であった。薬物療法でこのような効果をもつものなどまず考えられない。問題は薬の効果が目に見えるということである。スタチン類では確実に20%くらい血中コレステロールを下げる。降圧剤もはっきりと血圧を下げる。しかし、コレステロールの食事療法の効果が(コレステロールを下げるという意味では)ほとんどないことは医者は誰でも痛感している。そして個々の患者さんをみている限りはほとんど効果を感じることのない食事療法がマスでみると非常にはっきりとした影響がでているとしても、それを臨床の場ではほとんど実感できないわけである。
 最近の患者さんは健康の知識が豊富であって、軽度の高血圧、軽度の高コレステロール血症でも大きな不安をもつ。それに対して投薬して、血圧が下がり、コレステロール値が下がると安心する。一方、食事指導では血圧もほとんど下がらず、コレステロールも下がらない。医者が食事療法にほとんど関心をもたない所以であろう。血圧をさげる必要があるのか?コレステロールを下げる必要があるのか?は別にして、とにかく下がるのであり、患者さんも医者も安心する。
 そうすると、問題は患者さんのもつ健康知識であろう。そしてその知識のもとになっているのが、専門家のつくるガイドラインであり、そのガイドラインを作成するための臨床試験が製薬会社がスポンサーとなっておこなわれている、その点が問題であろう。
 ある臨床試験がおこなわれ、かくかくしかじかの結果がえられたということろまでは事実の問題である。しかしその結果をどのように判断するかという点になると、判断の問題である。その判断がたぶんに歪んでいることは、本書に提示されている生のデータとそれから得られたとされる解釈を比較するだけでも歴然としている。
 なまじ、効果が(長期予後の改善ではなく、目の前の数字が下がるという意味で)ある薬ができてきたということが、かえって問題を混乱させている。