酒井順子 「負け犬の遠吠え」

   [講談社 2003年10月27日初版]


 ここでいう負け犬とは、<未婚・子ナシ・30代以上>の女性(狭義)。最優先事項は「現在結婚していないこと」。したがって、広義には、離婚して今は独身の女性も、結婚していないシングル・マザーもここに入る。つまり、普通の家庭を築いていないひとは<負け犬>。いくら仕事が有能でも、お金があろうと結婚していなければ<負け犬>。この反対が<勝ち犬>。旦那がお金持ちの専業主婦で子どもが受験戦争の勝ち組でも、旦那の給料では食えずパートにでていて子どもがぐれていても<勝ち犬>。

 ということで自称<負け犬>が、負け犬についていろいろと語ったものであるのだが、表面的には「既婚女子に勝とうなどと思わず、とりあえず『負けました〜』と、自らの弱さを認めた犬のようにお腹をみせておいた方が、生き易いのではなかろうか?」などと謙虚そうなことを言っているが、何、裏では<勝ち犬>の生き方ってどこが面白いの?、といっているのである。
 負け犬は面白そうなことが好き、そして面白いことにはリスクがともなう。だから、リスクをとった結果、こうなってしまったのだという。また、負け犬は「含羞」がある、という。いくら将来の安定のためといっても恥ずかしくてできないことがある。それができなかったから、こうなったのだという。要するに、負け犬はプライドを持つ。リスクをとる勇気があってプライドがある、そのどこが悪いのかということになる。
 どうも子どもを産むかどうかということが問題らしい。ある年齢になると子どもを産むとすれば、そろそろ・・・という気持ちになるらしい。それと結婚や出産は他動的にその人を<大人>にするが、結婚せず子どももつくらないとすると、自覚的に<大人>にならねばならないということがあるらしい。
 現在、高学歴・高収入の女性と、低学歴・低収入の男性が余っている。高学歴・高収入のオス負け犬はほとんどいない。なぜそうなっているかというと伝統的に日本の男性は<低>な女性を好むから。
 負け犬は都会の生き物である。東京は世界に冠たる負け犬の都。それで、負け犬が猫を飼いだしたらもうおしまい。あるいはマンションを買ったらもうおしまい。「ブリジット・ジョーンズの日記」「アリー・マイ・ラブ」「セックス・アンド・ザ・シティ」はロンドン・ボストン・ニューヨークという都会での負け犬の話である。

 女性の自立ということがいわれているが、どう考えても自立するということは結婚しないということにつながり勝ちであろうことは、この本を読んでいるとよくわかる。そこでの問題は子どもである。日本では非嫡出子というのはほとんどいない。スカンジナビアなどとは好対照である。もしも日本がスカンジナビア並に、未婚の母に寛大な国になったとすると、いよいよ結婚する女性は減るのではないかという気がする。これは小倉加代子の「結婚の条件」の裏返しのような本であって、自立しているがゆえに結婚できない女性の話である。専業主婦神話というのは、高度経済成長を支える男たちのためにつくられた神話だという説がある。高度成長がもう二度とはありえない日本において、そのような神話はもう復活することはないであろう。そうすると日本人はますます結婚しなくなり、少子化がすすんでいくわけである。でも、まあそれでいいのだろうという気もする。