栃折久美子 「森有正先生のこと」

   [筑摩書房 2003年9月25日初版]


 フランス文学者?哲学者?の森有正氏の本は『遥かなノートル・ダム』などが評判になった頃に何冊か読んだことがある。今から30年以上も前のことであると思う。ほとんどパリに住みついて思索を続けた人であった氏の本を読んで、非常に厳格なものの考え方をする人だなという印象はもったが、書いてあることはほとんど理解できなかった。氏がオルガンも弾くことは本書でもいわれているが、氏の弾くたとえばバッハなどがきわめて正統的でない、よくいえば個性的わるくいえば奇矯な演奏であるということもどこかで読んだことがあって、そういうひとなのだろうなという印象をもったことも覚えている。
 装丁家である栃折氏の本は、わたくしが以前に手製の本を作ってみようかと思った時に、参考にするために手にとったことがある。もう20年近く前である。
 栃折氏が、その森氏との尋常ならざる関係を回想した本である。
 筑摩書房から独立し装丁家として踏み出そうとしていた栃折氏は、本の装丁の関係で偶然に森氏を知る。丁度わたくしが森氏を知った『遥かなノートル・ダム』の頃である。そしてその1時間あまりの遭遇で強烈に森氏に惹きつけられる。その後すぐに入手困難な森氏の旧著を友人から借り集め没頭する。そしてパリの森氏に「ハンドバッグと寝間着だけ持ってパリ行きの飛行機に乗ってしまいたい」などという手紙を書くようになり(このあたり「センセイの鞄」である)、森氏の個人秘書のようなものになっていく。なにしろ森氏は「非常識、自分勝手、矛盾した言動、異常な金銭感覚」のひとで、日常生活ができないひとなのである。その氏の日常品の細々とした買い物から、本や楽譜の入手、口述速記の浄書、などなど氏の公私の縁の下の力持ち的役割を続けていく。そして東京に共同で二人の仕事部屋を持つ計画などがあり、栃折氏の頭のなかでどこか結婚という言葉が浮かんだりしているなかでも、栃折氏も製本を学びにベルギーに留学し、そこで学んだことを日本に紹介し、装丁家、造本家として一人立ちしてゆく。そしていつしか森氏と疎遠になっていき、やがてパリでの森氏の死を知る、というような過程が語られてゆく。

 こういう本を読んで、感じるのは女性の気持ちというのはわからないな、ということである。
 一体、栃折氏はどういう気持ちでこの本を書いたのであろう。ここでは森氏の思想、文章についての批評は一切語られない。とすれば、森氏がいかに風変わりな人であったかということを書きたかったのであろうか? あるいは一時代前のある意味ではいい気な、思想というものの権威を疑うこともない、ちょっと時代錯誤的なインテリの像を描こうとしたのだろうか? しかし栃折氏はそういう方向から書いているのではない。ここでいいたかったことは、わたしは森有正という思想界の巨人とかつて近しかった。その仕事を助けることが、ある時期わたくしの人生であったということのように思える。
 女性の気持ちが分からないというのは、一人の女性がいてある男性を尊敬して(あるいは恋して)という状況になったときに、その男性の日常を支え細々した雑務を黙々とこなしていくことが本当に価値あることやりがいがあることと思えてくることがあるのだろうかということである。その逆の、尊敬する女性のため黙々と日常の瑣事をひきうけていく男性などというのは想像もできない。女性飛行士の向井某さんの旦那さんの向井某某さんも「きみについていこう」なんて本を出していてもそんなひとではないだろう。そうじて誰々のために生きるということを女性は肯定できるのだろうか? 
 栃折氏は<自己実現>の道を選ぶ。<自己実現>などという大時代な言葉を平気で使う栃折氏ももちろん普通のひとではない。その普通の人ではない栃折氏がとにかくある時期には裏方に徹することを自分の生き方にしようと思った時期があるのである。
 <女は愛する男のために梳る>って本当なのだろうか?