橋田信介 「イラクの中心で、バカとさけぶ」

   [アスコム 2004年1月20日初版]


 このタイトルが何のパロディかは言うまでもない。そういうタイトルをつけるところにこの本の姿勢が実にはっきりとでている。
 日本で数少ない戦争カメラマンによるイラク戦争の内部から(イラクアメリカから攻撃をうける側から)の報告である。ベトナムなど数多の戦地を現場で見てきた氏からすると、日本人は<戦場>を知らない。現場をしならい。小泉首相も知らない。大マスコミもしらない。大マスコミの社長は自分の命令で戦場に記者をおくってそこで記者が死んだら、自分の首がとぶ。だからそんな命令をだせない。そこあるのは人道主義、生命の尊重ではなく、我が身第一なのである。そして自衛隊を送るのにイラクが安全であるか否かという寝ぼけた議論がでてくる。安全でないから軍隊がいくのではないだろうか? 戦場に兵士を送る場合の原則はただ一つ。それが大義名分があるか、のみである。大義があれば危険であっても送る。<死んでこい!>と兵士を送り出す。大義がなければ安全であっても送りだしてはいけない。兵を出すというのは政治行為なのである。
 戦場を知らずに戦争を語れるだろうか? 著者によれば、日本でいわれる戦争反対というのは、実は戦場反対なのである。戦場をしらない人間が戦争反対、実は戦場反対を叫んでいる。戦場と戦争との峻別が日本人にはできない。戦場は現場であり、戦争は政治である。現場からは政治はみえない。同時に政治をしているひとには戦場という現場が理解できない。われわれは戦場と戦争の両方を知らねばならない。
 などということを著者が書いているのは事実であるが、そういった大上段からの議論はごく一部であって、大部分はそういう「政治」の話ではなく、現場の話である。ビザを偽造し義勇兵を詐称し、現地の役人にわいろを握らせ、やっともぐりこんだ現地で、命と引き換えにとった映像を日本のテレビ局に映像を売り込む、という日々が淡々とつづられていく。
 その冒頭。
 「ヒマだなー」「戦争でも、起こらないかなー」「アメリカは本当にやるのかなー」「アメリカはアホだから、ひょっとして、やるんじゃーねーの」「やるんだったら、早めにやってほしいなー」
 というようなことをタイのバンコクで、中年と初老の日本人写真家が、ぐだぐだと麻雀などをしながらしゃべっている。戦争写真家は戦争がおこらないと仕事がないのである。そういう矛盾が本書の基調となっている。
 で、ある医療従事者同士の対話。
 「ヒマだなー」「インフルエンザでも流行らないかなー」「でも、みんなワクチンしたよ」「型の違うウイルスが流行らないかなあ」「はやるなら、早めに流行ってほしいなー」
 こういうのを死の商人というのだろうか。
 人間が生き続ける限り、争いもなくなることはなく、病がなくなることもないから、戦争写真家にも医療者にもこれからも仕事が尽きることはないのだろうか?
 医療者には今までは病気とされなかったものを病気と認定していくという奥の手がある。しかし本書にもちょっとふれられているように、戦争がロボットによりおこなわれるような時代になったら戦争写真家の出番はなくなるのだろうか? それともロボットは高価であって人間のほうがよほど安いから、これからもあいかわらず生身の人間が戦争をし続けるのだろうか?