小倉昌男 「経営学」
[日経BP社 1999年10月4日初版]
小倉氏はいうまでもなくクロネコヤマトのヤマト運輸の元社長・会長である。運輸省の規制と闘ったひととしても有名である。高橋伸夫氏の本を読んでいて思い出して読み返してみた。
ヤマト運輸の経営の具体的なエピソードも面白いが、ここでは経営哲学などの部分のみ。
小倉氏も日本人の労働観とアメリカ人のそれとは全然違うことをみとめる。日本人では働くことそのものが生き甲斐であることをみとめる。
やる気をおこさせるためには、上司は大きな方針を示し、細かいところは各人の主体性にまかせるほうがいいという。これも高橋氏と同じである。
しかし、小倉氏は年功序列に反対する。実力主義の導入ができないからであるという。組織がピラミッド型になることもいけないという。組織はフラットな方がいいという。しかし、人事考課はきわめて難しい。氏の結論は上司の評価は頼りにならないということである。しかし考課は必要である。そこで横からの評価と下からの評価をするのだそうである。それも実績ではなく人柄だけを評価するのだという。それを体操競技のように一番いい点と一番悪い点を除いてあとの平均をとるのだという。評価は、誠実であるか?表裏がないか?利己主義的ではなく助け合いの精神があるか?思いやりの気持ちがあるかというような点を評価する。人柄のいい社員はお客様によろこばれるいい社員になるのだからという。
この辺り、有能なひとは誰からの評価も一致するという高橋氏の意見とは異なる。上司の目はあてにならないというのは阿諛追従をするひとに甘くなるということなのであろうか?
企業の目的は永続することであるという。そのための手段として利益があるのだという。
おそらく小倉氏は年齢とともに給与があがることは必ずしも否定はしないのではないかと思う。年齢とともに位があがることを拒否するのである。職場をフラットにして役職の数を減らしてしまえばいいという。病院などは就職して部長ずっとそのまま退職まで部長ということはいくらでもある。それで不都合はおきないが、会社においては人事のみが楽しみというひとがいるようであるから、肩書きがいつまでも変らないということで不満がでないものか?そのあたりはよくわからない。
人柄での評価というのはきわめてユニークである。人柄はいいが仕事はできないというひとはいないだろうか? あの人はいいひとなんだけどねえという話はよくきく。いいひとだけど何かがたりないわけである。しかし実績の評価よりもこちらのほうが会社内でのぎくしゃくは生じないであろう。実績を問うと、その仕事に一番貢献したのはだれだという議論がはじまり収拾がつかなくなる。人柄はそのひとに備わったもので、その時その時の成績に左右されない。
会社の経営ということについてもいろいろな見方があるものだと思う。