庄司薫 「薫ちゃん四部作」

 [中公文庫  1969〜1977年]


 思うところあって、「薫ちゃん四部作」を読み返してみた。
 まず年代的なことを確認しておく。

1959年 「喪失」(福田章二名義) 中央公論新人賞
1969年 「赤頭巾ちゃん気をつけて」 芥川賞        設定69年2月
1969年 「さようなら怪傑黒頭巾」             設定69年5月
1971年 「白鳥の歌なんか聞えない」            設定69年3月
1977年 「ぼくの大好きな青髭」              設定69年7月

 「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、1969年の中央公論5月号に掲載された。作品の舞台は同年2月の東大入試中止直後の時点に設定されているわけだから、かなりリアルタイムに書かれたといえる。(同年3月ごろの執筆らしい)
 庄司薫、本名福田章二は1937年生まれで、日比谷高校から東大法学部を出て、丸山真男の門下生となった。だから執筆時点では東大法学部の政治学者であったのかもしれない。「赤頭巾・・・」という日比谷高校を卒業したが、東大入試がなくなったため浪人生となった18歳を主人公にした小説を書いたとき、作者は32歳くらいだったわけである。
 東大紛争の中での丸山真男のおかれた立場を考えれば、東大入試中止からほどなく書かれた「赤頭巾ちゃん・・・」は明らかに作者なりの全共闘運動への回答であったはずである(それと同時に10年前書いた「喪失」という小説への回答という側面をもっているので複雑であるけれど)。
 第二作の「黒頭巾」は全共闘運動に挫折した人間の運動からの撤退が書かれているので、二作までは明確に全共闘運動を意識して書かれている。
 「白鳥」は、老いと死というテーマ、「青髭」は若者の理想をあつかうので、よりテーマは一般化してくるが、全共闘運動という目の前の事象への直接的な反応からスタートし、その後十年弱の四部作執筆の期間における左翼運動の展開・衰退に対する作者のさまざまな感想が、これらの連作を書かせたものと推定できる。
 ということで、以下はこの四部作を一種の政治論文として読んでみようという野暮な試みである。
 小説をある思想的立場の表明、ある思想を伝達する手段として書くというのは、登場人物を作者の操り人形にするということであるから、小説というものの持つ自由を著しく損なうことになる。それに対して作者が提出した工夫が、ペンネームを主人公と同じにするということであった。そのような操作で福田章二という作者を消してしまうことが、政治論文を小説というかたちで書く上で作者がどうしても必要としたからくりだったのであろう。

 この四部作を書く十年前、20歳ごろ、本名で「喪失」という短編小説を書き、中央公論新人賞を受賞している。わたくしがこの「喪失」を読んだのは、「赤頭巾ちゃん・・・」が評判となったあと再刊されてからであるが、お金持ちのお坊ちゃんたちの自意識競争を描いた(読んではいないが)ラディゲ風の心理小説である。《僕は達夫の恋敵ってわけだな。そして、啓子を愛する達夫の恋敵なら、当然啓子を愛しているというわけだな》というような三島由紀夫の短編あたりにでもでてきそうな自意識過剰な若者達の「オドカシッコ」(自分が知的に友人より優れていることを競うこと・・・庄司薫「バクの飼主めざして」(中公文庫))の不毛を描いている。そこでは屈折していること、素直でないことが尊重され、自分が純情であったり、誠実であったりすることは子供らしい恥ずべきことなのである。
 そして10年後に書いた「赤頭巾ちゃん・・・」では、丁度その逆に、どうやればひねくれず素直に生きていくことができるかが追求されることになる。
 「喪失」を書いてから10年筆を擱いていたわけだが、「喪失」の方向は不毛であることを自覚し、それからどう脱出するかということを考えていたのであろう。そして、それと当時の全共闘運動に見てとった不毛を重ねる形で「赤頭巾ちゃん・・・」は一気に書かれたのではないだろうか? そこには丸山門下生としての思考、あるいは端的な丸山真男弁護も隠し味として入っているが目立たないように工夫されている。

 「赤頭巾ちゃん・・・」の主人公の薫くんは何もしない。この小説は何もしないことの正当化のための小説なのである。『馬鹿ばかしさのまっただ中で犬死しないための方法序説』であり、『逃げて逃げて逃げまくる方法』である。村上春樹風にいうならばデタッチメントである。
 全共闘運動は安易なコミットメントをするがゆえに否定される。全共闘運動は《田舎から東京に出てきて、いろんなことにことごとくびっくりして深刻に悩んで、おれたちに対する被害妄想でノイローゼになって、そしてあれこれ暴れては挫折し暴れては失敗し、そして東京というか現代文明の病弊のなかで傷ついた純粋な魂の孤独なうめき声なんかあげ》ている《知性より感性》を優先する運動なのである。
 しかし、すべきなのは、《もしなんかの問題にぶつかったら、とにかくまずそれから逃げてみること、特にそれが重大な問題であると思われれば思われるほど秘術をつくして逃げまくってみること》なのであり、それはつまり《逃げきれれば結局どうでもよかった問題なのであり、それは逃げまくる力と比例して増えてくるはずで、つまり、逆にどんな問題にとっつかまってジタバタするかでそいつの力は決まってくる》からなのである、ということになる。
 第二作の「黒頭巾」は薫より10歳ほど年上の兄の世代(つまり、作者の実年齢と同じ)の仲間の闘争からの離脱が(批判的に)描かれる。なぜ安易に結論をだすのだ、もっとねばりつよく闘い、おのれの理想の追求をつづけられないのか? コミットメントの安易が、離脱の安易につながるとされる。
 第三作の「白鳥」は、林達夫風の大碩学の死をめぐって、知の獲得は果たして虚しいかが議論される。隠れた主題は、大きな存在には自分に力がつくまではあえて近づくな! 安易に近づくと自分を失ってしまう! というこれまた<逃げる>主題である。
 最後の「青髭」だけは第三作の刊行から6年の間隔があいて刊行されている。この間の1972年にあった連合赤軍事件が作者の筆を重くしたのではないかと、大塚英志は推測している(「サブカルチャー文学論朝日新聞社2004年)。連合赤軍事件のメンバーがほぼ<薫くん>と同世代だからである。
 この最終作はそれまでと作風が相当に異なっている。前三作までの日比谷高校同窓会的な「やさしさ」の哲学はもうどこにもみられなくなり、むしろ否定される。おそらく全共闘運動への回答として書いた前三作は、その後の時間の経過の中で、最早肯定できないものとなってくるのである。
 「赤頭巾ちゃん・・・」の文庫版に収められた「四半世紀たってのあとがき」では、それを書いた当時はまだ「優勝劣敗」の法則を緩和できる可能性、民主主義という知的フィクションを信じていたことが書かれている。このころにはまだ科学技術に希望があったから、機会均等も結果の平等もまだ信じることができたのだと。
 この世には「それを言ってはおしまい」ということがあり、それをいわないようにみんなで頑張ることが文明であるのだが・・・、と。
 つまり、民主主義なんかフィクションだ、そんなものは裸の王様だと、みんながいいだしたらおしまいだ、ということであり、当時の丸山門下生の福田章二としての立場からは、全共闘運動は民主主義の欺瞞性を指摘し、結果として民主主義を破壊するものとみえたのであろう。
 全共闘運動は衰退した。しかし、同時に民主主義という知的フィクションは欺瞞であるという見方もまた世を席捲することになった。もちろんそれは全共闘運動のみがもたらしたものではなく、全共闘運動を用意した何らかの世界的な動きがそうさせたのであるが。
 「青髭」の主題は若者の時代の終わりということである。つまり理想の追求の時代の終わりである。全共闘運動のようなかたちは、その成果の評価を云々する以前に、それが若者の運動であるという理由だけも、もう否定されてしまったのである。
 それで「青髭」はさまざまな理想追求への鎮魂歌となっている。三作までは敢えてコミットしないことで理想を保持する道が探られていたが、ここでは最早放棄される。三作までの提言は無効であったということが確認され、この「青髭」は作者の主張を封印するための書となる。
 庄司薫=福田章二が何かを終わらせたのではなく、時代が変ってしまったので、最早、庄司薫=福田章二の方法は無効になってしまったことになる。もう書くことがなくなる。
 理性で<心情の運動>を制御しようという試みは失敗に終わったのである。
 「青髭」はこの四部作の中でもっとも小説らしい結構をもった小説であり、唯一主人公が受身でなく行動する。若者たちの理想追及がそれぞれ挫折したことを確認したあと、それでも自分は若者たちの理想の墓場である都会を愛することができるだろうか?と自問することろで小説は終わる。
 第三作までは、理想を性急に追求すること、結論を性急にだすことが否定され、それによる理想の保持が目指されたのだが、ここに到って、どのような形でも理想が否定されてしまう時代が来てしまったことが確認される。そのような砂を噛むような時代をこれから生きなくてはならないのだということである。

 ところで、わたしはこの「赤頭巾」以下の四部作を発表時のリアルタイムで読んでいるが、その時のわたくしのうけとりかたはまったく別であった。その当時わたくしは福田恆存にぞっこんいかれていて、その当時福田の精髄であるとわたくしが信じていたものを実に巧妙に小説化したものとして「赤頭巾」を読んだ。
 福田の論とは、例えば、《かれが唯物史観といふ武器を採りあげやうとしなかつたのは、ほかでもない、それが武器であるといふ、たゞその一事のためではなかったか。チェーホフはひとを裁きたくなかつたのだ。ひとを罰したり、傷つけたりすることがいやだったのだ。なぜか―「なにもわからない」から》(チェホフ)、あるいは《もはやかれは自己完成の鞭をおそれてうろうろ逃げまはる必要はない。「空家」に引越してきたのは「地下室の住人」ではなく、教養ある自由人の観念である》(同)というようなものである。
 その当時は政治の季節であった。共産党系の<民青>という組織があり、その活動家はひたすら上からの命令に従い、「自分の考え」がないことをみな笑っていた。それと対立した全共闘運動は今度は自分だけであった。主体性であり、自己否定であった。わたくしはそういう人たちが他を支配するため、他より優位にたつためのみに政治理論を振り回していながら、それに自分で気がついていないことがとても不思議だった。福田章二が「喪失」で描いた「オドカシッコ」の不毛な世界である。
 「赤頭巾」が「喪失」の世界の不毛の克服のための書として書かれたことが、たまたまわたくしが自分のまわりに見ていた政治論議の不毛への批判として、わがこととして理解されたのであろう。

 さらにところで、大塚英志は「サブカルチャー文学論」の「庄司薫デレク・ハートフィールドなのか」で、「赤頭巾・・・」が採用したペンネーム=主人公というやりかたを用いて作者の福田章二を消すやりかたが、村上春樹以降の作家に決定的な影響をあたえたと主張している。村上春樹の「鼠」四部作は「薫ちゃん四部作」を下敷きにしているのだそうであり、「ノルウェイの森」に「赤頭巾ちゃん」の一部がそのまま再現されている指摘など、びっくりした(わたくしは「ノルウェイ」を読んでいて全然気がつかなかった)。
 おそらく福田章二としては丸山門下生という出自がばれると、その作が色眼鏡で見られることを恐れたこと、著作が説教臭を帯びるのを嫌ったなどで採用した方法ではないかと思うのだが、そういうものが後に大きな影響をおよぼくことがあるのだなあと思う。
 そして最近、庄司薫の名前がまったく忘れられているのも、村上春樹以降の作家の創作の秘密をまもるためなのだというのが大塚英志の推測である。本当なのだろうか?