28 補遺・その2 ロレンス「チャタレイ夫人の恋人」

 わたくしはある時期福田恆存の信者であり、福田氏が担いだ神輿がD・H・ロレンスであったので、ロレンスの作品については何度も挑戦はしたのだけれども、「無意識の幻想」とか「黙示録論」といった小説以外のものは読めたが、「息子と恋人」にしても「虹」にしても「死んだ男」にしても、みんな途中で抛りだしてしまって小説としては読了したものがなかった。この「チャタレイ夫人の恋人」にしても、「現代は本質的に悲劇の時代である。だからこそわれわれは、この時代を悲劇的なものとして受け容れようとはしないのである」という書き出しは知っていたが、というか知っていたからこそ、なんかお説教じみた小説なんだろうなという思いがあって敬して遠ざけていた。今度、読んでみようという気になったのは、直接には、小野田健氏の「イギリス的人生」の中の「生の根源をもとめて」というロレンス論を読んだことであるが、その小野田氏の本を読んでみよと思ったのは、あるいはチャタレイを読んでみようと思ったのは、丸谷才一鹿島茂三浦雅士の「文学全集の立ちあげる」(文藝春秋)の以下のような部分からであった。

丸谷:(フォースターを)D・H・ロレンスと一緒に一巻にしてしまうという手はあるね。僕はロレンスはあんまり好きじゃないけれども、外すわけにいかないでしょう。
鹿島:「チャタレイ夫人の恋人」は入れなきゃ。
丸谷:さっきのディヴィッド・ロッジが、「何と言っても動物を書かせたら、うまいのはロレンスだ」と言っている(笑)。読み方が鋭いなあと関心しました。
三浦:たしか「チャタレイ」でも、犬はすごくよく書けていたけれど・・・。
丸谷:いや、一体にうまいでしょう? 人間を動物的に把握しているんだろうね、あの人は(笑)。

 しかし、動物を書かせたらロレンスというのはロッジの創見ではない。吉田健一は「英国文学の横道」(吉田健一全集 原書房 第八巻 1968年)の中の「ロレンスの思想」(この文章は1950年に書かれたもの)でこういっている。

 併し彼にさうさせる情熱が、厭世観といふやうなものと凡そ異つてゐることは、彼の作品に出て来る自然の風景、それから殊に、動物の描写を読めば解る。(中略)さういふ動物に対する彼の愛情の正確さは、その雉の雛なり、犬なりの輪郭を、人道主義的な感傷で少しもぼやかさず、犬なら犬を、その種類の属する犬以外の何ものでもないものとして、然も凡て動物に特有の、あの無心な柔和さまでも含めて描き出してゐる。世界の文学作品の、これに僅かに匹敵するものを求めるならば、ツフゲネエフの「猟人日記」に出て来る野鳥の習性の描写を措いて他にない。

 さらに丸谷氏の茶々に対しては、

 動物を愛するやうに、人間も愛することが出来ること、それが聊かの妥協も峻拒するロレンスの念願だつた。何故ならば、我々が動物を愛する以下にしか、人間を愛してはゐないと彼は見たからである。我々の生命にとつて本質的なものは、凡て原始的な感情ばかりである。然もそれを抑圧し、否定することが、野蛮の状態から文明への過程だと考へられるやうになつたのは、いつの頃からのことだらうか。ロオマ人の間では virilis 男(牡)であるといふことは、まだ最も重要な人間の美徳の一つに数へられてゐた。美しい肉体は美しい精神を包むとしてゐたギリシャ人の間では、勿論のことである。これは、美しい動物に、そのまま当て嵌る定義である。ギリシャ人にとつて、人間は動物だつた。ただ動物は、己の精神の、又肉体の、美しさも醜さも意識してゐない。この無意識は一つの調和である。併しそれならば、美醜の観念、又肉体と精神の存在を峻別する人間にとつて、如何にすればこの調和を保つことが出来るだらうか。

 といっている。人間を動物的に把握するというのは、ロレンスにとっては本質的なことなのである。もう少し追ってみよう。

 前に、人間が動物以下にしか人間を愛さないといふことを言つた。我々が動物を愛する時は、その全体を愛する。その性格のみを愛するといふ曖昧な限定は、動物の場合、不可能だからである。

 あるいは、

 それ故にこのこと(性について・・・引用者)に触れて、大胆にではなく、率直に、このことをその正当な位置に戻すといふことのみが、観念論と精神主義によつてヨオロツパの文化が陥らされた泥沼から脱出する方法であることを、ロレンスは看破したのである。多くのヨオロツパの優れた作家達が、彼等の文化が近代に至つて急速に辿り始めた崩壊の過程を、身をもつて描いてゐるのに反して、ロレンスの作品には或る新しい時代を予告する爽快さが感じられるのはその為である。

 ロレンスにいわせればヨーロッパ近代の人間は生きながら死んでいるのである。それはたとえば「チャタレイ夫人の恋人」ではこう描かれる。

 そして、こういうこともやっぱり生活ではあった。空虚だが生活ではあった。それ以外のものは非実在だったのである。ラグビー邸はそこにあった。召使なども・・・だがそれは影だけで、実在していないものだった。コニーは、庭園や、それに続いた森の中へ散歩に出かけて、孤独と神秘感を味わい、秋の褐色の葉を足で蹴り。また春の桜草を摘んだりした。だがそれはみな夢に似ていた。というよりもむしろ実在物の影に似ていた。彼女にとっては槲の葉は、鏡の中を舞い落ちる槲の葉のようであり、自分自身もだれかが読んでいる小説の中の人の姿であり、桜草を摘むということはただの影の記憶か、または言葉に過ぎなかった。彼女のほかの何者も、実体をもっていないのだ・・・感触も手ごたえもない!

 この描写は、小阪氏がその著書でいっている「夢のようでとらえどころのない現実」と似ていないだろうか? 小阪氏がそのように感じるのは、全共闘運動の季節に現実がリアルである体験をしたからである。ロレンス的にいうならば《美しい動物》として生きているような時間がそこでは短い時間であったにしてもあったのである。小阪氏は「どこか社会がおかしい」「どこかよそよそしい感じがする」と感じていたといい、それが高度成長により出現した社会への違和感だったというのであるが、ひょっとするとそれは日本に輸入されたヨーロッパ近代への違和感というもっと根の深い問題によるものだったのかもしれない。
 小川和夫氏はロレンス「無意識の幻想」(南雲堂 1966年)の「あとがき」でこういっている。(原文が書かれたのは1956年)

 花々や野蛮人の生活に同感し得たこと、頭脳で理解するのではなくいわば肉体の血汐によって共鳴し得たこと、しかもそのような生活には後戻りできないことを承知していたこと、しかし現代人の生活が生命を失ったものであることを痛ましいまでに常に感じていたこと、―これがロレンスの二重性であり、ロレンスの悲劇であった。現代文明にたいする彼の挑戦は、その主張が正しいにせよ誤っているにせよ、はじめから結果が分かっているものだった。戦いはロレンスの敗北にきまっているのである。

 「チャタレイ夫人」を読み通してみると、ロレンスが反撥したものの半分はヴィクトリア朝的な道徳規範であったように思える。そして同じくヴィクトリア朝的なものに反対したブルームズベリー・グループ的感性への反撥が残りの半分であるように思う。小野寺氏はロレンスはブルームズベリー・グループの合理主義とシニシズムに反対したのだという。今となってはヴィクトリア朝的なものへの反撥はわれわれにとってあまり切実なものではなくなってきていると思うが、合理主義とシニシズムという問題は古びていない。ロレンスが現在において意味を持つのはその点であろう。橋口稔氏の「ブルームズベリー・グループ」(中公新書 1989年)などを読んでも、そこにでてくるのは何だか好きになれそうもない人たちばかりである。ロレンスが「この若い連中の話を聞いていると、本当に腹が立ってきます。彼らは、とめどなく、全くとめどなく話しますが、何一つ、全く何一つ善いことは言いません。彼らは、自分自身の堅い小さな殻に閉じこもって、そこから喋っているのです。一瞬の感情の発露もなければ、一片一粒の敬虔な気持もありません。私には我慢が出来ないのです。こういう人間とは一緒にいたくはありません―ひとりでいる方がよいと思います。彼らは、蝎のように咬みつく油虫を思わせます」というのも無理はないように思う(ロレンスのモレル夫人宛ての手紙。清水幾太郎倫理学ノート」岩波書店 1972年 より引用)。
 知的であってシニックでないということはきわめて難しいことなのかもしれない。実は、「赤頭巾ちゃん気をつけて」を刊行された当時読んで、知的でありながらシニックでない生き方を示したものだと思ったのである。薫くんがいう「やさしさ」が、ロレンスが最後に到達した人類の救済原理としての男女間の「やさしさ」と通じるのではないかと思ったのである。とんでもない誤読であったのかもしれない。なにしろ庄司薫ヴァレリーに通じる「知性の人」なのであり、ロレンスは反知性の人なのである。

 ロレンスは「現れるものすべてに休止なく例外なく密着する」ことを望み、その望みは、当然のこととして達せられなかった。何故ならば「人間の特質は意識」だったからである。ヴァレリイとロレンス―この偉大な意識讃仰者と偉大な意識嫌悪者とが、人類の歴史の同じ時期に姿を現したということはけっして偶然ではない。それは現在の精神状況をはっきり示すものである。
 知的意識によって衰弱している現代生活を、ヴァレリイは意識をさらに強烈にすることによって更新しようとし、ロレンスは無意識に帰ることによって脱却しようとした。二人とも成功しなかったが、二人ともに現代生活の苦悩にたいする感受性において天才的であった。(小川和夫 前掲書)

 小阪氏は全共闘運動のある時期、「現れるものすべてに休止なく例外なく密着する」ことができると感じたような瞬間を経験したのではないだろうか? その時、氏は何かの鉱脈を掘り当てたのである。しかし、それ以来、知性というものに信頼をおけなくなってしまったのではないだろうか? 氏が感性というようなことをさかんにいうのもそのためなのではないだろうか? しかし、小阪氏は本来、知性の人である。氏が掘り当てただろうものは徹底的に知的に分析されなければならないものなのである。それなのに感性などという方向にむかっても収穫は乏しいのではないだろうか?
 小阪氏は、知性の人というとその当時全共闘運動からみれば反動にみえた進歩的文化人のような人を想定してしまったのであろう。しかし、知性の使い方はいろいろあるわけであり、小阪氏はもっと大きな知的遺産の本格的検討を避けてしまっているようにみえる。
 たとえば、三島由紀夫との討論の会場には三島のことを「近代ゴリラ」と揶揄した立て看があったそうである。この「近代ゴリラ」という言葉を考え抜くことからだって多くのことが見えてくるはずである。特に「ゴリラ」の部分である。小阪氏は「近代」の部分しか問題にしていない。しかし、これは「ギリシャ人にとつて、人間は動物だつた。ただ動物は、己の精神の、又肉体の、美しさも醜さも意識してゐない。この無意識は一つの調和である。併しそれならば、美醜の観念、又肉体と精神の存在を峻別する人間にとつて、如何にすればこの調和を保つことが出来るだらうか」という吉田健一の問いへもつながるはずなのである。
 シニックとユーモアがどう関係するのかはとても難しい問題である。ロレンスはシニックを嫌ったけれども、生真面目でユーモアを解さない人であったように思う。小阪氏もまたそうである。どこかこわばっている。肩の力を抜かないとみえてこないものもまたあるはずなのである。

チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)

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