中沢新一 赤坂憲雄 「網野善彦を継ぐ」

   [講談社 2004年6月25日初版]


 わたしが網野の名前を知ったのはずいぶんと最近のことで、まとめて集中的に読んだのは5〜6年前のことであろうと思う。考えてみれば私が読んだ日本史に関する本といえば網野氏のものだけかもしれない。その網野氏がなくなってまだいくらでもないが、この本はその網野氏の仕事が失われることを恐れ、それを継いでいくことを宣言する対談である。
 なぜ失われることが懸念されるのか、それは網野氏が群れをつくらず党派をつくらないひとだったからなのだという。日本では、党派をつくり弟子をつくらなければ、その仕事は死とともに急速に忘れられていくのだという。
 なにしろわたくしのようなものでさえ読んでいるのだから、歴史書としては例外的に売れた。それがいけなかったようなのである。この本ではっきりと書かれているわけではないが、そのように売れる研究者への嫉妬が多くの敵あるいは敵対グループを作ったというのである。網野氏の仕事、たとえば「無縁・公界・楽」とか「異形の王権」のような仕事は、歴史の中からきわめて大きな流れを抽出してくるような仕事だから、重箱の隅をつつけばいくらでも瑕疵はみつかるだろう。そういう瑕疵を指摘するだけで、網野氏の仕事の一番要の部分は論じる必要なしとするような流れができあがったようなのである。
 網野氏は古文書を読む能力においてもきわめて秀でた実証の部分においてもきわめてすぐれたひとのようであったから、その批判の土俵に乗らざるをえない。そうすると、あなたはこう主張するが、それに反するこういう例があるといった批判に答えざるをえない。しかし、歴史がこうであったということではなく、こうでもありえたのではないかというのが網野氏の論なのだから、実証の地平で争うならば、連戦連勝とはいかない。読者には売れているが、学問の世界では孤立しているそういう存在として網野氏はあったらしいのである。
 われわれが本を読むのは、考えるためである。われわれに何事かを考えさせる本、それがわれわれにとっていい本である。網野氏はいい本をたくさん書いた。しかし批判者にいわせれば、事実をねじまげ、面白おかしい本を書いたから売れる、あんなのは学問ではないということになるのであろう。
 ここで書かれている網野氏は一時期の中沢氏を思い出させる。東大教授に推挙され拒否された事件である。折原氏らが中心になって中沢氏の書くものは学問ではなくてエッセイである、学者でないものは東大に参入させないとかいって、就任を拒否した。中沢氏の書くものもまたわれわれにさまざまなことを考えさせる。中沢氏はたしかになんとなくいかがわしいところのあるひとである。「ドンファンの教え」とかいう本を書いた文化人類学者(カスタネダ?)を想起させるところがある。だから中沢氏が嫌われるのはわからないでもない。しかし、中沢氏と違い、朴訥で誠実な学者である(それは書いたものを読めばわかる)網野氏までもが売れるということだけそういうあつかいをうけるのである。養老孟司氏などがどのようないわれかたをされているか、想像するだにおそろしい。
 学者の世界というのもつくづくと女々しい世界である。