加藤典洋 「僕が批評家になったわけ」

  [岩波書店 2005年5月20日]


 批評ということについて、思いついたことを並列的にならべたような本。まあ徒然草スタイルというのだろうか。批評というテーマをめぐって起承転結的に一貫して論じた本ではない。
 さて、加藤によればまず批評は学問ではない。批評は、言葉でできた思考の身体で、ものを考えることが言葉になったもの。大事なのは自分で考えること。学問には問いがあれば答えがなければいけない。しかし批評では、問いに対して答えがなくても、そのわからないということがしっかりと書けていれば批評である。そこでは、わかるということとわからないということが、考えるということにおいて等価である。
 批評家としての出発点で、柄谷行人の批判からはじめたのだそうである。柄谷を筆頭とするポストモダンの批評家はとにかく難しい本をたくさん読んでいることを売りにしていた。しかしたくさん本を読むほうが勝ちであるならば、それは学問ではないか、柄谷が本を100冊読んで本を書いたとき、柄谷が参照した本を一冊も読んでいなくても、柄谷の本だけを読んで自分の思考の力だけでそれを論ずることができる、それが批評というものであるという。しかし、加藤典洋も参加した鼎談「天皇の戦争責任」では、どれだけ細かいことを知っているかの競いあいになっていたように思う。ということは「天皇の戦争責任」という本は批評ではなくて、学問的議論の対象であるということなのだろう。やはり批評の対象と学問の対象は違うのかもしれない。学問は事実の側につき、批評は事実にたいする思考のほうにつく。
 ところで、6月26日の毎日新聞の書評欄で、養老孟司は事実をもとに議論するのが理科系であり、事実なしに議論するのが文科系みたいなことを書いていた。問題は、ポストモダン批評が《事実なんてものはないんだ》ということを言い出す点にある。学問の側が無邪気に事実なんてものを信じている素振りをみせようものなら、呆気なく斬られてしまう。事実について争うのではなく、ポストモダンは事実への態度につき論じるのである。ポストモダン陣営と議論をすると、学問ではなく批評の土俵の中に連れこまれてしまう。ポストモダン陣営は事実なんてものはないということについて万巻の書を書く。そこでいくらたくさんの書物が言及されているとしても、それは学問にはむかわない。だから柄谷の「隠喩としての建築」にあるあまたの引用、ヴィットゲンシュタイン、ド・マン、ヴァレリープラトンアリストテレス、コーンフィールド、ニーチェゲーデルガリレイニュートンマルクスフッサールヘーゲルホワイトヘッド、ロック、マラルメ、ポウ、ヤコブソン、レヴィ=ストロースなど名前はすべて学問の側にはいない人間なのである(ゲーデルフッサールは学問の側に相当足がかかっているようにも思うが・・・。コーンフールドという人については知らない)。ここで引用されている著者と書物からは学問として通用する論文を書くことはできない。
 加藤が学問という言葉を使うので話が少しそれた方向にいってしまう。加藤の本当の主張は《知識がなければ批評は書けないか?》ということのはずである。わたくしが思うに、いい文章というのはいくら引用が多くても、そのもとの文章を読まなくてもとりあえずは理解できる文章である。引用されている文献についても、それを読んでいなくても、とりあえずその内容の見当がつくような引用のしているのが、いい文章である。引用されている文献を読んでいないと理解できない文章は悪文である。悪い文章など批評する必要もないし、批評する価値もないのであるから、批評したいという気をおこす文章はそこに引用されている文献など一冊も読んでいなくても素手で批評できるはずである。そしてまたいい文章とは、引用されている文献を読みたいという気をおこさせる文章でもある。批評される側が、最低これだけの文章を読んでから俺の文章を批評せよ、読んでいないやつは批評する資格がない、などということをいわなければいいというだけである。
 もし、明治時代に福沢諭吉がいなかったら、昭和に小林秀雄がいなかったら、日本の思想は貧しかったはずである、と加藤はいう。批評は、公衆、一般社会、世間を相手にする。学問はそういうものは相手にしない。デカルトも世間に訴えようとした。ニーチェも学問の場から公衆の場へと出た。全共闘議長山本義隆は学問を離れ予備校教師となることで世間へとでた。同様に長谷川宏も学習塾経営をしながらヘーゲルの「精神現象学」の清新な翻訳を世に問うた。江藤淳はそういう公衆を強く意識した批評家の嚆矢であった、と加藤はいう。要するにある時代に一番考えることをしたのが福沢諭吉であり、小林秀雄であったということなのである。それと山本義隆とか長谷川宏を並べるのは少し変な感じがする。山本も長谷川も自分の考えを世に問うているわけではないから。山本の「磁力と重力の発見」は、いたって禁欲的で学問的な本であると思う。
 加藤によれば、明治以降、まだ日本の言葉は平静をとりもどしていない。平熱になっていない。微熱をもったままできている。これは本当にその通りであると思う。名文家といわれる人、たとえば鴎外は乙に澄ましているし、石川淳など絢爛豪華だし、丸谷才一なんかちょっと気取ってではなく大いに気取って書いているし、もちろん吉田健一なんて悪文だし。わたくしが一番よい文章家であると思うのは福原麟太郎だが、これもイギリス紳士という規範が鼻につくような気もする。構えずに文章を書くことがすでに容易ではない。構えずに文章を書くことはいけない、というのが丸谷才一文章読本」の主張であるが、これは思ったことをすぐに文章にできるという意見へのアンチとしては有効であるとしても、本当のアンチはちょっと気取って書けではなくて、よく考えてから書けであるはずである。日本では、まだ考えることとその文章表現の間にある隙間が埋っていない。
 この本で加藤がいいたいことは批評とは考えることなのだということにつきる。具体的な対象をめぐっての批評も提示されている。とりあげられている三島由紀夫林達夫内田樹小林秀雄ヴァレリー深沢七郎養老孟司橋本治などはかつてあるいは現在わたくしが関心を持ったり持っている人たちであるので、その論は大変に刺激的であった。
 ここでそのうちのいくつかについて考えてみる。
 養老孟司:加藤は養老の文が読みにくいという。それは養老が意識的に理系の文章作法で書くことにこだわっているからであるという。わたくしは養老が最初に本をだしたころからずっと読んできているが一度も読みづらいと思ったことはない。また氏の文章が理系であると思ったこともない。むしろきわめて文系の小林秀雄直系の文章の書き手であると思っているので、加藤の論を読んで非常に面食らった。加藤が論じている養老の本は「唯脳論」である。
 「一般に自然科学者は、考えているのは自分の脳だということを、なぜか無視したがる。客観性は自分の外部に、つまり対象にあると思いたがるのである。しかし、そのような「科学研究の結果」、すなわちいわゆる業績は、自分のもの、つまり自己の内部のものだと思っているらしい。ノーベル賞を貰ったりするからである。そのような業績は、多くの場合、当人の脳の機能である。しかも、その業績が誰にでも理解できるとしたら、それは誰の頭にも同じ機能が生じ得るということである。そう考えると、「客観的事実に基づいた研究業績」とは、本当にはどこが自分の業績か、そこが判然としなくなる。その為に、自然科学者は、自分と他人の脳のことなど考えたくないのであろう。」
 たとえば、「唯脳論」のこの部分がなぜわかりにくかといえば、書かれていることが嘘だからである。ノーベル賞は、あることを思いついたから貰うでのはない。それを証明する方法を考案し、その方法を用いて非常な労力を傾注することによって具体的に証明したからである。養老のいっているのはアインシュタインのように思考実験で論文が書ける例外的なケースであって、それが普遍的であるようにいっているのは嘘である。そして、それが嘘であることは何よりも養老自身がよく知っている。アインシュタインの場合には相対性原理について本当にわかっている人間は世界に三人しかいないとかいわれたこともあるらしい。とすれば、養老がいっている《その業績は誰にでも理解できる》などということはないわけである。一方、エイズウイルスの本体の解明などということであれば、それがあることは誰にでもわかっているのであるから、あとはそれを単離証明する手法の開発の競争である。その業績については誰でも理解できる。だからここでの養老の議論はミソもクソも一緒にした滅茶苦茶な論なのであるが、なぜ養老がそんな無茶をしているのかといえば、養老が現場で実験する人から思考実験の人へと自分の持ち場を変えたからである。その履歴を背景にしなければ、ここの論は理解できない。ここの議論には養老の人生がかかっている。最初の本「ヒトの見方」には一見したところは客観的な学問論文風のものも収められている。たとえば「トガリネズからみた世界」。そこで議論されているヤコブソン器官の話などは、ノーベル賞は無理としても、もう少し頑張れば比較解剖学の歴史の片隅には残る論文にはなったのかもしれない。だが、養老はここで、もう俺は英語で論文書くのはやめたということをいっている。なかばアカデミックな学者からの遁走である。Introduction Meterials and Methods Results Discussion などという体裁で慣れない英語で論文書いて何が面白い、俺はなれた日本語で自由なスタイルで自分のみつけたことを書くといっている。しかし客観的事実に基づいた研究というスタイルはまだかろうじて維持されている。しかし「唯脳論」となればもう終りである。そこには客観的事実などという言葉が入る余地はなくなっている。そこでは自己言及がつねに付き纏うようになる。「唯脳論」という本は養老孟司という人間の脳の機能の結果の産物であるのか、そうであるとしたら、それは誰にでも理解できるものであるのか? というのは「唯脳論」という本が書かれるにいたったのは、科学の世界における(あるいは狭くは解剖学の世界における)養老の履歴あるいは(ここでははっきりとは述べられてはいないけれども)東大紛争での経験があったからであるからである。そのような著者の履歴にまったく関心がない人間にとっては、この本は非常に理解しづらい本になる。養老孟司という人間がもっている問題意識が氏の著作にはつねに背後にあって、それを共有しない人を読者としては拒むようなことろがあった。「バカの壁」が売れたのは、加藤は聞き書きという形で文科系の言葉に翻訳したからだというのであるが、そうではなくていわば養老の体臭を取り除いて、養老の主張だけを「客観的」にとりだしたからではないだろうか? つまり養老の履歴にまったく関心がないひとでも、その「言っていること」をいわば「理科的」に「事実」として読めるようにしたせいではないだろうか? 「バカの壁」はあれだけ売れたけれども、読んだひとにほとんどなんの影響も残さないだろうと思う。単なる面白い話を読んだというだけに終わってしまうだろうと思う。つまりそこにあるのは「お話」だけで、養老孟司という人間はいないのである。ここでの加藤の議論は納得できないものであった。
 内田樹:加藤は内田の著作を可能にしたものはインターネットのホームページというものの存在であるという。それが軽い言葉を可能にしたと。それには異議がない。しかし加藤がここで一番問題にするのは、内田のいう「独学者」と「師をもつもの」の区別である。ここでの「独学者」とは「師をもたずに自分ひとりで考えるものの言い」であり、そういうものはいくら本を読んでも自分がすでに知っていることを確認するだけであるから、それは否定されるべきであるとされる。つまり「独学者」は「他者」をしらない。加藤はそれに反論する。師をもたずに一人でいても、内田のいう「独学者」からは離脱できるのであるという。そのように主張しないと加藤の立場はなくなるわけであるが(なぜなら、学者ではない批評家は一人で徒手で世界にたちむかいうるというのが加藤の立場であるから)、しかしここでも議論はずれている。というか加藤は内田の言葉をまともにうけとりすぎている。ここで内田が「他者」という言葉でいっているのは、「超越者」あるいは端的に「神」のことである。しかし現代においてまともに超越者あるいは神を持ち出したら誰もその議論についてこない。だから慎重にその言葉を避ける。内田が言っていることは、自分を超える何かを想定できない思考にはおのずと限界がある、ということである。人間の理性には限界があり、理性にだけに頼る議論には飛躍がおきない。自分を超える何かを想定できてはじめて自分の能力を超えた飛躍が起きうる。加藤は自分の能力をこえた何かへの跳躍といったことを望んでいない。むしろそのような高みからの議論を否定していくことが批評の役割であるしている。しかし内田は加藤もみとめているように「死者」(おそらく学生運動における死者)にうながされて書いているようなところがあり、自分ひとりで考えるというスタイルをとれないのである。学生運動の過程で死んだのがなぜ自分ではなく友であったのかという問いには答えはなくて、そのような問いを根底において考えるのであれば、単独者ではありうるわけはなくて、どこからか「超越者」が入り込んでくることを避けることはきわめてむずかしい。
 内田は人が神の高みにたつことの不幸が身に沁みている一方、啓蒙主義的に理性の限界の中に生きることに居座ることにもまた居心地の悪さを感じているのである。そういう引き裂かれた思考が内田の魅力なのであり、それを単一に整理してしまうと内田の一番いい点が失われてしまうように思う。ここでも加藤の議論はどこかすれ違っているように思えた。
 と、何だか憎まれ口ばかりたたいてきたけれども、加藤のこの本はわたくしの年来の関心であるプロとアマチュアという問題と深くかかわるものであるという点でとても興味深いものがあった。加藤のいう学問がプロであり、批評家がアマチュアであるのだろうかという点である。現在極端な専門分化がどんどんと進行中であるので、ある細かい分野になればアマチュアはもうプロには到底太刀打ちできないのかもしれない。しかしそんな専門分化などといわなくても、たとえば経済学などにおいては、もっと大きなテーマにおいてさえ専門家の間でもまったく意見の一致がない。それでもプロの間では最低限一致する見解があり、そういうものさえ理解できないアマチュアとの間には大きな溝があるのだろうか。
 少なくとも学者の間には何が事実であるかということについては共通の理解があるのかもしれない。その事実をどう見るかということについては見解が一致しないとしても。そういう共通認識枠はパラダイムと呼ばれてクーンなどにより歴史依存的なものであって決して普遍的なものではないことを指摘されてしまうのであるとしても。学者たちがおこなっているのはクーンのいう Normal Science なのであろう。そして学者たちの仕事は Normal Science であるということをつねに忘れるなと警告することは批評家の仕事であるのかもしれない。しかしそうであれば学者と批評家は同じ認識枠の中にはいないので、相互に理解することは期待できないことになる。
 批評家は永遠にアマチュアの位置にいるのだろうか? 批評家のプロというようなものは存在するのだろうか? 加藤は「小説の未来」(朝日新聞社2004年1月)で、現在の小説を生きた対象と見て、市井に生きる町医者としてあるいはクリニックの臨床心理士としてのぞんでみたいというようなことを書いている。やはり素人としてではなく、批評のプロ、しかし学者ではなく臨床家というような意識があるのであろう。「テクストから遠く離れて」あるいは「小説の未来」を読んで感じる加藤典洋の像は小説の読み巧者である。ああこんな風にも読めるのだと思う。自分としてはそんなに分析的に読むのはしんどいなと思うが、人がそうしてくれるのを読むのは面白いし、なんとなく感じてはいたがうまく言葉にできなかったことが言葉になっているのを読むと自分もすっきりする。納得できなければ、なぜ納得できないかを考える。
 要するによい批評家とはわれわれにたくさん考えることをさせてくれる人なのである。ある時代にはわれわれに最も多くのことを考えさせてくれた人が福沢諭吉であり小林秀雄であったわけである。ただ以前にくらべて考えるためにも知らなければいけないことが増えてきているのかもしれない。でも考えるための知識を集めているうちに歳をとってしまい、考えることをしないうちに死んでしまうなどというのはつまらない。当面自分が考えるのに必要なだけの知識があればいいのであって、知識の追求が目的化していまうようなことがあってはならない。だが、ポストモダンの人たちがこれだけは知っているべきなどという本を読んでいると、それだけで一生が終わってしまいそうである。どうしたものなのだろうか?



(2006年4月16日ホームページhttp://members.jcom.home.ne.jp/j-miyaza/より移植) 

僕が批評家になったわけ (ことばのために)

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