[朝日新聞社 2004年6月30日 初版]
金井美恵子氏を最初に知ったのは、その処女作?「愛の生活」を石川淳とか吉田健一とかが絶賛していたときで、それで読んでみたのだが、なんだかよくわからなかった。それ以来ずっと縁のないままできていたのだが、どこかから吉田健一のだらだら文体で書くようになっているという噂がきこえてきて、本屋で覗いてみたところ、確かに、読点のないまま続くおしゃべりでできている小説のようであった。
本書はその悪口罵詈雑言が痛快なんて評が新聞にあって、それで読んでみた。確かにあらゆる人が撫で斬り。小谷野敦、橋本治、村上龍、加藤典洋、高橋源一郎、呉智英、大塚英志などわたくしが面白がって読んでいる連中が、すべて一刀両断。なかでも島田雅彦はもうボロクソ。橋本治も「桃尻娘がなんで村上龍に変身するのだ?」 橋本治もひとつの世間を代表しているという指摘は刺激的だった。およそ橋本治は世間の外のひとだと思っていたので。
どうもえらそうなことをいう男は全部だめみたい。それにくらべると小倉加代子あたりのフェミニスト陣営には少し甘いようである。女性にはすべて甘いわけではなくて、「顔を描きそこねた犬張子に口のあたりがそっくり」というのは、そうとは書いていないが俵万智のことである。もっともこれはこの本の装丁をしている姉の金井久美子の言らしいが。そういう悪口を言い合って楽しんでいるらしい。とんでもない姉妹である。
この本を読んでつくづくと感じるのは、男の感性と女の感性は根本的に違うのだなあ、ということである。わたしにしたって二十歳のころにくらべれば、ずいぶんと中性的になってきているのではないかとは思うのだが、それでもやはり男的感性というのは骨がらみのもので、死ぬまで消せないのだろうなあと思う。